木の竜の乙女
朝露が日差しを受けてキラキラ輝いている。清涼な空気が肺に満ちて、気持ちのいい朝だ。
フィーネたちは食べられる木の実を探して、持っていたパンと一緒に食べた。口の中で弾けて甘い木の実は、初めての味でとても美味しかった。
朝食を済ませたあと、トーリの後について狼を探す。匂いでわかるらしい。ルブリムとアースはお腹がいっぱいでそれぞれファムとエレツの肩で寝ていた。その様子の違いにぷっと吹き出してしまう。
「向こうもこちらの動きを察して動いているようですね」
何時間か歩き続けていたとき、トーリはそう溢した。
「狼は私たちに会いたくないってこと?」
「恐らく」
それはとても困る。イエリナの心を動かすためにも接触は必須だった。
「あたしたちの足の速さが駄目なら、竜の背に乗って連れてってもらうしかないんじゃない?」
妙案だ。この地は木の根が隆起しており歩きづらいが空なら遮るものもない。格段に早く狼に会えるだろう。ルブリムとアースを見ると明後日のほうを見て聞こえなかったふりをしている。人を連れて飛ぶ気はさらさら無さそうだ。
「私が乗せていけますよ」
トーリが提言する。この中のだれがトーリの背に乗るか、四人はお互いを見やる。
「フィーネがいいんじゃないか?一番背が小さいし」
「体重も軽いわよね」
「…そうだな」
「えぇ!??」
三人ともフィーネを指名する。悲しいかな、多数決は覆らなかった。三人とも空を飛びたくなかったに違いない。ジト目で見るも皆さまざまな方向へ視線を泳がせている。
「では行きましょう、フィーネ。しっかり掴まってください」
「うん」
トーリの首にぎゅっとしがみつく。翼を大きく広げ、砂埃をたてながらゆっくり上昇した。三人が木の葉に隠れて見えなくなり、やがて視界が開けて森林を眼下に置く。昨日の崖よりさらに高い位置にフィーネとトーリはいた。崖から落ちたことがフラッシュバックしてぞっとする。
「こちらに気づいて逃げていますね。振り落とされないように気をつけて」
えっ、という言葉は空を駆ける風の音でかき消された。耳がごうごうとして痛く、顔に打ち付ける風で目が開けられない。自分がどこにいるのか、時速何キロで飛んでいるのかわからないが、振り落とされないように必死で首にしがみついた。
何分経ったかわからない。体感時間ではとても長く感じた。ぐるりと旋回して降下し、浮遊感に見舞われる。速度が落ちていきやっと目を開けることができた。
トーリが狼と対峙しているところが見える。トーリはふわりと着地し、フィーネを降ろしてくれた。
「逃げなくてもよいでしょう。彼女たちはまず話をしたいといっているのですから」
狼はトーリをじっと見つめた後、喉を鳴らした。
「まだ見極めているところだった、といっています」
「言葉が通じるの?」
トーリが狼の言葉を通訳してくれた。
「ええ、私は他種族の言葉がわかります。彼女は長く生きてますから、人の言葉も理解できるのです。そのまま話して大丈夫ですよ」
通訳できるトーリもすごいが、人の言葉を理解できる狼も十分すごい。フィーネは純粋に感心した。
「あなたはイエリナを人の生活の輪にいれたいと考えているんですよね。私たちはイエリナに一緒に来てもらって魔物の元凶を断ちたいと考えてます。望むものは一緒ではありませんか?説得するのを協力してくださいませんか?」
狼の瞳をじっと見つめて懇願するも、狼は頭をふり悲しげに喉を鳴らす。
「確かにイエリナが人としての生活をすることを望んでいる。しかし、彼女が望まないことを無理強いすることはできない。彼女の意志を尊重したい。それにあなたたちと一緒に行けばイエリナが傷つき、死んでしまうかもしれない。だからあなたたちと同行するのは看過できない、と」
確かに母親代わりの狼にとって、イエリナの身の安全を考えるのは当たり前といえる。また狼は群れで生きる生き物と本で読んだが彼女は一匹で、しかもイエリナを一人立ちさせようとも考えている。そのあべこべさに疑問を感じるも、母親としての立場で考えを述べられると言葉がでなかった。
「フィーネ!」
