トクリーヌ姫
王立学園の図書室でのちょっときつめのお姉さんと私の睨み合いは続いている。
「悪い遅れた~」
ドアを開けて入って来たのは三人組の男子学生達。彼等は室内の険悪な空気をすぐに感じ取った様だった。
「お聞きなさいソーマ、ドーコ、サドラス。あろうことかこの小娘、私を知らないって言うのよ。ちょっと懲らしめてあげなさい」
このきつめの姉さん、どこの黄門様よ。
でもその男子学生達は、胸前で手を交差させて×の字を作ったり、首を横に振って無理って訴える。
当然だ。彼等は午前中の騎士見習いの授業で、私が公爵と一緒に居たのを知ってるし、更にはこの三人を調子に乗って披露した少林寺拳法で投げ飛ばしてしまっていたから。その後の剣術では別な人達と当たってボコボコにされたけれど、彼等にとってみれば私は『強い』って印象しかない。
街で悪党に絡まれた時だって善戦はしたんだよ。試合形式なら私だってそれなりに使える。
でも何となく分かってきたよ。このきつめのお姉さん、それなりに偉い家のお嬢さんだ。平民を見下す嫌な感じは、まあ普通の貴族様だね。
私がここに来させられた目的である絵本制作の依頼は、平民の私と貴族の子息との交渉になるからと思い、実のところ手は打ってある。
今日一日だけ私をこの学園の学生って事にして下さいと、学園長にはお願いしたんだ。
その結果「学生になるなら儂が学園を案内してやろう」とトゥーバイ公爵に連れ出され、授業まで受けさせられる羽目になったんだけれども。
「本学の学生同士は身分を超えて対等の関係で接する事、それがこの学園の規則ですよね。私は確かに平民の商人ですが、今現在は学園長の許可を得て本学の体験入学生となっています。つまり私はあなた達と対等の関係にあります」
私が急にまくしたてたから、彼女怯んでる。よし、もう一押し。
「私は既に名乗りましたが、あなたは対等の相手を前に未だ名乗りもせずに、私の事を小娘だの生意気だのと罵りの言葉しか発していません。一体そちらのお家ではどんな教育をされているのでしょうか?」
「ぐぬぬ、わっわかったわよ。私はトクリーヌ・カリート。この国の第三王女よ。これでいいかしら」
勝った!っと思ったけれど、相手はまさかの王族でした。
貴族の子息は無爵位であり、親の威を借りて遇される。だから学生は対等って学園の規則さえ持ち出せばいけると思ったんだけれど、王族は王族なんだよね。
これは不利だわ。早々に手打ちにするのが得策。
「私は先日より王都に住み始めたばかりの新参者。姫様を知らぬと申したご無礼、お許し下さい」
「そう、そういう事ならいいわ」
ふう、セーフ。
「他の方々もご紹介して頂いてもよろしいでしょうか?」
「私はハルルカ、クルーミー侯爵家の次女です」
そして残りの男共がソーマ、ドーコ、サドラスと名乗り、三人とも男爵家の長男でした。
「では早速本題に入りますね」
私は彼女達五人に、今度新たに開く自分のお店で、低価格で販売する子供達用の絵本が大量に欲しいのだと告げた。
「それで学園長から私達を紹介されたという訳ね。それは正しいわ。学園では卒業までに課外授業として何らかの活動成果を出すことが単位の一つとして認められていて、個人研究や音楽といった芸術を発表する者など様々よ。そんな中で私達五人は市井の子供達の為の学校の設立を掲げ、その教育書となるべき本を作る活動をしているわ」
なるほど、ソフィア学園長が自信を持って勧めてくるわけだ。彼女達の活動は、私のやろうとしている事に合致する部分が大いにある。
「それは、私達の作った本がお店で売られて、世に出るという事でしょうか?」
ハルルカ嬢がこの話題に食いついた。
「そういう事になりますね」
「まあ、素敵ですわ。姫様、これは絶対に協力すべきですよ。私頑張りますから」
「そうね。とりあえず、私達の本に価値があるかどうか見て貰えるかしら」
図書室を離れて彼女達に連れて行かれたのは学生会館と呼ばれる建物。いわゆる学校のクラブハウスみたいな感じの場所だ。すでに活動している学生達がいるのだろう、歌声や演奏、詩の朗読なども聞こえてくる。
