ノル
「離しやがれ!この!!」
巨大な魚のような魔物に咥えられたノルは、手に水の刃を纏い魔物の体に突き立てた。痛みにのたうち回る魔物にぺっと吐き出されて、地面を転がる。
体勢を立て直すと既に魔物は林の中へと逃げてしまっていた。また敵はこちらにしかけてくる。油断はできない。ノルは辺りを警戒しながら元いた場所へ向かって歩き出す。
一対一が希望か?それともあいつらと引き離したかったのか?
宙に水の玉をいくつか作り、どこから来ても対応できるようにした。腹部の痛みに気づいて手をあてると血がついた。先程咥えられたときにできたものらしい。鋭い歯でも持っていたのだろうか。
ガーゼと包帯で手早く止血する。旅を始めてから怪我をすることが多かったため、手元に用意してあったのだ。
フィーネだよりはよくねえからな。
ガサリ。後方の茂みから先程の魔物が飛び出してきた。ノルは宙に浮かせた三個の水球を刃のように飛ばす。水が魔物を貫くと体を分断された分だけ、分裂した。魔物は四体へと増えた。
それならばと残りの水球で更に畳み掛ける。するとまた魔物は刻まれた分だけ分裂をした。細切れにしたのに、小さな体でまだ生きている。
こいつらの体、どうなってやがんだ。
傷を負わす度に増えていく個体。体は小さいものの噛みつく力は最初の個体と同様の強さだ。先程から何体にも体に噛みつかれている。その度に引き剥がすが、体には数えるのも大変なほどの噛み跡がつき出血していた。
魚のような形をしているため、水だと分が悪いのかもしれない。傷が増えていき仕留めることができずにいた。
フレイヤがいたら焼き魚にできるってのに。
無数の小さな魔物が群れのように集まり、大きな魚のような形になっている。魔物は逃げるノルの後を追って飛び回り、周りの木や草をその歯で傷つけていく。水の刃を飛ばしても簡単に避けられるようになってしまった。状況は圧倒的に不利だ。
弱点とかないのかよ!どうすればいい!?
必死に逃げ回っていると大きな群れの中心部分にキラリと赤く光るものが目に入った。群れは遠くから見ると暗い青色をしているのに、そこだけ異質でノルは目を凝らす。
赤く光ったのは魔物の目だった。群れの他の個体の目は黒いのに、その一体だけは赤い瞳をもっていた。
こいつが核ってことか…
一か八か試してみる価値はある。ノルは群れから大きく距離をとり、群れを飲み込めるほどの水の玉を作る。中心部分に空気の層を作り、自分を置いて。魔物は構わず突進して水の中へと入っていく。魔物を水の中に閉じ込めたのだ。
これは大木の中で初代乙女に教わった方法だった。口調は柔らかでぽやっとしているもののその中身は遠慮容赦ない厳しい人だった。魔物も人も水攻めすればいいよ~閉じ込めちゃえばなんにもできずに死んじゃうんだから~と明るく言うのだ。思い出しただけでも恐ろしくて体が震える。
魔物は水球から飛び出そうと突進するが水面に跳ね返り思うように動けない様子だ。詳しい説明は忘れたが水の表面を少しいじることにより出られなくしている。できるまでびしばししごかれたのだ。ノルは自分の真横に水球を移動させ、観察する。水球の中心に赤い瞳の魔物がいた。
ノルは太腿に隠し持っていた小刀を手にとる。これはファムが念の為とくれたものだった。喧嘩っ早いノルを案じてくれたのだろう。自分は水を使えるから問題はないと思っていたが、思わぬところで役に立った。水で切れないなら刀しかない。
器用に赤い瞳の魔物とそれ以外を分ける。黒い瞳の魔物たちは必死に水から抜け出そうとしている。やはりこの魔物が核のようだ。
ノルは赤い瞳の魔物だけを閉じ込めた水球に近づき小刀を振り下ろす。しかし魔物は器用に水の中で避け続けた。水という不安定な中で小さな個体に刀を突き刺すことはとても困難で、普段刀を使わないノルにとっては大変難しいことだった。
鬱陶しい!
苛立った末に水球に手を突っ込み魔物を鷲掴む。魔物はノルの手に噛みついたため痛みに顔を歪めた。
しっかりと魚を掴み、水の形状を解除した。そのまま魔物を握りしめたまま地面に押し付け刀で魔物の体を刺す。ざくざくと何度も。どうだ、その度に魔物の体から黒い血のような液体が吹き出した。魔物はぴちぴちと尾を打ち付け、手をがぶがぶと噛み抵抗する。
嚙まれたって気にするものか。絶対逃がしはしない。
やがて抵抗が弱くなり完全に動かなくなったので、そっと手を離し距離をとった。五秒、十秒、観察していたがぴくりとも動かない。そこでやっと息をついた。
核となる魔物が絶命すると、他の個体も一斉に動きを止めて水球の中でだらんと力なく浮かんだ。他の魔物は分身だったのだ。
ノルは魔物に噛みつかれた手を応急手当てし、フィーネたちとわかれた花畑へ向かおうと一歩を踏み出す。
ずぷん。
踏み出した足は突然現れた黒い地面へと入ってしまった。抜け出そうと足を引き上げようとするがびくともしない。やがて黒い部分が大きくなり、両足が飲み込まれる。ずるずると体が黒い地面へと落ちていく。まるで蟻地獄や沼のようだ。
「くそ!」
蟻地獄では藻掻けば藻掻くほど抜け出すことが困難になる。ノルはなるべく動かず脱出の術を探るも手立てがなかった。ノルが足を掬われた場所は木から離れており少し開けた場所で、手で掴むことができるものが何もない。
腰、胸、肩。だんだんと暗闇に飲まれていく。落ちていく視界の中で、黒い毛玉のようなものがこちらをちらりと見て通り過ぎていくところが見えた。
「おい…待て、こっちこい…」
ノルの言葉に反応はなかった。やがて全身が暗闇に落ちると地面の黒は小さくなり、消えた。




