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真実

「…ここ、どこ?」

 意識が戻ったイエリナは周囲を確認した。真っ暗闇で何も見えなかった。体は黒い影のようなものが縄のように巻き付いていて動けない。

 確かノルが魔物に連れていかれて、その後黒い女性に闇の中へと引きずり込まれたのだ。フィーネとはぐれてしまったことに気づき、必死に呼びかける。声は暗闇に反響するも求めている声は返ってこなかった。

 しゅんっと気落ちすると頭上から違う者の声がふってきた。

「ここは彼女の空間ですから、フィーネは別の場所にいると思いますよ」

 頭上を見ると結界の近くで敵に連れて行かれたトーリがいた。トーリもまた影に雁字搦めにされて動けない様子だった。だが命に別状はなさそうだった。

「トーリ!」

「イエリナ、無事で何よりです。あなたの母ももうすっかりよくなりましたよ」

 母の無事にほっとするものの、すぐに気を引き締める。早くフィーネの元へ行かなくては。

 イエリナはいつものように蔦や木を生やして拘束を解こうと念じた。しかしいつもならすんなりとできることが一向にできなかった。力が使えない。

「できない…」

「ここは暗闇で、生きているのは私達のみ。木の力は大地の生命の力を使っているに過ぎません。ここでは何も生み出せない」

 そんなこと関係ない。イエリナは大木の中で初代乙女に教えられた様々な植物を咲かせるイメージをした。

 彼女はイエリナが今まで見たことのないものも多く咲かせてみせた。草木や花。痩せた土地でも咲く植物や過酷な場所でも芽を出す植物など。

『これはね、ヴァネッサが好きな花』

 白くて丸い薄い花弁が五枚ついており、その花弁は内側にいくほど青く色づいていて中心部分の黄色い雄しべと雌しべを引き立たせている。同じく丸い葉が花を支えるように生えていた。

「蒼華桜…!」

 イエリナの周りに花が咲き乱れる。この花だけは生み出すことができるらしい。

「きっと、ヴァネッサが好きな花だからですね」

「うん」

「これをもっと咲かせてください。きっと、フィーネを助けてくれます」

「わかった!」

 トーリの言葉通りに蒼華桜が咲くところをイメージした。フィーネのところまで、この空間が花で埋め尽くされるぐらい。

 イエリナは意識が続くまで花を咲かせ続けた。




 頭が重かった。体も重くて、動くのも億劫で。自分が何をしていたかも思い出せなかった。

 暗闇の中でフィーネはうつ伏せで倒れている。何故こんな場所にいるかもわからない。

 重力が倍になってのしかかっているかのように、全身が重い。このまま目を瞑って眠ってしまえば楽なのに、それをしたくはなかった。理由もわからないが。

 瞬きすると視界の隅に黒以外のものが現れた。

 花だ。

 この花を、どこかで見た気がする。

『ヴァネッサは本当にこの花で作る花冠が好きだよね』

 この花はフィオネとヴァネッサがリヒトと出会った場所に咲いていた花だ。その瞬間ふっと全身が軽くなった気がした。むくりと起き上がる。

 花はフィーネの目の前に道を作って咲いていた。この花の先に向かったほうがいいと直感する。先程までの重さが嘘のように足が軽かった。

 花はずっと先まで咲いている。闇の中でもはっきりと見えるぐらい、自身を主張していた。コントラストが眩しい。

 暫く歩いていると前方から黒い犬のような、猫のような小さな生き物がこちらへと近づいてきた。あの子はどこかで会った気がする。

 そうだ。首都を出発して次に泊まった町で会った子だった。町を出るときにはどこかへ行ってしまったのに、何故ここにいるのだろう。

「ついてこい」

 いきなり脳内に声が響いてびくっとする。辺りを見回すがフィーネと動物しかいない。動物はこちらの様子を気にもとめずに花が続く方へと歩き出した。その後を慌てて追いかける。

