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フィーネとエレツは野宿をしていた。二人はディエス村を出発しレーヴェン村を目指して北上している。エレツが連れてきた馬に乗ってひたすら移動していたため腰が悲鳴をあげていた。
レーヴェン村は竜の村と言われており、竜に関する言い伝えが綿々と受け継がれているという。そこに火の竜の乙女がいるらしい。
「火の竜の乙女を最初に誘ったんだが、光の竜の乙女を連れてきたら考えてもいいと断られたんだ」
光の竜の乙女であるフィーネがいる。近くにいる竜の乙女かつ前回言われたことをクリアしているため、レーヴェン村へと向かうらしい。どのみちディエス村から他の町や村へ行くためには通り道に存在するため不都合もない。
エレツが用意してくれたスープとパンを平らげて寝袋に入る。今晩は一段と星が綺麗だった。二人は竜の乙女なので魔物から襲われる危険があったため、寝袋の周囲に結晶を置き、アースが見張りを勤めてくれた。その代わり日中アースはエレツの肩でぐっすり眠るのだ。
家を出てきたという実感がじわじわやってきた。寂しいような高揚しているような形容しがたい心境だった。だが初めての乗馬で疲れたのだろう、寝袋に入ってすぐに睡魔がやってきた。
次の日、朝から馬に乗って移動していた。しかし午後になって雲行きが怪しくなったため通りがかりにぽつんとあった家にお邪魔して一晩泊まらせてもらうことにした。
その家には白髪の、祖母ぐらいの年齢の方が一人で暮らしていた。昔、今より魔物の活動が活発ではなかったときに自分のご先祖が建てた家らしい。子供たちは都会へ出ていき、夫は先立ち一人で家を守っているのだと話していた。あまり人と接しない生活を続けていたため、二人と話すことが楽しいと老婆は笑顔を溢した。
窓に打ち付ける雨音が強くなり始めた。ここで泊まったことは正解だったといえる。三人で料理をして共に食べ、風呂にも入らせてもらった。アースは老婆に見つからないようにさっさと部屋へと入り眠っている。フィーネはエレツが風呂に入っている間、老婆と話をしていた。
「私にも孫がいてね、たぶんあなたぐらいの年齢なのよ。会ったことはないのだけれど」
「なんで会いに来ないんですか?」
「遠くに住んでるからね、今は魔物もよく出るでしょう?だから路銀がかかるのよ」
でもお手紙はよくくれるのよ、とフィーネに手紙の束を見せてくれた。ときどき写真や押し花等が挟まっていた。老婆は嬉しそうに手紙のことを話してくれる。
村から出たことのないフィーネにはわからなかったが、村から村へ移動するときに魔物対策として護衛を雇うのが普通らしい。それがかなりの金額なのだろう。往復となれば尚更だ。
エレツが風呂を終えて戻ってきたため、話を切り上げて就寝することにした。
そうそうに布団に入るエレツに対して、フィーネはなかなか横にならずもじもじと視線をさ迷わせていた。
「どうかしたか?」
「いえ、あの…」
逡巡したあと意を決して言う。
「…一緒に寝てもいいですか!?」
ぽかんとしたのも束の間、エレツはにっこりと布団を持ち上げてくれた。そこに猫のようにさっと潜り込む。布団の上から優しくぽんぽんとされてむず痒くなった。
「そうそう、私のことは呼び捨てでいいぞ。敬語も不要だ」
「…えっ」
「それで、フィーネはホームシックになってしまったか?」
たぶん、エレツのいうことは正しいのだろう。老婆の話を聞いていたら両親の顔が頻りに過った。
「自分で決めたのに、可笑しいよね」
「可笑しくはないさ。ただ君は同年代より少し大人びているがな」
「…別に好きでそうしてるわけじゃないよ」
