雨と飴
「ったく。自分で行けっての」
誰にも聞かれることの無いであろう悪態をついて、柳楽海斗は雨の中歩を進めていた。
「何もこんな雨の日に帰って来なくていいのによ……」
今朝親に叩き起こされ一階に降りると、そこには姉がいたのである。
姉は東京で働きたいと言って出ていったきり消息不明だった。
まぁ困ったら連絡するように言ってあるから、どこかでうまくやっているだろうと特に心配はしていなかったのだが、その姉が突然帰ってきたのだ。
しかもある一人の男を連れて。
言うまでもないが、その男と姉は俺の両親に例の挨拶をしに来たのだった。
元々破天荒な性格の姉である。
今まで何度となく奇抜な行動をとってきていたのだが、今回ばかりは流石に両親も唖然としていた。
「お父さん、お母さん、話があるの」
そう言って姉は静かに話を切り出した。
その後は案外スムーズに行ったもので、両親も驚きはしたものの、相手の男が人が良さそうだったから結構乗り気だった。
一通り話が終わって、ひとまず姉は我が家に滞在することになった。
「海斗。確かまだ海斗の部屋にお姉ちゃんのベッドがあったわよね。お姉ちゃんが泊まる間、貸してあげなさい」
母にそう言われ、嫌々ながらも姉を俺の部屋に泊めることになった。
そして姉を俺の部屋に案内した途端、姉は唐突にこう切り出したのである。
「ねえ。ちょっと飴買ってきて」
「……は?」
「は?じゃなくて。飴舐めたいの」
いきなり何を言い出すんだか。
俺が怪訝な顔で突っ立っていると姉は「これ」と言って空っぽの飴缶を見せてきた。
そして缶にはでかでかと「禁煙」の二文字。
「お父さんとお母さんには内緒ね」
そう言って姉はもう説明は充分だと言わんばかりにベッドに座って携帯をいじり始めた。
「自分で行けよ……」
こうなったらもう聞き入られることがないと分かってはいたが、少し癪だったので小さく講義してから俺は部屋を出ていった。
そして今現在。
俺は片手にコンビニの袋を持って、雨の中帰路についていた。我ながら素晴らしいパシり精神だと思う。
まぁ大概弟というものは姉にこき使われるものらしいから、仕方がないのかもしれないが幼いころから姉には敵わなかったので俺はよくこうして上手く使われていた。
その頃の名残なのか姉に言われてすぐ行動出来たのが少し悲しかった。
「腹減ったな……」
もう昼になるらしい。
辺りからは美味しそうな匂いが漂ってくる。
「……まぁ食べても怒らないだろ」
俺は片手に持つコンビニの袋に手を突っ込み、先程購入した飴の袋を開けた。
中から一粒の飴を取り出す。
小分けの袋を開けて、さっさと飴を口に放り込んだ。
うん。結構美味い。
『いちごみるく味』
袋にはそう書いてあった。
今更ながら男一人がいちごみるく味の飴を買ったということに恥ずかしさを覚え、足を速めた。
早く帰ろう。
元々今日はゆっくりする積もりだったんだ。
そうして近所の公園に差し掛かったとき、あるものが目についた。
傘。
今時は珍しい無地の真っ赤な傘。
それが公園のど真ん中にあったのだ。
誰かがこんな雨の中一人で立っているようだった。
自分でもよく分からなかったが何故か俺はその傘を目指して歩いていった。
ん?
少し近くなったところで気付いたのだが、思ったより傘の持ち主は小さいようだ。
子供か?
そんなことを考えているうちにとうとう目の前まで来てしまった。
またしても何でこんな行動に出たのか分からなかったが、俺はその傘に話しかけた。
「おい」
案の定傘が動いて、下から一人の少女の顔が覗いた。
不思議そうにこちらを見つめてくる。
「あー……」
やばい。何言おう。
「えっと…………飴食うか?」
そう言って飴を一粒取り出してみた。
「…………」
少女は無言でこちらを見つめ続けている。
まずい。これは完全に不審者だ。
「あー……、悪い。何でもない」
ここは悲鳴を上げられる前に退散しよう。
そう思って歩き出したその時。
「ちょうだい」
少女の幼い声がした。
「は?」
振り向くと少女が小さな手を差し出している。
「あめ、ちょうだい」
「…………」
一瞬脳裏に姉の顔が浮かんだが、
「ありがとう、おにいちゃん」
今は目の前の眼差しに対抗するので精一杯だった。