エレツ
町で馬を手配した一行は二か月間の旅路の末、首都に最も近い市、シネラ市へと到着した。
道中魔物と何回も遭遇したものの、成長したフィーネたちにとってはさほど苦労せず倒せる相手ばかりだった。ただ首都に近づく分、遭遇頻度が高まったため疲労感は抜けなかったが。
シネラ市は高い壁に囲まれており、壁に結晶を設置しているため魔物が侵入することが滅多にないとされている。首都はシネラ市よりも広く、高い外壁に囲まれているらしい。
フィーネは生まれてから首都には行ったことがなかったため、わくわくしていた。もちろんシネラ市も初めてで心踊らせている。
建物はレンガ造りの鮮やかなものが多く、地面は石畳だった。店も屋台や市場という雰囲気ではなく、おしゃれな雰囲気がある。教会もあるようで、竜を祀っているらしい。どれも初めて見るもので目移りしてしまう。
「今のフィーネは、初めて町に出たイエリナみたいね」
フレイヤに指摘されて顔が赤くなる。乗り出していた体を引っ込めてじっと、とフレイヤを見る。仕方ないではないか、素敵なものばかりなのだから。
今日はここで泊まることになったため、少しだけ観光することにした。言わずもがな、フィーネのためでもある。
首都に近いとだけあって歩く人々の服も品があって美しくフィーネは少し肩身が狭かった。自分の服はどうだろう、と見てみると四ヵ月以上もの旅でかなりぼろぼろでよれている気がする。そんなフィーネの様子に気付き、フレイヤは腕をひいて服屋へと連行する。
「ちょ、ちょっと!」
「服、買ったほうがいいんじゃない?ねぇ、エレツ」
「そうだな、丈も短くなってるだろう」
フィーネたちが入ったのはカジュアルな服を多く取り扱っている店で、外観からはわからなかったが落ち着いた温かい雰囲気のあるところだった。
いらっしゃい、と店の奥から出てきたのは優しい目尻に皺のある中年の女性だった。エレツがぺこりと挨拶すると、何か必要があればいってくださいね、といって奥へと引っ込んでしまう。
そこからフィーネのファッションショーが始まる。代わる代わる様々な服を試されて、イエリナもこんな気持ちだったのかもしれない、と思った。当のイエリナは椅子に座って居眠りをしているが。
誘拐の心配がなくなっても旅をしていて動きやすい服が一番だな、と感じていたため基本はそういった服を中心に試着をしていた。遊びでひらひらした可愛らしいスカートも寄越されたが。結局比較的動きやすく明るめの服を購入することにした。金はエレツが出してくれた。遅めの誕生日プレゼントらしい。
「しゃれっけがない服にしちゃって、たまには髪飾りなんかつけてみたら?髪も少し伸びたしね」
フレイヤが手に持った髪飾りをフィーネの髪に当ててみる。花をモチーフにしたバレッタだった。生まれてこのかた髪で遊んだこともなく恥ずかしくなる。拒否するも照れ隠しととられたのかぐいぐいくる。
「いいじゃない!兄さんも異性から見てかわいいと思うわよね?」
ファムは異性として見てないんじゃないか?、とぼやきながらもいいと思うと答える。
無理やり言わせたようにも見えたが、フィーネはそれどころではなく全く気づかなかった。ただ家族以外にかわいいとかいわれたことがなくて顔が火照る。なんだかとても恥ずかしい。
結局髪飾りも買って貰い、つけて歩くことにした。
昼食はエレツのおすすめという狭い路地の先にある、隠れ家カフェのようなところでとった。自家製のパンとシチューは絶品でイエリナなんて一心不乱に食べていた。デザートにケーキまでついてきて、すごい贅沢をしているなぁと思った。ケーキも普段滅多に食べないため味わいながら食べた。
それから町並みを見ながら皆でぶらぶらと散歩をした。エレツは鍛練があるといって市の自営団がいる場所に行ってしまったが。
こんなに穏やかなのは旅をして初めてかもしれない。広い公園では子供たちがボールを蹴って遊んでいたり、遊具で遊んでいたりした。魔物なんて知らない、平和そのもの。