それからずっと心の中に溜め込んでいたことを洗いざらい吐き出してしまった。周りの期待に応えようと頑張っていたこと。大人びているなんて言われることが嫌だったこと。本当は旅をするのも不安だったこと。
全て吐き出すと涙が溢れた。少しだけすっきりした気がした。
「私には妹がいてね、君と年も近いんだ。私は年の離れた妹が可愛くて仕方なくて何をやってもすごい、可愛いって褒めそやしてたんだ」
きっと村の皆も私と同じだと思うから、あまり嫌にならないでくれ。とエレツは微笑んだ。何故かエレツの言葉でそういうものなのか、とすとんと納得する自分がいた。
「…不安だったのにこうして一緒に来てくれてありがとう。私がいうのもなんだが君はもっと我が儘になってもいい。なんなら私のこと、姉だと思って甘えてもいいぞ!」
布団の中で片手を広げて、まるで私の胸に飛び込めと言わんばかりに顔を輝かせていた。
「…じゃあ、質問していい?」
「なんでも!」
「エレツって処女なの?」
ぶっと盛大に吹き出した。暫しの沈黙の間、アースの寝息だけが室内に響く。エレツは顔を真っ赤にさせてわなわなと震えた。
「悪いか!?剣一筋だったんだ、私は!」
「悪くはないよ。ただお話は本当なんだなって」
処女でないと竜の乙女になれない。非処女になったら別のものが竜の乙女になるという昔話。エレツはフィーネよりかなり年上に見えたため、疑問を解消したわけである。
「…まぁ実際のところ、結婚する年齢まで生きてる竜の乙女があまりにも少ないから事実かどうかはわからないんだがな」
「…そっか」
フィーネは眉根を寄せる。エレツにもう遅いから寝ようと促されて瞼を閉じた。今日は幾分すっきりとした気持ちで寝ることができそうだ。
「私も友達全然いないけど、土は私の友達だよ」
体の自由がきかず、これは夢だとわかった。せっかくすっきり眠れると思ったのに。
フィーネの、正確にはフィーネが視界を共有している者の前にいる女性は、服が汚れることも厭わずに畑いじりをしている。それを体の主と黒い髪の女性が見ていた。
「君も誰かに好かれようとか、無理する必要ないんじゃない?私にとっての土みたいな、そんなものをみつければいいと思うよ」
「ハルノアは強いから…そんなこといえるんだよ」
ハルノアと呼ばれた女性は黒髪の女性に言うも、あっさり本人に否定される。きまりが悪いのかハルノアは唇を突き出して頬を掻いた。
「君のほうがよっぽど強いと思うけどなぁ」
褒められた黒髪の女性は頬を染めて俯いてしまう。体の主は彼女の背中を擦ってよかったね、ほらね、といった。
それから二人はハルノアの畑作業を手伝っていた。本当に土を触っているような感触を手に感じる。息もあがり、体も重く感じた。
夢の中で重労働をするなんて、なんのための睡眠だろう。
三人はずっと手を動かし続けた。みみずがいる土はいい土だとか、たわいのない話をしながら。とうとう夢の中で気絶するかと思った瞬間に目が覚めた。
体が重い。夢の影響か、と考えて瞼をあげるとエレツの腕が覆いかぶさっていた。重さの原因はこれだったらしい。
再び夢のことを考える。あの黒髪の女性は以前にも見た気がした。今日は泣いてなくてよかった、と思った。そしてハルノアと呼ばれていた女性。どこかエレツに似ている気がした。姿かたちも言動も違うのに、雰囲気がどことなく似ているように感じたのだ。それがとても不思議だった。
考えている内にエレツも目を覚まし、着替えをすましてから老婆の菜園の手伝いをした。朝食をとってから礼をして家を出る。老婆は気をつけてね、と何度も繰り返し言って見送ってくれた。
昨晩の雨はすっかり止み、日がさんさんと降り注いでいた。フィーネの顔も夢を見た割に、昨日より晴れやかだった。
一行はレーヴェン村を目指して歩を進めた。