そこに三人と二匹がやっと追い付いてきた。ぞろぞろと増える人を静かに眺める狼。フィーネは先程のやり取りを簡潔にまとめて説明した。
イエリナが自分の意志で決めたことを尊重したいが、死地に向かうようなことはさせたくない、と。我ながら的を射る説明だな、と思った。
「ならまずは私たちが強く、イエリナが怪我をしない、もしくは怪我をしても軽症だろう、と母君に判断してもらえばいいのだな」
「それでイエリナが森林の外に、あたしたちと一緒に行くって言えばいいのよ」
エレツとフレイヤが腰に手を当て意気込んでいる。確かに二人の意見が最も的確な気がした。
「フィーネは崖から落ちかけたのに?もう一人も守れるの?どうやって強さを見てもらうの?」
「ちょっと黙ってろ」
ぶんぶん飛び回り痛いところをつくアースをエレツが手で払う。もう、ひどい!とアースがぷんぷん膨れていたが、この大事な場面で茶々をいれるほうもどうかしていると思った。
狼は短く喉を鳴らし、踵を返した。
「好きにすればいい、といってます」
狼の背中が森に消えてから、フィーネたちは話し合う。
「でも強さを見せるってどうすればいいんだろうな?狼と戦うか?」
「それはさすがにやめておいたほうがいいと思うわ」
あまりに物騒な物言いにフレイヤが待ったをかける。力を示せても信用がなくなる可能性もある。
「ひとまず私たちを知ってもらうために、暫くここで生活してみるってのはどうかな?」
フィーネの提案にファムとフレイヤも賛同した。エレツは釈然としない様子だったが、他に方法も思い浮かばなかったのか首肯した。
魔物の影響が日に日に大きくなっている中、悠長なことはしていられないが致し方あるまい。信頼や信用は一日では築けない。
「でしたら水辺の近くがいいかもしれません。彼女たちの寝床の近くは逆効果でしょうし、水辺ならイエリナもよく行きますしね」
「そうだな。トーリ、水辺へ案内してくれるか?」
フィーネたちはトーリの後に続いて水辺へと移動した。テントをはり寝床の準備をする。ジュビア森林ではあまり魔物はいないが、念のため結晶も設置する。
それから食料の調達をした。湖で魚を釣り、木の実やきのこを集めたりするとあっという間に夕暮れ時になった。フレイヤとルブリムに火をつけてもらい、魚ときのこに串を刺して焼く。
「ここだと火をつけるのも大変そうね。燃え移らないように周りを気にしないといけないし」
「イエリナたちはどうしてるんですか?」
生です、とトーリに言われて生で食べるところを想像するも自分には無理だな、と感じた。あまり美味しそうではない。
「肉は食べるのか?」
「ときどき食べてましたよ。怪我してたり弱ってる動物を狩ってましたね」
ふーん、とフィーネは聞き流した。魚の香ばしい匂いが漂う。そろそろ食べ頃だろう。手にとり串のままかぶりつく。弾力のある食感と塩をかけたことによるしょっぱさと魚の旨味に舌鼓する。それから木の実ときのこも食べて火の後始末をした。
湖で顔を洗っていると狼の遠吠えがした。昨日と同じ声だ。きっとイエリナの母代わりの狼のものだろう。
「なんで遠吠えしてるんだろう」
「さぁ?他の狼と意志疎通でもしてるんじゃない?」
今のところ他の狼は見てないけど、とフレイヤは肩をすくめた。テントの中で目を閉じると様々な音が聞こえた。葉が擦りあう音、虫や鳥の鳴き声、風で水面が揺れる音。イエリナはこのような環境で毎日寝ているのだろう。これはきっと自然の子守唄なのだとフィーネは思った。
朝食をとったあと、各々は自身の鍛練を行った。もしかしたら魔物ももっと強くなるかもしれない。何事が起きても対応できるようにしなければ。休む暇などないのだ。
フィーネが光の玉を作って動かしたり、形状を変えてみたりしていると背後から木の枝が折れる音がした。振り返るとそこにはイエリナがいた。興味津々な顔でこちらを見ている。
「イエリナ、こっちおいでよ!近くで見ない?」
フィーネの言葉に素直に近づくも、目は光の玉から離さない。よほど不思議らしい。
「触っても平気だよ」
恐る恐る手を近づけて、光の中に突っ込んだ。手を開いたり閉じたり、掴もうとしているようだ。