宿に戻って食事をし風呂に入った後、両親への手紙をしたためていた。どんなところにいって、どんなことがあって、どんなものを食べて、見て、どう感じたのか。思いのままにつらつらと連ねる。あとから見たら話題があっちこっちいって収拾がついていなくて笑ってしまう。でもこれがいいんだ。
「書けたのか?」
「うん、明日出そうと思う」
エレツが蝋を使って封をしてくれた。それだけでただの手紙が素敵に見える気がする。
お礼をいってから布団に潜り込む。目を瞑り暗闇のなかで微睡んでいた。
迎えに来たよ
声が頭に響くと共に体が押し潰されるような地震が起こり、慌てて起き上がる。建物はミシミシと悲鳴をあげ体は揺れのためか、恐怖からなのか指一本動かせなかった。
「…建物が崩れる!」
「皆、外へ!」
ファムとエレツに促されてフィーネ以外は窓から飛び降りた。フィーネは体がガクガクいっていうことがきかず、へたりこんだままだったがエレツが小脇に抱えて一緒に飛び降りてくれたため難を逃れた。
窓から飛び降りると下から木が生えており、キャッチしてくれる。イエリナの力もだいぶ上達していた。
フィーネたちが飛び降りた後すぐ建物は支えを失ったように崩れていった。悲鳴は崩れる音にかき消された。瓦礫の隙間から血が飛び散った後や動かない腕が見え隠れしている。
この状況では生存の確率は著しく低い。悲惨な状況にさっと目を逸らす。
「魔物だ!魔物が入ってきてる!」
外壁の方から叫び声がいくつも上がり、火の手もあがっていた。悲鳴の方に目をやると外壁が崩れているのが遠くからでも見てとれる。あの地震は外壁が破られた音でもあったらしい。
ただ、もっと恐ろしい気配を感じた気が…
「魔物の掃討と民間人の避難誘導をするぞ!」
動揺しているフィーネを脇に抱えたままエレツが指示を出す。既に市にいた自衛団は魔物と戦闘していた。フレイヤとファムは共に前線へ加勢をしに、エレツは建物に潰された生存者を探しつつ市内へ侵入した魔物の掃討。イエリナは避難民の護衛と誘導を、フィーネは怪我したものの治癒のため、エレツと行動を共にすることになった。竜は各々の乙女についていった。
「ここ!ここにいる!まだ息ある!」
アースが瓦礫の中を確認して戻ってきた。小さい体はこういうときに便利だ。
エレツが土を使って瓦礫を押し退けて怪我人を引きずり出す。呼吸は弱々しく意識はなかったが、まだ生きている。フィーネは手をかざして光を灯し、怪我を癒した。それからエレツが土で動く人形を作り、避難所まで移動させる。これの繰り返しだった。
ときどき侵入してきた魔物と遭遇したが、ほとんど外壁周辺で退治しているのか漏れてきたのは数匹程度でフレイヤたちの奮闘が伺える。だが外壁の破壊から三十分以上魔物の侵入が続いているらしく、勢いは衰える気配がない。このままでは泥沼だ。
「エレツ、そろそろ避難もすんだよね?外壁の結晶直しにいったほうがいいと思う」
市を一通り見たため、もう生存者もいないだろうと判断した。エレツも頷き、外壁へと向かう。
「迎えに来たよ」
ゾクッと背筋が凍えるような恐怖を背後から感じた。ジュビア森林で闇に感じた恐怖を。ゆっくり振り替えると黒いヴェールに黒い服をきた女性が立っていた。顔は見えないが身長はさほど高くなく、服から覗く肌は白く二十歳前後に見えた。視界に入れた瞬間、体が動かなくなった。女性は口を三日月形にさせて続ける。
「ずっとずっとずっと、探してたの。何度も見つけて、でもあなたじゃなくて。今度はちゃんとあなただよね」
地震が起こる前に聞こえた声に酷似していた。女性がゆったりと近づいてくるのに対し、指一本も動かせない。絶対に近づいてはいけないという予感がひしひしと感じているのに、体は何かで縛られているかのようにいうことをきかない。
「拒絶して!逃げるんだ!!」
アースが女性に突進して行く手を阻もうとするも、彼女の影が鞭のようにしなり、アースを瓦礫のほうへ吹っ飛ばす。はっとしたのも束の間、彼女が目前までやってきていた。
「アースも嫌い。私の邪魔をするの。ねぇ、そう思うでしょ」
女性はフィーネの肩から腕を忙しなく撫でては揉んだりしていた。