 さっきの声はもしかしてこの子のものなのだろうか。

「俺はネロ。誰かから聞いているだろうが、闇の竜だ」

 尚も頭に声が響く。動物は振り返らずすたすた歩いている。

「俺の本体はヴァネッサとともにある。この体は少し拝借しているだけで本体ではない」

 彼はフィーネの存在を知っていて、あえて以前接触してきたということになる。小動物のふりをして。その理由は想像もつかなかった。

 ネロが頭を振ると、真っ暗だった周囲に映像が映った。そこにはヴァネッサとフィオネがいた。どこかで見たことがある映像だった。

「以前お前がヴァネッサを救えるか、確認のために接触をした。そしてお前ならできると思ったから手を貸すのだ」

 フィーネが抱いていた疑問を的確についてくる。自分がかつてとった行動は間違いではなかったらしい。

「お前はフィオネの記憶を見たが、それは物事の片面にすぎない。そのままでは何故、あの出来事が起きたか真に理解し、彼女を救うことはできないだろう」

 だから今からヴァネッサの過去を見てもらう。

 どこか見覚えがあると思っていた映像は、ヴァネッサ視点の記憶ということだ。だから以前と同じものでも少し視点が異なる。フィーネは前を歩くネロに置いていかれないように気をつけつつ、周りを見ていた。

 二人がネロとリヒトに出会ったところから、他の竜の乙女を探すところ。島を統一していくところ。基本的にはフィオネとヴァネッサは一緒に行動していることがほとんどだったため、大木で見たものと相違なかった。

 変化が出始めたのは国を作り、国王を選んだ辺りからだった。

 フィオネは国のために奔走し、暇があれば婚約者の王子と会っていた。その間、ヴァネッサは花を見ていたり本を読んでいたり、ネロと一緒に過ごしていた。人を避けて行動しているように見える。

 唯一長めの交流があったのは木の竜の乙女、メルトだった。彼女は花が好きなヴァネッサのために花束を作ったり、お茶に誘ったり、時間があれば傍にいるように気をつけていたのかもしれない。フィオネとの時間が減るのに比例して、メルトとの時間は増えていった。

 しかしヴァネッサはその間もずっと国民の負の感情を蓄え続けており、体と心は悲鳴をあげていたのだ。メルトと過ごすヴァネッサは笑顔を覗かせていたが、闇が癒えることはなかった。

「辛いなら、フィオネにお願いして癒やしてもらおうよ」

「大丈夫。フィオネは忙しそうだし、私は大丈夫だから」

 心配するメルトの言葉をやんわり断り、へらりと笑うヴァネッサ。もうこのときには限界まできていた。

 頭の中には人々の憎悪や悲しみに満ちた声が延々と響き、ヴァネッサの心をすり減らしていた。ベッドから起き上がることもできないほどに。

 調子のよいときは庭に花を見に行った。城の廊下を歩くと、臣下や給仕たちとすれ違い眉を寄せられたり、不快そうな顔を向けられる。彼らが何を思っているか、負の感情を吸収しているヴァネッサには直接伝わってしまうのだ。それもまた、ヴァネッサの心を蝕んでいた。

 建国祭、フィオネの結婚の前日。日中少しだけフィオネと話ができたためか、少しだけ心と体が軽かった。だからお祝いの品を用意しようと考えて街へ出たのがよくなかったのかもしれない。フードを目深に被っていても見え隠れする黒い髪を、人々は忌避の目で見ていた。城へと戻る頃には人々の負の感情ですっかり疲弊していたのだ。

 フィオネに会うまでに仮眠をとろうと入った部屋も悪かった。少し眠るつもりで目を閉じたのに、物音で起きたとき外は既に暗くなっていた。

 瞼を擦って腰掛けていた椅子から立ち上がる。足元に黒い尾があることに気づき、ずっとネロが傍にいてくれたことがわかった。床に丸くなって寝ていた彼も、ヴァネッサが覚醒するとともに瞼をあげていた。

