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本で見たカンガルーのような姿。尾は二つに別れていたが恐らく腹と思しき部分に袋もあった。魔物はフィーネを見つけると目を三日月形にして手を伸ばしてくる。
フレイヤが魔物の手に火を放ち、ファムがフィーネを抱えて家の外へと飛び出た。イエリナとノルとクランは蔦を使ってあとに続く。
魔物はキョロキョロとフィーネを探していた。ラクスとルブリムは魔物の周囲を飛んでいるが特に攻撃はされていなかった。ハエ程度にしか思られいない。あの魔物の目的はフィーネということだろう。クランの雇い主の男は置いてきてしまったが仕方ない。魔物は彼に興味を示していない様子だったからいいだろう。
「あれは私を狙ってる!私が囮になるよ!」
「一人じゃ危険よ!ひとまずクランを家に戻してから、テラーを連れて砂漠に…」
フレイヤが説明しながら視線をノルの家の方へ移すと、そこには何もなかった。正しくはあったはずの家がなくなっていた。
確かにあそこはノルたちの家があった場所だ。そこから砂煙が上がっている。さっと血の気が引いた。敵は先にテラーのいた場所を襲撃していたのだ。
近づくと瓦礫の山が見えて呆然とする。つい先程まで笑顔で話していたのに。
ずんずんと体の芯に響く音で意識が戻ってくる。今は魔物に追われていたのだった。
「…このままだとまずい。二手に別れよう」
「あたしと兄さんとフィーネが魔物を引き付けるわ。イエリナたちは生存者を探して。テラーも、そんなやわな子じゃないわよ」
二人の意見にフィーネは首肯する。ぴょんぴょんと屋根伝いにノルたちから離れて砂漠へと向かうと魔物もそれを追いかけて方向転換した。
イエリナは植物を使って瓦礫を慎重に除けていた。ノルは呆然と瓦礫の山を見ている。瓦礫にはいくつか血痕があった。その事実を受け止められないでいた。
クランはすぐに気持ちを立て直したのかイエリナを手伝っていた。周りからは叫び声や怒号が聞こえた。住民たちが魔物から逃げようと慌てふためいている様子が見なくてもわかる。
瓦礫を撤去していると、圧死した子どもたちが何人も出てきた。数は数えなかったがこの分だとほぼ全員亡くなってしまった可能性が高いと考えられる。
「イエリナさん、もうやめましょう。誰も、生きてません…」
「まだ、テラーいない!」
項垂れて服の裾をぎゅっと握るクランに構わずイエリナは瓦礫を避け続けた。
おぎゃあ〜!
突然目の前の瓦礫の山から赤子の声が聞こえた。ノルははっと顔を上げて声のしたほうへ駆け寄り瓦礫を退かす。するとその中に四角い土で出来た箱のようなものにたどり着いた。トントンと叩くと瞬時に砂へと変わり、中からテラーとアースと赤子が現れる。
「ごめん、なさい。私が、いたのにっ…この子しか、助けられなくて…」
地べたに横になっているテラーが真上に赤子を持ち上げたため、クランが代わりに抱っこした。赤子は少し砂で汚れているものの元気に泣いており命に別状はなさそうだった。
テラーが子どもたちと遊んでいる最中にいきなり魔物が突進してきて建物を壊していったので、アースが土を使ってテラーを守ったそうだ。そのため抱きかかえていた赤子だけは無事だった。テラーは咄嗟のことで反応できず、衝撃で体を地面に叩きつけたため動けずにいた。
「…ありがとう、この子を助けてくれて」
クランがテラーの頭を優しく撫でる。より涙が溢れて止まらなくなり、テラーは腕で目元を隠してしゃくりあげた。
「お姉ちゃんなら、もっとうまくできたはずなのに」
ノルはテラーが溢した言葉にきゅっと下唇を噛み締めた。キッと魔物が去っていった方角を見つめて立ち上がる。
「イエリナ、行くぞ。クランたちはここにいろ」
「うん!」
テラーの体を支えるクランの顔は不安気だった。手に力を込めて、口を開けたり閉めたりして、結局何も言えずに真一文字に閉じた。ノルたちが去っていく、小さくなっていく背中を見てやっと 気をつけて、と掠れた声が出た。
魔物のスピードが速くなかったため、砂漠へは難なく移動できた。周囲に人はいない。ここならば誰かを巻き込む心配もない。
移動中に立てた作戦はこうだ。フィーネが砂漠の真ん中で囮になり、直進してきた魔物を浄化する。体が大きい為時間がかかる可能性も考えて、両サイドからフレイヤとファムに攻撃してもらい勢いを殺し、足止めしてもらう。単純だがこれが確実だと考えた。フレイヤの火では命を奪うまでに時間がかかるし飛び火する可能性がある。ファムの斬撃では大きな魔物を絶命させるためのリスクが高すぎた。
ようは私が要ってこと!
砂漠の真ん中で仁王立ちしていると、建物の上から魔物の頭が覗いて見える。こちらが一人なのを確認すると、魔物は体を縮こませて足に力を込めて思いっきり飛び出してきた。
先程のゆったりした歩みが嘘のような素早い動きに驚きつつも、とっさに光の粒子を前方にぶつける。しかし魔物は身を屈めたりターンをしたりしながら軽やかに避けてどんどん近づいてきた。光を生み出し動かす速度は初めてのときよりも格段に上がっているのに、魔物の速度はそれを上回っていた。フレイヤとファムも魔物の予想外の動きに反応が遅れてしまい魔物の後方を必死の形相で駆けているのが見える。
あ、と思ったときには既に遅く、魔物の拳がフィーネにぶつかり体が宙に舞う。
「フィーネ!!」
ごほっと口から血が吹き出した。ズキズキと腹部が痛む。拳と体の間に光でクッションを作ったが、吸収しきれなかったらしい。衝撃で頭が動かない。浮き上がった体が重力に従って落ちているのだけは理解できた。
フレイヤが魔物に火を放ちながらこちらを見上げて何か言っている。魔物が再び拳を自身に向かって振り上げているところがスローモーションで見える。避けられないと悟った。当たったらきっと死んでしまう、とも。光を出すためには集中しなければならないが、意識が霧散してしまう。
もう少しで拳が当たる、というときに魔物の体を植物の蔦が貫いた。魔物は思わず体を横に倒す。
フィーネの体は砂漠から吹き出た水にキャッチされて徐々に地面へ下がっていく。状況が飲み込めずに呆然としているとノルとイエリナが近づいてきた。
「何無茶してんだ!」
「体大丈夫?」
イエリナの疑問に首を縦に振ることで答える。腹が痛くて今話すと血が吹き出そうで口をさっと押さえた。
そこにルブリムとラクスがぱたぱたとやってくる。
「光の竜の乙女はね〜自分の傷は癒せないんだよ〜」
「だけど自己治癒力は高いから安静にしていればすぐ治る」
その言葉に二人はほっと表情を緩めた。やがて魔物に火を放っていたフレイヤとファムも合流する。
「どうする!?あの魔物、私の火だけだと焼き殺せないわ!今までの魔物よりはるかに大きくて頑丈よ」
魔物は土煙でフィーネたちが見えない様子だが、いずれ見つかってしまう。ノルがすっと手をあげた。
「俺に考えがある」