「あったかい、ふしぎ」
「これは私が光の竜の乙女だからできるんだよ」
フィーネはイエリナの腕に擦り傷があるのを確認して、光の玉を近づける。光が傷に触れるとじわじわと赤が消え皮膚が再生していき、傷がなくなりきれいな肌が現れる。イエリナは初めて見る現象にきょどきょどして腕と光を交互に見た。
「私の癒しの力だよ」
イエリナはぴょんとフィーネに抱きついて頭を擦り付けた。フィーネよりも大きいイエリナにすっぽり包まれて少し息苦しかったが、感情をそのままぶつけるイエリナが可愛く思えた。
おっきな犬みたい。狼に育てられたから、行動が少し似ているのかもしれない。犬なら尻尾をぶんぶん振っているだろう。
「イエリナ、お前好き」
「お前じゃなくてフィーネだよ」
「フィーネ好き」
すんすん匂いを嗅がれてくすぐったい。頭を優しく撫でてイエリナの顔を覗き見ると頬を紅潮させてこちらの反応を伺っているように思えた。少しだけ距離が縮まったのかもしれない。
「イエリナは木の竜の乙女としての力、何か使えるの?」
「イエリナ、わからない」
「トーリに何も教わってない?」
イエリナは首を縦に振った。しょんぼりして上目遣いでフィーネを見ている。どちらが年上かわからなくなってきたが、お姉さん風を吹かせられてフィーネは心が踊った。今まで年下の面倒を見ることが無かったのだ。
「トーリに聞きに行こうよ」
フィーネはイエリナの手を取り、トーリのもとへと向かった。フィーネの身長のほうが低いので、イエリナが背中を曲げる形になるが従順についてきていた。
それからトーリとフィーネ、イエリナで特訓を始めた。木の竜の乙女としての力はやはり木や植物を操ることらしい。木を思う通りに動かしたり、木の成長を促進させたり、自然に則した力だった。幼き頃より自然と共に過ごしてきたイエリナにはぴったりの力のように感じる。
「まずはあそこの木の根を動かしてみましょう」
「頑張って!想像すると案外簡単にできるよ!」
イエリナが木に手をかざすと数分後にぼこりと根が動いた。にょろにょろと伸びてきてフィーネの頬を撫でる。ぱっと満面の笑みを浮かべるイエリナに、称賛を送った。
再びぴょんとフィーネに抱きついて足をバタバタさせていると、先程動かした根もイエリナにつられるようにバタバタと動いた。
「イエリナ、できた!」
「うん、すごいよ!もっといろんなことできるように一緒に練習しよう?」
イエリナは首をぶんぶん振った。一時間ほど練習をして、テントが張ってある場所へ戻るとフィーネ以外全員揃って食事の支度をしていた。
警戒心丸出しのイエリナはフィーネの背中に隠れてフーフーと威嚇している。
「私たちで支度を済ませるから、フィーネはそこでイエリナと待っててくれ」
エレツの言葉通りイエリナと共に木の幹に腰掛けて、話をした。普段なにをしているのか、どんなものを食べているのか、昨日見た面白いもの等。
「イエリナはお母さん、好き?」
「好き!フィーネもトーリも好き!」
周囲に花が飛んでいるみたいに満面の笑みで答えた。しかし、瞬時に笑顔が陰る。
「でもイエリナ、お母さんと違う」
「どこが?」
「足速くない。四足歩行遅い。毛も少ない。爪も牙も鋭くない」
イエリナの主張に苦笑する。人と狼では異なる部分があまりに多い。それを真面目に悩んでいる。母親と子は同じ種族と認識しているのかもしれない。
「違ってても、イエリナのお母さんに変わりはないと思うよ。イエリナのお母さん、イエリナのこととっても大事に思ってるもん。違ってるところがあってもいいんじゃないかな」
イエリナはきょとんとして、フィーネの言葉がわからない様子だった。言葉に慣れないイエリナには少し難しいのかもしれない。
フィーネは母に思いを馳せた。家にいるとなんだかんだ反発や不満を抱いてしまったものだが、離れてみると大切にされていたと実感する。元気かな、と想像した。母に切ってもらった髪も少し伸びてきた。毛先を指に絡めて遊び、気恥ずかしさを紛らわした。
「フィーネ、食事できたわよ」
「はーい!」