 ネロの鱗を撫でていると、隣の部屋の話し声が聞こえてきた。どうやらテラスで話していたらしい。先程の物音も隣の部屋のものだろう。ヴァネッサはその声に聞き覚えがあり、そっと耳をすませた。

「楽勝だよ、あんな女。もうすぐ俺たちの時代だ」

 声は王子のものだった。誰かに話しかけている。あんな女とは、誰のことなのか。

「ちょっと優しくすればころっとおちる。さっさと子供を作って、殺せばいいんだ。え?治癒ができるから怪しまれるって?簡単だよ。闇の乙女がやったことにすればいい」

 自分のことがでてきて心臓がはねた。子供を作るといっていたということは、女とはフィオネのことを言っているに違いない。

「仲間ならあの女も油断するし、竜の乙女同士なんだから致命傷を受けたって言い訳も十分に納得できるものだろう?それに闇の乙女は皆から嫌われてるからな」

 濡れ衣を着せられそうになって、しかもフィオネを殺されそうという状況に我慢ができず、ヴァネッサはテラスから隣の部屋へ侵入した。

 テラスには王子一人だった。明らかに誰かに話していたのに。だがそんなことはヴァネッサには些細なことだった。キッと王子を睨みつける。

 突然の予期せぬ者の登場に一瞬目を丸くしたものの、王子はすぐに貼り付けたような笑みを浮かべて一歩近づいてきた。

「こんな夜遅くに、女性が一人でテラスから男の部屋に入るものではありませんよ」

「あなた、フィオネを殺すつもりなんでしょう!」

「僕が婚約者で竜の乙女を殺すと?誰から聞いたのですか?出鱈目ですよ」

 尚もしらばっくれる王子に痺れを切らし、ヴァネッサは影を鋭く伸ばして王子に突きつけた。

「隣で聞いていたのよ!ネロも聞いてた!あなたがフィオネと子供を作ってから殺そうとしているってこと!」

 あなたはフィオネを愛していなかったの!?