彼女達の使っている部屋に入る。画材や描きかけの絵がそこら中に積み上げられている散らかった部屋だが、それは現在も活動が積極的に行われている事の裏返しでもある。
すぐに男爵家の三人組が自分の本を見てくれと、未だ仮留めで製本されていない本を私に差し出してくる。移動中に本を一冊銀貨三枚で買い上げると言ったのが効いたみたい。
この世界の本はそれなりに高価で、帝国書店で売られている新刊本は安い物でも大体銀貨二枚で売られている。月給二十万円ぐらいのサラリーマンがTVゲームソフトを一本買うぐらいの感覚かな。決して安くは無いが、手が出ないほどでは無い価格設定だ。
でも彼等の絵本は非量産品のハンドメイド。本来なら銀貨十枚出しても安いと言われる価格だと思うが、それでは低価格で子供達にとても提供出来ない。だから制作費込みでかなり値切って銀貨三枚を提示している訳だが、元々彼等の活動は無償奉仕であり、財政的にシビアな男爵家ともなるとその金額でも嬉しいらしい。
「それで、銀貨三枚で買い上げた本をあなたは一体幾らで売るつもり?商人なんだから当然儲けるのよね」
「銀貨三枚で買った本を、鉄貨四枚で販売する予定です」
そう私が言うと、五人口を揃えて「バカなの」って言われた。
日本円の感覚だと、金貨=十万円、銀貨=千円、鉄貨=百円、銅貨=十円、銭貨=一円って感じで、庶民の間で広く使われるのは銀貨と鉄貨のみだ。主力貨幣である銀貨を大量に持ち歩くのを避けるために、銀貨十枚分の価値のある大銀貨が存在する。
確かに三千円で買った本を四百円で売るって行為は大赤字だからね。
大抵の商売は一度売ったらそれっきりの取引で終わるが、古本屋のビジネススタイルはリサイクル商法ってやつ。つまり読み終わった本を再び買い取り販売する。その繰り返しで発生する差額を積み上げて儲けを出していくんだ。
大抵の高額買い取り品は二回転ぐらいで元が取れて、以降の販売は全て利益になるぐらいが望ましいが、今回の場合は最低でも十三回は回転させないと利益にならないから、商売として赤字であることに間違いは無い。
でも絵本販売は自分の店の売り上げを伸ばしていくための将来への投資。
そこに利益を求めるのならば、それはもう投資とは呼べない。
「リサイクル商法ねえ。商売にもいろいろあるのね」
そう説明すると、姫様を含む五人の学生達もそれなりに納得はしてくれた。
さて、まずは男子学生三人の絵本を順番に見ていく。
ソーマは勇者が活躍する英雄譚、サドラスは少年が剣聖に至るまでの冒険譚で、子供にもわかりやすく描かれていて、ありふれているが及第点だと思う。
目を見張ったのはドーコの絵本。冒険者達が魔物を倒す情景が、ページを開く度に立体的に立ち上がるのだ。いわゆる飛び出す絵本ってやつね。
これは絶対に子供達にウケる。ただ工作が複雑で量産が難しそうだった。
次に見たハルルカ嬢の絵本は、騎士とお姫様の恋愛物語。女の子に人気が出るだろう。
「それで、姫様の作品は?」
「私の絵本は全然物語になってないって不評なの。私にはセンスが無いのよ。だからこれは見なくていいわ」
頬を染めてモジモジしているトクリーヌ姫から絵本を強引に奪い取る。取り返されないように彼女に背を向けて絵本を開いた。背をポカポカと叩かれているが気にしない。
そして私はその内容に思わず声を上げた。
「素晴らしいです。これは傑作ですよ姫様」
彼女の描いた絵本には、五人の子供達と小さなドラゴンが一匹描かれている。
子供達の種族はそれぞれ、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、魔族となっていて、その子供達が大賢者ナガレンに連れられて、街や森や川と色々な場所を訪れて遊ぶという設定で、森で果物を楽しげに食べている子もいれば、言いつけを守らずに魔物に追いかけられている子がいたりと、ページをめくる度にそれぞれの子供達が活き活きとと描かれている。ん、大賢者ナガレン?
