その頃の深淵の迷宮
正教会による新たなる陰謀が巡らされている頃、大陸南部の深淵の迷宮の最下層の広間で、主ラヴィオラはとある決断に迫られていた。
主の下す決断を胸に手を当てるラミア族流の礼節の姿勢で静かに見守るのは眷属のオリザ。
右へ左へと移動しながら悩み続ける主の姿を、ナガレンが冷ややかに見つめる。
広間に重い空気が立ち込め、これから起こるであろう何かを感じ取ったのか、黒子達も柱の影から顔を覗かせ恐る恐る様子を伺っている。
「ラヴィオラ様、お早くご決断を。オリザはしばし待て」
「はっ」
「ナガレン、お主はこれをどう見る」
「既に私の腹は決まっております。あとは全てラヴィオラ様次第かと」
「そう急くでない。たとえ僅かな差といえど、一度口にしてしまえばもう後戻りは出来ぬ。事は慎重を要する」
しばらく考え込み、ついにラヴィオラが動いた。
「やはり、お主のプリンにカラメルなるソースが多くかかっておる。交換じゃな」
「見抜きましたか、さすがはラヴィオラ様」
ではと、手を伸ばすラヴィオラ。しかしナガレンはそれより早く自身の皿を持ち上げ、一足先にプリンを食し始める。
「お主…」
ワナワナしている主を余所目に、黙々とプリンを食すナガレン。
「時間切れで御座います。しかし、プリン、とても美味しいですね。さあ、ラヴィオラ様も」
「分かっておる。しかし、これがプリンなるスイーツか。シンプルだが美しい」
「はっ、ユキより授けれたレシピを元に、我がラミア族の総力を挙げ洗練し、ついにはこの形へと至りました。再現度はほぼ完璧かと」
「うむ、ではそろそろ儂も」
スプーンを手に取り、そこでラヴィオラは気付いた。気付いてしまった。
幽体のこの身では、プリンを食せぬという事実に…。
絶望に打ちひしがれるラヴィオラ。
彼女がはっとして顔を上げると、そこにニヤリといやらしい笑みを浮かべるナガレンの姿があった。
「ナガレン、お主最初から気付いておったな」
「一体何の事でしょうか、ラヴィオラ様。うふふふ」
どうしてもプリンを食べたい。ラヴィオラは考えた。
「なあ、ナガレン。しばしお主の体を私の依代として貸してはもらえぬかの?」
「ん~どうしましょうか」
ナガレンが周囲を見回し「黒子に頼めばよろしいのでは?」と笑顔で答える。
黒子達がその発言を聞き、慌てて柱の影に身を隠した。
「黒子では儂の纏う魔力を受けきれずに破裂してしまうのは知っておろう。あといけそうなのはヨシュアとユキぐらいじゃが、皆出払っておるしの」
「ええ、先の攻撃で帝国と教会は我々の正体を探ろうとするでしょうから、今ヨシュアには偽装工作で中央山脈あたりを飛ばせています」
「やはりナガレン、お主しかおらぬのだよ」
「困りましたね、私も多忙なのですよ。誰かさんのおかげでね」
「うぐっ、まあその件は今は置いておいてじゃな」
ガチャンと音を立て、食べ終わった皿を置くナガレンの顔に浮き出た青筋に気づき、慌てて言葉を濁すラヴィオラ。去ろうとするナガレンの腕を掴んで懇願した。
「お願いしますナガレン様、私に、私にプリンを食させて下さい」
そんな主ラヴィオラの姿に、ナガレンは勝ち誇った様な笑みを見せた。
「では、これをお使い下さい」
ナガレンがドンとラヴィオラの前に黒く大きな物体を置く。
「何じゃこれは」
「ラビットちゃんぬいぐるみ大です。無機物であれば魔力の影響も受けませんし、何より高位霊体の憑依により無機物が生物化するという実験には、私も大いに興味があります」
「それを勝手に持ち出しては、ヨシュアが怒るのではないか?」
「ご安心下さい。これは私がユキの働きぶりの評価のために、リニューアルオープン当日の列に並んで手に入れたもの。ぎゅって抱きしめると、過酷な労働の合間の癒やしにもなります」
「うむむむ」
かつて北の賢者と謳われしナガレンが、こうも主に意地悪く接するにはそれなりの理由がある。
死霊魔術を得意とするラヴィオラは地水火風といった四属性魔法には疎く、ヨシュアやカイエンが入手してきた高位魔道書の解析を一人で成すのは困難であった。
そこで白羽の矢を立てたのが北の小三国を纏め上げ、帝国と魔国双方と渡り合っていた北の賢者と呼ばれしナガレンの遺体であった。
当時の彼女はリーン王国の宰相として政治、軍事、外交の全てを一人で担い、正に多忙を極めていた。その精神は次第に衰弱し、飲み物に入れられた毒物によって、なんともあっけない最期を遂げてしまうのである。
「まだ死ねぬ」
そんな責務が未練となって彼女の魂を亡骸に留め続け、深淵の迷宮の主ラヴィオラの使い魔である影ガラスがそれを探知したのである。