 ヴァネッサが大きな声で事実を突きつけ、ネロが隣の部屋からヴァネッサの背後へ移動したところを見て、王子はようやく貼り付けていた仮面を外す。

 下卑た顔を見て思わず後ずさる。はっきりいって気持ちが悪かった。距離を取ろうとテラスから部屋に移動すると、王子はその距離を詰めるように歩を進めた。

「愛しているさ。あの女の名声と力をな。だから俺のものにするんだ。子供を操り人形にして、俺が実権を握ればいい」

 ニタニタと笑う王子。優しく民を思っている表情を巧みに作り、心の奥底ではそんなことを思っていたなんて。ふつふつと怒りが湧いてきた。

 今この場で殺してやる!と影を動かそうとして、王子が待ったと静止した。ヴァネッサはつい条件反射で動きを止めて、王子の言葉に耳を傾けてしまう。

「お前が今ここで俺を殺したら、どうなると思う?」

 あなたが死んで、フィオネは変な男に汚されずに平穏に生きられるに決まっているではないか。

さっぱりわからない、という表情のヴァネッサに王子は目を弓なりにした。

「お前は王子を殺したとして皆に攻められ、挙げ句に殺されるかもしれないなぁ」

 ドキリとして完全に動きを止めた。王子の言葉は一理ある。

「理由をいえば…」

「誰がお前の言葉を信じる?闇の竜の乙女と民の皆から嫌われてるお前に!信じるわけない!フィオネも俺を殺したお前を恨むだろうよ、何も知らずにな!」

 影は形を戻し、ヴァネッサの足元におさまった。かたかたと体が震える。ネロは王子に向かって威嚇した。ヴァネッサの心が激しく揺れ動いているのを感じて。

 フィオネに恨まれるのは想像もできないほど怖かった。心の拠り所だった彼女に否定されることは、ヴァネッサの精神にどのように影響を及ぼすか検討もつかない。

「お前が俺のために力を使うっていうならフィオネを活かしておいてもいい」

 王子はヴァネッサの長い髪を指で擦った。ねっとりとした手つきに吐き気がする。

「俺の邪魔をするやつらを殺してくれるなら、フィオネは殺さずいい夫のままでいてやる」

「…邪魔するやつって…」

「俺の母や他の竜の乙女だよ」

 ごくりと息を飲んだ。この男は実の母親も邪魔者として排除したいといっている。彼の母親は民のことも思いやり、優しい人だった。ヴァネッサの髪についても偏見を持たずに真っ直ぐ受け止めて、大変でしたでしょう。とヴァネッサ自身を見て言ってくれた人だった。そして仲間も殺せといっている。ヴァネッサはこの男の心が理解できなかった。

 ヴァネッサはすぐに返事をできなかった。彼女にとってフィオネの存在はそれらと天秤にかけても劣らないものだったのだ。

 すぐに返答しないヴァネッサを大人しく待つことに飽きたのか、王子の手つきはだんだんとエスカレートしていった。

「子供ができたらそれ以上の関係はもたないと約束してもいい」

 手がヴァネッサの脇腹を撫で腰へと移動する。

「お前が相手をしてくれるなら」

 気持ちが悪くて吐きそうになるのをぐっとこらえた。この男の思考が全く読めない。

「髪は黒くて不吉だけど綺麗でかわいい顔をしていると思ってたんだ。体つきもフィオネより色っぽいしな」

 腰をさわさわと撫でられて時折揉まれると鳥肌がたった。生まれてこの方異性から性欲の対象として見られていなかったため、状況についていけなかった。ただどうすればいいのかわからず、怖くて体が動かない。

 王子は気色悪い手でフィオネを汚して子をもうけようとしている。権力のために、子供さえも利用する。そんな子供は果たして幸せだろうか。否、ヴァネッサのように苦しい思いをするに違いない。

 わかっている。この男を捕らえて結婚を中止させ、真実を白日の元に晒す。それが最善だと。王子がいうように、自分の言葉は多くの者から疑いの目を向けられるだろう。しかし信じてくれるものもいるはずだ。

 頭ではわかっているのに、体は動かなかった。フィオネが信じてくれるかわからなかったからだ。日中の会話では自分から壁を作ったくせに、突き放されるのが怖かった。なんて愚かなのだろう。

 王子の手が胸へと移動したとき、不快感が爆発した。

「落ち着け、ヴァネッサ!」

 ネロの声を認識したときには、顔に水滴がついていた。不快感は消え、王子は床へと倒れ込む。

掠れた声が出た。自分は何をした?

 顔についた水滴を拭うと手が紅く染まる。血だ。倒れた王子からじわじわと血が溢れてきて、小さな水溜りができる。

 私が殺した。

 動悸が止まらない。思考が纏まらない。ネロが自分の傍に寄り添って背中を擦ってくれているのはわかる。お前は悪くない。こいつは死んで当然だ、と。でも声は右から左に抜けていくばかり。髪をぐしゃぐしゃに掴む。

 人を殺してしまった。

 一線を越えてしまった。

 取り返しのつかないことをしてしまった。

 放心していると廊下からパタパタと足音が聞こえてきて、扉が開いた。そこには目を丸くしたフィオネがいた。

 フィオネの大切だと思っていた人を殺してしまった。たとえ相手が同じ気持ちを彼女に向けていなかったとしても、フィオネにとっては大切な人だった。

 フィオネの顔が見る見るうちに歪んでいく。説明をしなくてはと思うのに、口はうまく動かず無意味な母音を紡ぐのみ。

 違うの。私はあなたに幸せになってもらいたかった。それだけなのに。この男はあなたを利用して使い捨てるつもりだったから、相応しくなかったの。殺すつもりはなかったの。だから…

言いたい言葉は一つも紡ぐことができなかった。

「自分が今もまだ、皆から疎まれているからって!!」

 その『皆』にはきっとフィオネも含まれている。フィオネに否定されたヴァネッサは、ついに内に溜め込んだ闇に呑まれてしまった。

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