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「どうして!?エレツが土の竜の乙女でしょ!?」
「彼女はもう力を行使することができないから、僕がはずしたんだ」
アースは頭をふる。フィーネが以前、風呂にはいったときに見たエレツの紋様を確認するため服を剥くと、確かにかつて紋様があったところにはなにもなく、綺麗な肌になっていた。
「…処女のままであっても、自身の乙女がそれにふさわしくない、力を使えない状態と判断した場合、竜側から解除することができるんだ」
ルブリムがフレイヤの肩に乗ったまま補足する。
「でも、妹が次の竜の乙女になるなんて…」
「それは僕にも予想外だった。誰に紋様が現れるかは、僕たち竜にもわからないんだ」
一番適した、素質のある少女が選ばれるから。
エレツの妹にカーテン裏でフレイヤと共に体を確認してもらうと、姉と同じ紋様が背中にあったらしい。彼女もいつ紋様が現れたかわからないようで戸惑っている。涙が引っ込んで落ち着いたエレツの妹は自己紹介をしてくれた。
名前をテラーといい、今年で十一歳になるという。姉と父との三人暮らしだったが、つい先日騎士だった父も魔物との戦闘で命を落としたらしい。あっという間にテラーは一人ぼっちになってしまったのだ。
通常十二歳で紋様が現れる。テラーのケースはとても珍しく、アースたちにも理由はわからないらしい。一番適したのが彼女しかいなかったのかもしれない。そして今急を要する状況ということかもしれない。
十二歳のフィーネでも旅は大変だったのに、年下のテラーがついていけるのだろうか。エレツの代わりに危険な目にあわせることになるのにいいのだろうか。でも彼女がいないと魔物の元凶を絶ちにいくことが難しくなる。ジレンマを抱えて悩んだ。
「…少し、時間をください。今は受け止めるだけで精一杯で」
テラーは胸をぎゅっと握りしめて頭を下げた。近くで竜の乙女としての姉を見てきても、やはり実感はわかないし困惑しているのだろう。
それからテラーも一緒に光の竜の間へ移動する。王女からの許可も既にとっていた。光の竜の間は城の中央の最上階に位置する、遠くが見渡せるような高さにある部屋だ。その部屋の扉だけは真っ白く、穢れのないものだった。女王と共に中へと進む。
部屋の中央には白い竜が目を閉じて立っている。まるで彫刻のようにぴくりとも動かず、美しい鱗は光を反射して輝く。フィーネたちに気づいているはずなのに目すら開かない。私は光の竜の乙女のはずなのに、とフィーネは心が苦しくなった。
「光の竜は魔物を抑止するために、数年前からずっとこの状態なのです」
女王が悲痛な面持ちでいう。フィーネはネックレスの鱗を竜に重ねて見てみる。光を反射したときの輝きがそっくりに感じた。かつて助けてくれたのは光の竜だったと確信する。
「じゃあ、ここから竜に纏わる本当の話をしましょう」
フレイヤが一歩前に進み出て、皆を見渡す。
「この国に来た竜は本当は五体ではないの。六体なのよ」
火の竜、水の竜、土の竜、木の竜、光の竜、そして闇の竜。彼らはそれぞれ自身の乙女を選び、力を使い島を豊かにしていった。島の周りの水流を操り外敵から島を守り、島全体に川をひき、土を豊かにして農作物や木の成長を促し火山を活性化させることもした。光は様々な生命の力を向上させた。一方、闇は人々の負の感情を一心に引き受ける役目をおっていた。その闇の竜と竜の乙女が、魔物を生み出す元凶になってしまったのである。
「なんでそんなことになったの?」
「それはあたしたちにもわからないの。この話は女王と竜の村の長、そして火の竜の乙女しか知らない。初代光の竜の乙女と女王の手記に書かれていたことなの」
他の竜も何故闇の竜が魔物を生み出す原因になったのか、口を噤んだままで、手記にも理由はぼかされて書かれているため知る術がない。アースとルブリムも下を向いて口を閉ざしたままだ。ただかつて竜と乙女たちが暮らしていた場所が、今魔物が現れ続けている島の中央部、闇に包まれている場所ということは書かれていたらしい。
民に伝えられていた話と真実は巧妙に事実を隠されていたのである。竜を神様のように崇めていたのに、実は自分たちを苦しめている魔物の元凶が竜であると知ったら人々がどうなるかわからない。隠されていたことは仕方なかったことなのかもしれない。
闇の対は光だからフィーネがなんとかしないといけない、ということか。そして光の竜がこの部屋でまるで眠っているように動かないのも、同じ理由なのだろう。エレツもまた、真実を知らなかったのである。
「光の竜、リヒトがここで祈り続けなければ今頃国は魔物で溢れかえり、人は死に絶えていたことでしょう」
祈りのためにここに縛り付けられているなんて、とフィーネは顔を歪める。竜自身が選んだことだとしても、あんまりだと思った。
そしてやっとわかった。シネラ市で会った女性はきっと闇の竜の乙女なのだと。影や闇を自在に操っていた彼女以外に考えられなかった。会った闇の竜の乙女が初代なのか、代替わりしているかはわからない。だが彼女を癒さなければならないのだ。
