12
レーヴェン村からジュビア森林まではかなりの距離がある。そのため道中、通りかかった荷車を引いていた人の好意に甘えて乗せてもらうなどしていた。ようやく半分ほどの道程まで進んだのは出発してから一ヶ月たった時だった。
「もともとジュビア森林に向かう人は滅多にいないからな。荷車も期待できない。ここからは全員馬で進むことも考えたほうがいいだろう」
たまたま通りかかった小さな村の宿屋に一行は泊まっていた。四人はテーブルを囲んで話し合っている。
「でも、私は馬に乗ったことないよ」
「フィーネは私と乗ろう。フレイヤは…」
「あたしは兄さんと乗るわ」
ファムは目を閉じたまま首肯する。そこで馬の調達と夕飯のために揃って宿を出る。馬は宿屋の女将に尋ねたところ、一頭売ってくれることになった。また小さな村だったが行商人の通り道のためか宿屋以外にも何軒か食事処があった。その一軒に入るも店はがらがらで客はフィーネたちだけだった。適当に注文して料理を待つ。
「…人、全然いないね」
「最近魔物の発生が頻発しているからだよ、坊や」
フィーネの後ろから食事処の女将がやってきて料理を並べていった。
村には結晶があるため魔物の侵入を防げているが、道中は異なる。荷物を運ぶ途中で魔物に襲われる可能性もあるため、護衛は必須だった。昨今は魔物も強力になっているため、護衛にかかる金が桁違いに膨れ上がっているらしい。そうすると必然的に行商人や旅人等の数も減っていってしまう。通行の通り道として少しは栄えていたこの村もその影響を受けていると女将は話す。
「皆さんはどこにいくんだい?」
「ジュビア森林よ」
「そうかい。あそこの周りの山で最近魔物がよくでるらしいから、気をつけていきなよ。しっかり準備していくことだね」
じゃあ、ごゆっくり。と女将は厨房へ戻っていった。魔物は人を襲う。そのため通常、人の少ない山間部にはあまり現れないのが常だった。またジュビア森林の周りの山は険しいため魔物も滅多にでないはずだった。それなのによく出没しているということは魔物に何かしらの変化があったのかもしれない。
フィーネは早く自分の力を使いこなさないと、と改めて感じた。
場は静まりかえり、カチャカチャと食事をする音だけが響く。まるで通夜のような雰囲気だった。食べ物が何度も喉につっかえる。
食事を終えて、宿へと帰る。宿は二部屋とって、フィーネとエレツとアース、フレイヤとファムとルブリムという組み合わせだ。本当にこの兄妹は仲がいい。
一夜明けてフィーネたちは馬で出発した。道中、破壊された荷車や荒らされた荷物が散乱している場所を通った。
「こんな整備されてる道にまででてくるなんて…」
馬の上からでも残骸に血痕がついてることが確認できた。さっと顔が青ざめる。その変化に気づいたのかエレツはフィーネの髪を優しく撫でた。
「それだけ魔物たちも変化しているということだ」
夕暮れ時に野宿の準備を始めると、完成したときにはあっという間に真っ暗になっていた。結晶に祈りを施して周囲に設置する。木も建物もなにもない、見晴らしのいい野原が今夜の寝床だ。
フレイヤが結界の外に出て空を見上げながら散歩を始めた。ファムをちらりと確認するも、気づいているのに調理の手を止めないため、止める気がないらしい。フィーネはたったと小走りで追いかけた。
「フレイヤ、どうしたの?」
「…夜空が綺麗だなって思っただけよ」
「私も!私も初めて野宿したとき、綺麗だなって思ったよ」
一緒だね、と満面の笑みを浮かべるフィーネをちらりと確認してフレイヤも移ったように微笑んだ。今夜は遮るものもないため寝転べば視界いっぱいに夜空を眺めることができるだろう。
「…フィーネはいい子ね」
「そうかな?」
「そうよ、両親に大切に育てられたんだなって感じがするもの」
少し寂しそうに見上げるフレイヤの顔に言葉が詰まる。フレイヤもでしょ?とは言えなかった。ぽつりとフレイヤが言葉を溢す。
「…私の今の家族は兄さんと祖母だけっていったじゃない?」
「うん」
私の両親はね、もういないのよ。
今日の夕飯のメニューをいうみたいに、フレイヤは言った。はっ…と息が震えた。彼女の繊細な部分に触れている気がした。
「母さんは私を産んだときに亡くなって、父さんは川に溺れかけた私を助けて亡くなったんだって、兄さんはいってたの。私はどちらも覚えていないのだけどね」