「この本は一度に複数の子供達が集まって楽しめる本です。物語にはなっていませんが、人気が出ると思いますよ」
「本当?あなた、本当にそう思う?」
「それに子供達が皆で助け合う場面も良いです。帝国出版の人間至上主義ばかりを掲げた本とは対を成すし、多種族共生を掲げる我が国で売るに相応しい絵本だと思います」
「そこには注意しているの。私達は多種族共生を掲げる改革派なのよ。人々の中には正教会の布教に染まり、初代カリート王の想いを忘れ人間至上主義を唱える者も多い、だから私はもっと多くの人の意識を変えていきたいの」
この姫様の貴族的な振る舞いには馴染めないけれど、中々に立派な考えを持っている人である事は認めよう。
「それで、本当に俺達の本を買ってくれるのか?これを街の人が手に取るのか?」
「はい。商品として十分通用すると思います。売りますよ」
そう私は評してあげているんだけれど、姫様を含めて五人とも急に自分が描いた絵本に自信がなくなってしまった様だ。確かに不特定多数の人の目に晒されて、好き勝手に評されるのは怖いよね。
だから私は提案してみた。
「では、直接子供達にこの絵本を見て貰いましょう。皆さん、明日外出許可って取れますか?」
強引に約束を取り付けて、明日の中一の鐘で私の店の前に集合という事にした。
* *
翌日私は、それぞれの描いた絵本片手に集合したトクリーヌ姫達を引き連れて孤児院へと向かった。
私達を引率するのは自警団のヒューイさん。当然トクリーヌ姫とハルルカ嬢の護衛の兵士達が付いてこようとしているが、そんな大集団で動くのも嫌なので、彼等の押さえはベルガーナさんに任せた。
トゥーバイ侯爵の件では騙し討ちを受けたからね。
昨日の夜に屋敷で一日の報告をした際に、私が土下座した話を聞きながら大笑いしていた彼女には、これくらいの仕事を依頼してもきっと罰は当たらないと思う。
孤児院を訪れると、朝の勉強時間の最中だった。ヒューイさんを外に残して、全員で授業を見学。
そして聞こえてくるのは私がお店の女性従業員達に教えた九九を斉唱する声。どうやらナギとフユの二人が、九九を孤児院に伝えたみたいだ。
「これは算術の歌?あんな小さい子が上級算術を簡単に」
「そうだ姫様、あの九九の歌って本に出来ませんかね?」
「良いですわね。ソーマ、あなたがやりなさい。算術も得意でしょう」
「分かった、やってみるよ」
私達がいた為か、シスターサクヤは勉強を早めに切り上げてくれた様だった。
「ユキさん、いらっしゃい。あなたが教えてくれた歌、子供達に大人気よ。あれのおかげで子供達の上級算術の覚えがとても早いの」
「あの歌って、あなたが作ったの?」
部屋から出てきたジェニス院長の言葉にトクリーヌ姫が驚いていたけれど、今は無視。
「院長先生、今日はこちらの学園の生徒達が作った絵本を是非とも子供達に見て貰いたいんです」
「まあ、子供達の為にわざわざ」
言うが早いかジェニス院長は、学生達の抱えている絵本をひょいひょいと奪い取り、子供達が遊んでいる場所へと歩いて行く。
「今日は学園の学生さん達が、皆さんの為に絵本を作ってくれました。まずはお礼を言いましょう」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん。ありがとう」