女王から魔物の元凶を絶つことをお願いされて各々部屋へと戻った。テラーは医務室でアースと共にエレツの傍で寝ることにしたらしい。明日首都を出発するため、その前にテラーも答えを出すのだろう。
広いベッドで足を抱えて考えていた。闇の竜と乙女と、シネラ市で会った女性について。仮に予想が正しくて彼女が闇の竜の乙女だとしたら、自分を誰と勘違いしていたのだろう。フィオネとは誰なのか。疑問は尽きない。光の竜とも話ができると思っていたのに、彼は滞在中一度も目を覚まさなかった。
ネックレスの鱗を手で遊んでいるとノックの音がして、慌てて扉を開けた。
「こんばんは、光の竜の乙女。よければお茶でもご一緒しませんか」
扉の前には謁見のときに女王の傍にいた男性、王子がいた。
侍女が部屋のテラスにお茶の用意をして下がっていったのを確認してから、椅子に座った。王子に勧められて高そうな焼菓子を口にするも、エレツたちと食べたケーキのほうが美味しかったな、という気持ちと緊張からそれ以降手は出さなかった。
王子は最初のうちは首都や国のこと、魔物の様子等の話をしていたがだんだんフィーネの趣味や好きなものについて尋ね始めた。話の繋がりや意図を見いだせず、適当に相槌をうっていた。不敬かもしれないが早く帰らないかな、と思いながら紅茶を口に含んでいた。
「全てが終わったら、私と結婚しないか?」
思わず紅茶を吹き出しそうになり、慌てて咳き込んだ。この人は一体何をいっているのだろうか。あまり聞いていなかったため、唐突な申し入れに目を白黒させる。自分はまだ十二歳で結婚できる年齢でもないし、年の差だってあるのに。
「竜の乙女がこの国の王になるほうが素晴らしいと思わないかい?」
それからフィーネにはよくわからないことをとうとうと語り続けた。国民のためにも、とか。乙女の素晴らしさ、とか。一つも頭の中には入ってこなかった。
突然手を触れられた瞬間に頭がガンガンと軋み始めてカップを倒して机に突っ伏してしまう。痛みに目を閉じると脳裏に白い髪と黒い髪の女性、そして倒れている着飾った男性のイメージが浮かぶ。顔はぼやけてはっきり見えないが、何か言い争いをしているような雰囲気を感じる。
頭の痛みが消えると脳裏に浮かんでいた映像も霧散してわからなくなった。目を開けるといつの間にか自分は地面にへたれ込んでおり、フィーネの前に王子から守るようにフレイヤとファムが仁王立ちしている。
「王子、こんな夜に女の子の部屋にいるなんて、ちょっと考えたほうがいいのでは?」
フレイヤが言外に早く立ち去れという。やれやれと肩をすくめた王子はフィーネに手をふって帰っていった。
「全く…王と乙女が何故交わらないかも理解していないのね」
ぼそりとフレイヤが呟いた言葉を理解することができなかった。大丈夫?と背中を擦られても頭がぼーっとしていて返事ができなかった。
白い女性は、どこかで見たことある気がする。
ぼーっと脳裏に浮かんでいた女性について考えていると、ファムによってベッドまで移動させられていた。お姫様抱っこなんて貴重なのに、惜しいことをした。
「なにがあるかわからないから、今日は一緒に寝るわよ」
「えっ私、行きたいところあるんだけど」
こんな日が沈んでから?との疑問も最もだが、仕方あるまい。フィーネは光の竜の間に行きたかったのだ。皆で入ったときにはゆっくりと話しかけることもできなかった。だから改めて会いたかった。
「なら兄さんをつれてって。一人じゃ危ないわ」
「そしたらフレイヤ、一人になっちゃうよ。フレイヤこそ危ないよ」
「あたしはイエリナと一緒に寝るから。フィーネも用事が終わったらイエリナの部屋に来て。ここのベッドは大きいから三人でも余裕よ」
いいでしょ?とフレイヤがファムに問いかけると彼も首肯する。結局フィーネはファムと一緒に光の竜の間へ向かった。
歩いている人は誰もいない、見張りの騎士がいるだけ。カツカツと足音が響いて少し緊張した。会話はなかったがそれでも気まずさはない。部屋の前まできて一人で入りたい旨を伝えると何かあったら声をあげること、と約束して許可がおりた。
扉を後ろ手で閉めて、中央にいる光の竜のもとへ進む。目も開かず、日中に見たときのまま動いた様子がない。その足元に腰をおろし、手をかざした。触れていいものか悩み、ただ宙で静止させる。
「あなたが昔、助けてくれたんだよね。この鱗もあなたのものでしょ?そんなに前から私があなたの乙女だってわかってたの?なんで伝えてくれなかったの?なんで迎えにきてくれなかったの?一言も話せないぐらい、しんどいの?」
なんで、なんで。答えが返ってこないことはわかってても投げ掛け続けた。聞ける相手はあなたしかいないんだ。
「…夢をみたの、何度も。白い女の人と黒い女の人と…誰かと話していたり、なんだか悲しい光景を」
あれはなに?
答える声はやはりない。腕に突っ伏して涙を堪える。皆辛くて、皆大変で、自分の気持ちを吐露したらきっと慰めてくれるけれどそれを望んではいないから溜め込んでいたのだ。矢継ぎ早に話して落ち着いてきたのか、心は不思議と早朝の水面のように穏やかになった。
「…もっと強くなりたいの」
フィーネの声が部屋に響く。光の竜の鱗が月の光を反射して部屋を明るくするのみで、辺りは静かだった。
フィーネは暫くそのまま、竜の足元で踞っていた。