フレイヤが産まれた直後にルブリムがやってきて、彼女が自身の乙女だと、紋様が現れる前に村人全員に伝えたらしい。そのため産まれた直後から大層大切に育てられたそう。その話をするフレイヤは嬉しそうでも何でもなかった。たぶん、フィーネがかつて感じていたこととフレイヤの感じていることは似ている気がした。
「十二歳で紋様が現れるまでは色んな人が私の周りにいたの。でも紋様が現れてしまって一人護衛を選ぶとなったとき、私、我が儘いったのよ」
「…我が儘?」
「護衛は兄さんじゃなきゃやだって」
フィーネにはあまりにもかわいい我が儘な気がした。家族に一番傍にいてほしいということはいけないことなのだろうか。
「そしたら兄さん、少し驚いたあと、微笑んでわかったっていったのよ。もう妻子をもつことも、きっと無くなってしまうのに」
はたと気づいた。フレイヤはきっと罪悪感を抱えているのだろう。自分に縛り付けてしまったことにより、閉ざされてしまった兄の未来に。そして兄がずっと傍にいると喜んでいる自分がいることに。
「あなたにこんなこといってしまうなんて、可笑しいわね。あなたが光の竜の乙女だからかしら。夜空が綺麗だからかしら。溜めてたもの、吐き出したくなっちゃって」
取り留めもなく、ごめんねとフレイヤは謝罪する。謝る必要なんてどこにもない。言って楽になるなら、自分でもいいのなら、いくらでもいってほしかった。しかしそれを伝えるのも違う気がして、そっとフレイヤの手を握りしめた。冷えた指先を温めるように。
「本当の気持ち、私にはわからないけど、でもファムさんは後悔したり嫌がってたりしてないと思う。私だったらどんな形であれ家族を大切にしたいもん」
ファムの目はいつだって慈愛に満ちて優しい瞳でフレイヤを見ていた。彼にとってフレイヤはきっとかけがえのない、大切な妹なのだ。もしフレイヤに選ばれなくても彼は自分で護衛をすると決めただろうと感じた。
「…ええ」
それでも罪悪感が無くなるわけではないのだけれど。
フレイヤは頭をフィーネの頭にこつんと当てて寄りかかった。頭一個分違うとこうなるのか、と感心しているとだんだん体重をかけてくる。なんとか頑張って足を踏みしめていると頭上から笑い声が聞こえた。明るい、からっとした笑い声。
「ははっごめんね、つい。そろそろご飯もできているだろうし戻りましょ」
フレイヤに手を引っ張られる。元気になったようで安心した。彼女は振り向かず、ありがとうとぼそりと呟いた。フィーネからは顔が見えなかったがほんのり耳が赤くなっている。返事の代わりにぎゅうっと手に力を込めた。
その晩はフレイヤと手を繋いで一緒に寝た。
「あんたはねぇ、いつもいつもうじうじして!」
フィーネはまた夢をみていた。違う自分が話している夢。
今日は赤い髪の気の強そうな女性が目を吊り上げて目の前にいる。フレイヤに似ているな、と思った。
赤髪の女性は黒髪の女性に怒っているらしい。黒髪の女性はずっと下を向いて唇を噛みしめている。
「リアナ、それぐらいにして」
「あたしはこの子と話をしてるの。嫌なことは嫌っていわなきゃなんにも変わらないじゃない。舐められっぱなしよ。そんなのあたしが嫌なのよ」
リアナと呼ばれた赤髪の女性はふんっと顔を反らした。
状況を整理すると恐らく黒い髪の女性が誰かに何か嫌なことを言われるなりされるなりして、それを拒絶しないで我慢しているところを見るのが嫌、というところか。
それってすっごく心配してるってことだよね。
ただリアナの口調が強くて攻めているように聞こえることが残念だ。黒髪の女性にその真意が伝わればいいのだが。
「いい?あんたはあたしたちと同じで強い力を持ってるんだから、気に食わない奴はぶん殴ってやんなさい。自分でやるのが嫌ならあたしに言いなさい。あたしがぶん殴ってやる」
「ええっ」
黒髪の女性が青ざめた顔をあげ手を宙に彷徨わせてあたふたしている。どう止めればいいか悩んでいるようだ。リアナは尚も眉間に皺をよせて続ける。
「あたしの大事な仲間をとやかくいう奴はあたしの敵ってこと。わかった?」
リアナは素直じゃないんだから、と体の主は笑った。それにそんなんじゃない。勘違いしないで。とひとしきり喚いた後、ぷんぷんと怒りながらどこかへ行ってしまった。素直じゃなくてとても不器用な人だ。
先ほどまで悲痛な面持ちだった黒髪の女性は二人のやり取りを見て肩を震わせて笑っている。たぶんリアナの気持ちも届いたことだろう。
ありがとうとつぶやいた小さな声をフィーネだけは拾い上げることができた。