声を揃えて言う子供達に、トクリーヌ姫達も照れくさそう。そしてそれぞれの絵本に喜々としてとして飛びつく子供達の姿に見入ってる。
中でもドーコの飛び出す絵本は男の子に大人気で人集りができている。物珍しさがあるからこれは当然、でも次に子供達が集まってるのはトクリーヌ姫の本だ。
「私このウサギの人になる」
「僕はこの翼の人」
「じゃあ私は、このちっちゃいドラゴンね」
子供達は描かれているキャラクターそれぞれに自分がなりきり、ページを開く度にそのキャラクターが見せる活躍や失敗に一喜一憂しながら、笑ったり叫んだりしている。
「私の絵本に、あんなに子供達が喜んでくれるなんて…、うれしい」
トクリーヌ姫が突然私の手をぐっと握りしめて言う。
「私はあなたの事をこれからユキと呼ぶわ。あなたも私に呼びやすい名をつけなさい。私達はもう友達よ。あなたはすごいわ」
ここで私が『トクリーヌ姫』なんて呼んだら、きっと怒るよね。
「じゃあ『トク姫』ってことで」
「それでいいわ。ハルルカやソーマ、ドーコ、サドラスも呼び捨てにするのよ。私だけっておかしいでしょ。皆もいいわね」
有無を言わせぬ圧力をかけてくるよね。でも私的には助かるけれど。
「燃えてきたわユキ、私達は本を何時までに用意すればいい?」
「三ヶ月後のオープンを目安に、出来るだけ多く用意して頂ければ大丈夫です」
「皆、聞いたわね。私達には三ヶ月しかないのよ。早速今日から絵本の制作に力を入れるわよ。子供達にもっともっと喜んでもらえる絵本を作るのよ」
「はい、姫様!」
トクリーヌ姫達に自信が戻って、更には創作意欲も上がってくれて良かったよ。ここに連れてきた甲斐があるってもんだね。
そうそう、トクリーヌ姫には聞いておきたいことがあったんだ。
「ねえトク姫、大賢者ナガレンってどんな人だったんですか?」
「あなた本当に何もしらないのね。女性ながら帝国と魔国に挟まれた北の小三国に同盟を結ばせ、帝国の侵攻にも策を巡らせ一歩も引かずに戦った英傑よ。味方の裏切りで暗殺されちゃったけれど、その功績は今も語り継がれているわ」
あら、暗殺されちゃったんだ。ナガレンさん。
* *
孤児院を出て、私の店の前でトクリーヌ姫達とは別れたよ。彼女達が去って行く後ろ姿を見ながら、ヒューイさんが近づいてきて私の耳元で小声で囁いた。
「なあユキ、あの一番左の彼女。何て名前なんだ?」
「トクリーヌだよ」
「トクリーヌ嬢か。おお我が心の姫よ」
「相手は貴族様なんだからね。高望みしても無理だよヒューイさん」
本当は王族だからね。第三王女だよ。心の姫どころか本物の姫様だよ。
「貴族令嬢ってやつは騎士に惹かれんだろ。だったら大丈夫、俺にはこれがある」
そしてヒューイさんが掲げたのはあの本だった。
リメイク作家アヤメ・オウギ著の『人はなぜベストを尽くさないのですか?』
「この『なぜベス』があれば、俺の心は騎士そのもの、きっとあの令嬢も振り向いてくれるに違いないさ」
私の感覚だとけっこう古い本なんだけれど、こっちじゃ今も流行ってるんだったね。それにこっちでも『なぜベス』とか言っちゃうんだ。
騎士のバイブル読んで騎士になれりゃ誰も苦労しないけれど、なぜそう思い込めるよヒューイさん。
あんたの風来坊の設定は一体何処へいったんだ?