フレイヤに呼ばれて、フィーネはイエリナの手を引いて歩いた。香ばしい匂いに気づいたのかイエリナは涎を垂らしていて思わず苦笑した。
鍋の近くに腰をおろし、エレツが皿にスープをよそってくれるのを待った。今日はきのこのスープに乾パンだった。イエリナは皿に顔を近づけて鼻をひくつかせた後、躊躇なく皿に顔面を突っ込んだ。犬が器のご飯を食べるように。
「い、イエリナ!待って!スプーン使おう!」
フィーネが慌てて顔をあげさせると、顔一面にスープをこびりつかせて眉をひそめてぺろぺろと口の周りを舐めている。フィーネが隣で見ててね、といってスプーンを使ってスープを飲んだ。
「こう」
「こう?」
イエリナは見様見真似でスプーンをグーで握りしめ、皿から掬って飲んでみる。スプーンの握り方が赤ん坊みたいだが初めてだしいいだろうと思い、フィーネはよくできましたと頭を撫でる。
フィーネからの合格が出たため一心不乱にスープを飲んで乾パンを口に詰め込んだ。もきゅもきゅとリスのように頬っぺたいっぱいに食べ物を詰め込んで咀嚼しているところを見てから、フィーネも自分の食事を再開した。その二人の光景を温かい眼差しで三人に見られているとは知らずに。
「イエリナは体とかどう洗ってるの?」
「水流す」
食事を終えて体を洗おうとしたとき、ふとイエリナはどうしているのか気になった。イエリナは湖を指差して答える。確かに森林で狼と共に暮らしていたら体を洗ったりしないだろう。からすの行水のようなイメージが浮かんだ。
ならお風呂というものを教えよう、と思った。温かいお湯はないが、洗うという行為を教えたかった。
きれいにしてあげる、といってフィーネはイエリナの手をとって湖に向かう。服を脱いで二人で湖に浸かり、フィーネはイエリナの体を洗ったあと髪も洗い始めた。最初は戸惑っていたイエリナもフィーネの洗髪が気持ちがいいのか、目を閉じてリラックスしている様子だった。フィーネは家を出たとき母にしてもらったときのことを思い出しながら手を動かしていた。ここが気持ちよかった、指圧がよかったな、など。
イエリナをきれいにしたあと、フィーネも自身の体を洗ってから湖を出て、イエリナの体をきれいに拭いてあげる。服は新しいものがなかったためぼろぼろの服をそのまま着たが、体を洗っただけでも様変わりした。
体から香る石鹸の匂いが気になるのか、イエリナは頻りに腕の匂いを嗅いでいる。
「イエリナはどこで寝るの?よかったら一緒に寝ない?」
「お母さんとこ戻る。また明日くる」
イエリナはフィーネの問いに首を横に振って答えてから、ぴょんぴょんと森の中へ消えていった。まだ一緒に夜を明かすほど、心は開いていないようで少し残念な気持ちになった。
やがて遠吠えのような声が聞こえ、暫くしてもう一回別の声の遠吠えが聞こえた。後者は聞き覚えがあったため、前者はもしかしたらイエリナのものなのかもしれない。お互いが場所を伝えあっているのだろう。
「すっかりお姉さん気分だな」
「そういう年頃なのよ」
「…フレイヤもそうだったな」
そんなわけないでしょ!?とフレイヤがファムをポコポコ叩いている音が聞こえたが気にしないことにした。寝床に入って明日は何を教えようか考えていたらあっという間に眠りに落ちた。
「怪我してるよ」
夢の中の体の主は黄緑色をした髪の女性の右腕に手を当てた。すると手から光が溢れてくる。フィーネの光の力と似た輝きのように感じた。
「二人ともありがとう」
「わ、私は違うよ…」
黄緑色の女性は体の主と隣にいた黒髪の女性に礼を述べるが、黒髪の女性はそれを否定する。首を頻りに横に振り、目を彷徨わせていた。
「違うわけないよ。私、隠してたの。でもあなたが気づいたんでしょ?」
「そうだよ。この子が気づいたの!」
体の主は黒髪の女性の肩を持ち、にこにこと肯定する。黒髪の女性は顔を見る見るうちに赤くさせ、体を縮こめた。
「あなたは優しい子だから、人の痛みに敏感なんだよ。ありがとう」
黄緑色の髪の女性は黒髪の女性の頭を優しくなでて、その場を後にした。彼女の後姿をじっと見つめたあと、黒髪の女性は顔を俯かせてぼそりとつぶやく。
「…メルトのほうが優しいよ」