そしてラヴィオラは使い魔を介して彼女の魂に、これ以上無い程甘く語りかけたのである。
「うちに来たら、のんびりと書でも読みながら過ごせるよん、よん、よん、よん」
疲弊したナガレンの魂はそのちょっと軽めなノリの言葉が、自身の魂を縛る重責を解き放つ温かな光に見えた。思わず手を伸ばしその声に救いを求め、そして受け入れた。
巨大な黒きドラゴンが現れ、リーン王国の墓地からナガレンの遺体の入った棺を掴み取って飛翔する。
眷属召喚の儀により、深淵の迷宮三番目の眷属となったナガレンではあったが、その契約には落とし穴があった。
彼女が与えられた役目は主ラヴィオラの作業協力であり、迷宮内に増築された禁書区画なる場所での高位魔道書の解析と保管、廃棄の選別である。
しかしながら『書を読みながら過ごす』という部分は契約内容に合致するが、『のんびり』という部分がどうにも当てはまらないのである。
ナガレン自身、今の境遇に不満があるどころか、意外に有意義に過ごせている。
それでも自分に仕事を丸投げしてサボろうとする主に対しては、それなりの仕返しは必要であると彼女は考えているのである。
ラヴィオラが小さく呪文を唱えると、その体が黒い影の如く変質し、フードを被った黒ウサギのぬいぐるみの中へと吸い込まれていく。
『ラビットちゃんぬいぐるみ大』が瞬きし、ヒョコヒョコとぎこちなく歩き出す。
「ふむ、こんなものか」
今度こそと意気込みスプーンを取ろうとするが、再び新たな問題が…。ラビットちゃんの姿では上手くスプーンが掴めず、両手で抱える事しかできない。
このまま獣の如く一気にかぶりつくべきか…。
ラヴィオラの体がひょいと持ち上げられ、ナガレンにぎゅって抱きしめられた。
「素晴らしい。この滑らかな肌触りにモフモフ感。ああ、癒やされる~」
「放せ~、放すのじゃ、ナガレン」
この二人の掛け合いを唖然として見ていたオリザが、はっと我に返り声を出す。
「あの、よろしいでしょうか?」
ラヴィオラを抱えて頬ずりしながら、ナガレンが答える。
「どうしたのです?オリザ」
「次の報告を、そろそろしたいのですが…」
「ああ、申し訳ない」
ナガレンはラヴィオラをその場に置き、表情を改めスッと姿勢を正す。
ラヴィオラの方はそれどころではないと再びスプーンと格闘し始めた。
「ラヴィオラ様は今はあのご様子。続きは私が聞きましょう」
「では、続けます。ユキを農場へと招いた事により、ギュウニュウの発見だけでなく、農場で栽培中の作物の大半の異世界名称が判明しました。それにより、かねてからの懸案事項であった開拓地での栽培品目の選定が完了致しました」
「それは朗報。では私の方から王城に進言し、南部開拓事業の触れを出して頂くことにしましょう。オリザは引き続き、選定した種苗の量産に励むよう」
「心得ております」
「それと、保護したエルフの子供達の件は、解決しそうですか?」
「はい、ユキが引き受けてくれたので、大丈夫だと思います」
肩を竦め、ナガレンがふっと笑って見せる。
「何だかんだと言いながら、皆ユキに頼っている様ですね」
「戦えぬ者などと侮って見ていた自分が、今はちょっと恥ずかしいです」
「他に報告はありますか?」
「いえ、報告は以上です」
広間を去るオリザを見送り、ナガレンは主の方を振り返る。そこには黒子達を集めてプリンを食べさせて貰おうと、あ~んと口を開けて待つラヴィオラ入りのラビットちゃんぬいぐるみ大の姿がある。
「まあ、良しとしますか」
まだまだ主に言いたいことはあるが、今一時はとナガレンは目を閉じ言葉を飲み込んだ。
『スイーツ』を知り、それを何百年と追い求めて続けてきたラヴィオラ。
今それが自分の口元へと運ばれてくる。
プリンを一口、口に含むと、滑らかな舌触りにやさしくほのかな甘みを感じる。そこにカラメルの甘苦さが加わると強烈な味の変化が口の中で爆発する。
「ふぅううう~ん」
ラヴィオラ入りのラビットちゃんぬいぐるみ大のつぶらな目がカッと開かれ、その瞳がキラキラと輝く。
手足をジタバタさせながら、ラヴィオラはその感動を全身で表現した。
深淵の迷宮、そこは名声を求めて集う数多の冒険者達に富と名声をもたらすと共に、その命を弄び悲劇的な死を与える恐怖のラビリンス。
その遙か最深部に潜む狂気の闇の眷属達は、いずれはこの激動の世界を震撼させる存在となる…はずである。
正教会と深淵の迷宮の温度差が激しい…。
おふざけ回に見えて、大事な回だったりするのが何とも…。




