始まり
フィオネとヴァネッサは姉妹のように育った。それというのもフィオネが住んでいた場所では黒髪の者は過去におらず、ヴァネッサは黒髪で生まれたために幼いころに親に捨てられたのである。不吉、異端。ただそれだけの理由だった。捨てられた彼女を拾い、育てたのがフィオネの両親であった。
幸いフィオネの両親は近辺では裕福な家庭だったため、他所の家から文句を言われることもなかった。ただ両親がいないところで虐められていたが。
突然変異。自分たちと異なる。黒は不吉などなど。彼女を忌避する理由は様々であった。ときには物を投げられ、ときにはぶたれ、ときには水をかけられ。様々な目にあった。それでも彼女がめげることがなかったのは、フィオネが傍にいたから。
フィオネは怪我をしたヴァネッサの手当をしてくれ、虐められているところを見かけたら怒ってやり返してくれて、優しく抱きしめてくれた。ずっと一緒だよ、といってくれた。フィオネと彼女の両親だけが、ヴァネッサの心の拠り所であった。
それ以上何も望まなかった。ヴァネッサにとってただ彼女たちと平穏に暮らすことが幸福だった。
彼女たちの前に竜が現れるまでは。
「私はリヒト、こちらはネロ。他にも四匹の兄弟がいます。あなた達には、私達の力を行使してこの島を統一していただきたい」
いつもの花園で穏やかに花冠を作ってたとき、突然空から舞い降りた白い竜リヒトがフィオネたちの前で言った。ネロと呼ばれた黒い竜は半歩後ろで控えている。
ヴァネッサは初めて見る竜にドキドキして思考が追いつかない。フィオネがさっとヴァネッサを守るように前へと出てリヒトを睨みつける。
「どういう意味ですか。力を行使するとか、島を統一するとか。あなた達の意図が読めません」
「あなたのおっしゃることはもっともです。私たちは安住の地を求めてやってきました。私達の力を貸す代わりに、ここを竜が住みやすい地にしてほしいのです」
「あなた達を神様みたいに崇めろ、と?」
眉間の皺を増やすフィオネを優しく見つめて、それでも構いませんとリヒトは言った。
「神でも、何でも構いません。私達が安らかに暮らせるなら、その役割を担いましょう」
逡巡しているフィオネを他所にヴァネッサはネロへと、まるで魅入られたかのように近づく。恐る恐る黒く光る鱗に手を伸ばし、そっと撫でるとネロは喉を鳴らした。
ヴァネッサは自分が受け入れられたと感じ、嬉しくて頬を緩める。とうとうネロの大きな体に抱きついた。フィオネはぎょっとして引き剥がそうとしたが、ネロの様子を見てとどまった。フィオネたち以外と共にいて、こんなに楽しそうなヴァネッサは久しぶりに見た。
「それは私達じゃないとできないの?なんで私達なの?」
ヴァネッサが問うと、今まで一言も話さなかったネロが重い口を開く。
「誰でもいいわけではない。私達が認めた者でないと。私達の力を貸すのだから」
「あなたは私がいいの?私を選んだの?なんで?」
私は皆から嫌われているのに。
ヴァネッサの言外の意味に気づき、フィオネは顔を歪める。疎まれてきた彼女にとっては単純に疑問なのだろう。皆が選ぶのはフィオネであって自分ではないから。もちろんヴァネッサはそれを当然と思っていた。
「直感だ。不服か?」
ネロの言葉に胸の奥底から感情が込み上げてきた。短い返答。それでもこれ以上ないほどヴァネッサにとって欲しかったものだった。生まれて初めて自分を選んでくれるものに出会った高揚感があった。
そろりとフィオネを伺い見る。ヴァネッサにはフィオネの同意が必要だった。余所者である自分が、彼女らに迷惑をかけないように。いつもそうしてきた。
「お母さんとお父さんに聞いてから」
「うん!ありがとう、フィオネ!」
ぎゅうっとヴァネッサはフィオネに抱きついた。甘えられるのが嬉しくて、なんだかお姉ちゃんのような気分がして、フィオネは抱きつかれることが好きだった。抱きして優しく背中を擦る。