「いったじゃない、ずっと一緒って。だから探したの。あなたの痕跡」
髪を掬っては遊び、顔の輪郭を確認するようにすりすりと手で撫でられた。愛でられているように見えるが、そのうち癇癪を起こして首を手折られるような雰囲気もあった。
フィーネは何も発することもできず、ただ目だけを動かして相手を観察する。笑っているようにも悲しんでいるようにも見え、話しかけているのに自分を見ていない感じがした。そしてどこかで見たような気がした。
「フィーネから離れろ!」
カンッとエレツの剣と女性の影が交わる。火花が散るほどの鬩ぎ合い。エレツは眉間に皺を寄せて必死の形相だが、女性はどこ吹く風で微動だにしない。
「あなたも嫌いだったの。いっつも私と彼女の話に入って、私を否定して」
女性は剣を受け止めているほうの反対の影を動かし、エレツの胴体目掛けて突き刺した。咄嗟に体を捻ったものの避けきれずに脇腹に刺さり血が飛び散る。
「エレツ!!」
やっと声が出た。しかし治しにいきたいのに体はまだいうことをきかない。
エレツは脇腹を手で押さえながら連続する影の攻撃をなんとかいなしている。急所は防いでいるが腕や足にいなしきれなかった影が刺さり、ぼろぼろになっている。脇腹の出血が酷いため押さえている手から血が滴りおち、体がふらついている。このままでは最悪の場合、失血死してしまうかもしれない。
早く決着をつけようとエレツは影を躱しながら黒い女性の懐へ潜り込み、剣を振り下ろす。
「嫌い嫌い大嫌い」
女性が手から黒い剣を生み出しエレツの剣を持つ方の腕を切り落とした。血が吹き出し剣は地面へと落下する。エレツは切られた腕の上のほうを、服を縛って圧迫しながらその場に膝をつく。瞬時に二人の間に土の壁を作るも、女性の影によって無惨に切り刻まれてしまう。
「いなくなって」
女性が手を翳すと彼女の影が伸びてエレツの体に纏わりついた。その瞬間、尋常じゃないほどエレツが悶え苦しみ始める。まるでジュビア森林で狼が闇に侵食されたみたいに、エレツの体がじわじわ黒くなっていく。
「やめて!!」
恐怖に取りつかれた体を叱咤して、やっとフィーネは走りだしエレツの前に飛び出て両手を広げる。まだ体はガクガクと震えていた。あれは私がなんとかしなきゃいけない、と直感で感じた。しかしフィーネの力は癒すことでこの脅威をどうにかする術が思い付かない。
フィーネが行く手を阻んだことにより、侵食は一度中断されたものの影はまだエレツを犯そうと虎視眈々と狙っている。
「どいて」
「いや!あなたは誰なの!?あなたこそどこかへいって!!」
その言葉をぶつけた瞬間、彼女はよろけて後退り、頭を抱えて首を頻りに振り始めた。
「なんで、なんでそんなこというの?ずっと一緒っていったのに。私たち、姉妹みたいに育ったのに。私のこと、忘れてしまったの?私を拒絶するの?」
そんなの許さない。
女性はいきなり腕を伸ばしてフィーネの首を締め上げる。腕を持ち上げられて足が地面から離れてしまい、余計にフィーネの首が絞まった。手で引き剥がそうと藻掻いてもあまりの女性の強さにびくともしない。首を絞めながら女性はぶつぶつとほんとはあなたじゃなかったの?それとも記憶喪失?など呟いていた。
フィーネの意識が飛びかけたとき、ネックレスにした竜の鱗が突然輝き始め、女性はぱっと手を離して後退した。
げほげほと咳き込みながら自分の首を締めた張本人を確認すると、鱗の光に怯えて腕で影を作り距離をとっている。
「あああ、あのときと同じ。私からあなたを遠ざける。でもこれでようやくわかった。やっぱりあなたなんだ」
光に照らされて女性の体がだんだん薄くなっていった。光はなおも燦々と輝き続けている。
「また迎えに行くね。待っててね、フィオネ」
黒い服が完全に消え失せると、光も徐々に弱くなっていった。
一体彼女はなんなのか。魔物との関係は?自分を誰と間違えているのか。謎は尽きない。首を絞められた感触がまだ生々しく残っている。