竜と共に帰宅すると案の定驚かれたが、旅に出ることには反対されなかった。後に両親から聞いた話だが、もしかしたらどこかにヴァネッサと同じ黒髪の人が住んでいて、迫害されない場所があるかもしれない。自分たちでは連れて行くことは難しいが、ヴァネッサも心を許している竜が共にいるならば不可能ではないかもしれない、と考えたそうだ。
その時代、貨幣というものが存在しなかったため非常食などを多めに持ち、なにかあったら戻ってくることを約束して旅に出た。
三年ほどかかった旅だった。
まず他の竜と乙女たちと合流した。既に目的がはっきりしていたことと、全員協力的だったため人間間の問題はなかった。
次に水の竜ラクスとその乙女、スレイで島の周りの海流を操作した。今まで島の外という存在を認知していなかったが、竜のもたらした情報によって島を狙う者が島外にいる可能性が出てきたためだ。海流を操作し、一年中ずっと島の周りは渦潮で守られることになる。
島を一周する中で、困っている人を助けたり、住みやすくしたりと手を貸していった。例えば今までなら不治の病とされて放置していた者を治したり。土を肥えさせて植物を生えさせたり。人を襲う獣を狩ったり。その度にこの力が竜の力であることを示した。竜が私達を加護しているのだと。
人は目の前で超常的な現象を見るとその言葉を鵜呑みにするらしく、人々はみるみる内に竜を崇拝するようになった。その力を行使する乙女もまたしかり。
人々の中で竜が神聖な存在になった頃、フィオネたちは町を作った。ばらばらの人々のまとまりだった場所を、人々が暮らす一つの単位としたのだ。町を作った後は町を繋ぐ道を作った。それから貨幣も作った。物の価値も定めた。これら全て竜の知恵からもたらされたものだった。
人々は竜だけでなく、その乙女も敬った。竜の超常的な力を行使する乙女たちもまた、只人ではなく感じたのだろう。ただヴァネッサを除いて。
ヴァネッサとネロの力は人々の心に巣食う負の感情を糧にしている。怒り妬み不安などなど。負の感情を取り込み、闇の力を使っている。影を使って物を動かしたり切ったりすることも可能だった。使用方法は多岐にわたる。ただその力の源故に人々はやはり闇の竜の乙女を忌避した。表立ってはいわないものの。
ただヴァネッサが人々の負の感情を吸収していたことで、島の統治が大きな障害もなく進んだことも事実だ。反発や恐怖などの感情をとり、空いた心の部分に竜への畏怖や信仰が満たされる。そうしてここまできた。
竜たちの提案で島国に王をたてた。乙女たちの代わりに島を統治する存在だ。そのために島の中央、どこからでも行きやすい場所に首都を作った。同じ場所に竜を祭る神殿も作った。
グラスティア島が国として成り立ち、初めての祭の日。ヴァネッサは苦しくて部屋の隅に蹲っていた。
「ヴァネッサ、まだ負の感情をためてるの?もうやめたほうがいいよ。こんなに苦しそうじゃない」
「大丈夫だよ、フィオネ。まだ国として軌道にのったばかりだもん。国が落ち着くまではまだ必要だよ」
ヴァネッサをぎゅっと抱きしめた。彼女の苦しみを癒やすように。事実、抱きしめるとヴァネッサの顔色も幾分よくなる。
背後でパンパンと花火が打ち上がる音が聞こえる。開会式が始まる合図だ。
「ありがとう、フィオネ。あなたはもう行かないと」
開会式では竜の乙女の代表としてフィオネの口上があった。今から向かわなければ間に合わないだろう。
ヴァネッサを支えようとした手は彼女によってやんわり剥がされて、先に行くように促される。彼女の好意に甘えて先に行くことにした。
だがヴァネッサがやってきたのは開会式が終わった後で、事情を知らない王や民はその姿に眉を寄せた。
そのときまでは私たちは大丈夫だと思っていた。うまくやっている、と。正しい道を進めている、と。目の前のことから目を背けて。
だんだんと崩れていっていることに気づかずに、気づけば二年が過ぎていた。