こほっと背後から音が聞こえて思考に落ちていた意識が戻り、慌ててエレツに駆け寄った。まず切断された腕を止血する。フィーネの力でも、失くしてしまったものは元には戻せない。エレツはこれから剣を握れなくなってしまうだろう。それでも命だけは救いたかった。
細かな傷も癒したが、一向に目が覚めない。出血多量で気絶しているにしても呼吸が弱かった。体もどんどん冷えていく。
そこでエレツの体に残る黒い痣のようなものに目がいく。黒い服の女性の攻撃によってできたもの。これがエレツの命を削っているのかもしれない。光を近づけてみても薄くなる様子は見られない。
早くどうにかしないと。
そこではたと気づく。自分はあの攻撃をジュビア森林での闇のように感じなかったか。ならばこの黒い痣もなんとかできるはずだ。狼を救えたみたいに。
体全体をエレツにくっつけて必死に祈った。黒い痣が消えるように。エレツがよくなるように。やがて二人は光に包まれて、黒い痣も徐々に薄くなっていった。フィーネは体を離して様子を観察するとエレツの呼吸は穏やかになっており、痣も完全には消えていないが限りなく薄くなっていた。これで暫く寝ていれば目が覚めるだろう。
体に力が入らなくて、自身より大きいエレツの体を運ぶこともできずその場でしゃがみこんでいた。アースが意識を取り戻しフィーネたちのもとへ戻ってきたため、体の怪我を治癒する。幸いアースの怪我は軽かった。
アースはエレツの体を見た瞬間、悲痛な面持ちになりいつもよく回る口を固く閉ざした。その様子に違和感があったものの、ただ現状を脳で処理するのに手一杯であまり気にする余裕はなかった。
やがてフレイヤとファムがフィーネたちを探しにやってきた。話を聞くと黒い女性がいなくなった頃くらいから、魔物も現れず事態は終息したらしい。
魔物をすべて撃退したあとフレイヤが外壁の周りの結晶を直したためひとまずは安心できるとのこと。フレイヤたちもエレツの状態に顔を歪めたが、すぐに気を持ち直してファムがエレツを背負い避難所へ移動した。移動中に自分が遭遇したことをなるべく細かく説明するとルブリムとフレイヤは顔を青ざめて口を噤んでしまう。
一様によくない面差しを向けられると思考はどんどん嫌なほうへと向かっていく。
イエリナと合流した頃には市の自衛団が簡易のテントを設置していたため、そこで寝ることにした。怪我人はフィーネが治癒したのでほとんどいない。ただ死亡者は数えきれないほどで捜索もまだできていない状況だった。建物もほとんど壊されてしまい、明日のことも考えられない現状で市民は竜の乙女たちに感謝を示し、頻りに頭を下げていた。この惨状で素直に謝辞を受け止められなかったが、この国にとって竜の存在がいかに大きいのかを改めて感じた瞬間だった。
イエリナは眠るエレツに抱きついてわんわん泣いていた。イエリナがフィーネの次に懐いていたのはエレツだったため無理もない。イエリナの背中を優しく撫でて眠るように促し、フィーネも床に就く。きっと明日には目を覚ますはずだから。
その晩に見た夢は暗闇の中で、あの黒い女性が自分を抱き締めているものだった。頻りにごめんなさいと謝っている。会ったときと真逆な印象を受けた。あなたは誰なんですか、と聞きたいたのに残念ながら声は少しもでなかった。黒い女性がフィーネの顔を包み込みヴェールを脱ごうとした瞬間に目が覚める。
あの人、泣いていた…
ぼーっとしたあとにエレツの様子を確認した。顔をぺちぺち叩いても目を覚まさない。腕を切り落とされたのだ。体力も戻っていないし目を覚まさないのも仕方ない。そう自分に言い聞かせて身支度を始めた。
このとき既にエレツの体の、竜の乙女の証とする痣は消えていたのに気づかなかった。
首都へと向かうのに荷馬車を用意してもらいエレツを横に寝かせて移動することにした。市長からは留まってくれないか、といわれたものの自分たちにはやらなければいけないことがあるため断った。結晶は機能しており、自衛団もいる。問題ないだろう。フィーネたちは早く最後の乙女をみつけて魔物の元凶を絶たなければならない。
通夜みたいに皆終始無言だった。
首都へ移動する道中、エレツが目覚めることはなかった。




