マリナの休日
パドール王国の王都エンダーホープから馬車で二日も走れば大陸東岸の海に突き当たる。そこには漁港を持つ小さな町や村が点在しており、晴れた日には穏やかに広がる海を眺めることが出来る。
深淵の迷宮諜報部のマリナは、誰もいない浜辺に一人座り込み、暗い顔をしながらブツブツと何かを呟いている。そう、彼女は苦悩していた。
(お休みって何すればいいの?)
眷属ユキの助力により眷属ビオラから勝ち取った彼女にとっておそらく人生初となる休日命令。歓喜しながら赴任地であるパドール王国へと先行し、眷属ビオラ到着までの日々を休日として過ごす筈であった。
しかし現実にはそう上手くいかない。
なぜならマリナは休日というものに憧れは抱いていたが、具体的に何の目的で休日を取るのかも、その過ごし方というものも全く考えていなかったからだ。
宿に籠もってゴロゴロするのは二日で飽きた。
とりあえず外へと出てみよう。街をぶらつき人混みの中で人々の会話に聞き耳を立てる。だがこれはいつもやっている諜報の仕事だ…。
そう悟った彼女は人の少ないパドール王国東部のしがない漁村を訪れ、暗い顔をしながら海を見ている今に至るのである。
(私はこれでいいのだろうか? これで正解?)
結論から言えば正解である。
休日とは疲れた心と体をリフレッシュさせて次の活動に備える為に取るもの。結果としてそうなっていれば、何をしていても良いのである。
だが、マリナは知らない。休日が何の為にあるのかを…。故に彼女は苦悩するのである。
そしてマリナは思い出した。
ユキ様が「休日っていったら『女子会』だよね」と言っていた言葉をである。
「女子会かあ~」
『女子会』とは何か? ユキ様曰く『女友達が集まってちょっと高級なご飯を食べながらただ話をする会』という事らしい。
ラヴィオラ様の眷属達の中で最も普通で安心出来る存在。諜報部の面々からは『深淵の迷宮の凡人』と呼ばれて絶大な評価を受けているユキ様がそれを楽しいと言うのである。
だから『女子会』というのはきっと一般的な女性達が行う休日の過ごし方の一つに違いないのだ。ならば試してみるしかない。そこに一筋の光明を求めて…。
「でも、女友達かあ~」
* *
夕暮れの王都エンダーホープの通りを走る高級な一台の馬車。
その中に座っているのはドレスアップした二人の女性。
一人は紫と黒のドレスを纏い、髪をフワリと仕上げたマリナ。そしてもう一人は真っ白なドレスに赤の花飾りをワンポイントに付け、髪を掻き上げた剣聖アオイである。
「良く私を見つけましたねマリナ。全く感心しますよ」
「うちの組織の情報力を舐めて貰っちゃ困りますよ。あなたみたいな重要人物、うちの誰かが必ず見てますからね」
時間はその日の午前中にまで遡る。
王都エンダーホープ近衛行政一区、近衛行政都グロリアスの冒険者ギルド本部御用達の宿舎一階の食堂にて地味な冒険者風の姿で朝食を摂っていたアオイの前にマリナが突然現れたのだった。
そしてマリナは剣聖アオイに高級なご飯を奢るからと二人きりの『女子会』を持ちかけたのである。
「最高級店での高級な食事が奢りで食べられる」このフレーズに剣聖アオイは乗った。倹約しながらの旅、こんな美味しい機会は逃してはならないと…。
しかし最高級店ということでドレスコードが存在する。
「私の分はもう買っちゃいましたあ」
ちゃっかりマリナは自分のドレスをすでに購入しており、抱えた大きな包みからそれをアオイに出してみせる。
(私が断ったらこの子、どうするつもりだったんだろう…)
そんな心配をしたアオイであった。
アオイのドレスについては問題なかった。
帝国認定の剣聖という事もあって、帝国と関係深い国の式典に呼ばれる事もあった為、ここパドール王国の冒険者ギルド本部に式典用の衣装一式を剣聖アオイの名で以前から預けてあったからだ。
アオイの部屋で武装を解き着替えを始めた二人だったが、ついつい調子に乗って気合いを入れたメイクに髪型と時が経つのも忘れて二人してオシャレに勤しんだ。
宿の一階に姿を現した別な意味で完全武装の二人の姿に、居合わせた冒険者達が口笛を吹き息を呑む。彼等に見送られて二人は呼んでおいた高級な馬車に乗り、いざ『女子会』の地へと向かったのである。
二人を乗せた馬車は近衛行政一区から北部行政二区へと進んで行く。
街のあちこちからは煙が上がり、怪我人が運ばれていく姿も見られる。治療を受けられない獣人奴隷達が路上に蹲っている姿もちらほら。
何というか、近衛行政区とは格段に治安が悪くなっているのを視覚的にも感じる程である。
「マリナさん、随分と物騒な地域ですけれど大丈夫なのですか?」
「はい。奴隷解放運動でちょっと荒れていますが、予算の関係でここしか選択肢がありませんでした。解放運動の影響で客足が減ったので今この地域の高級店は皆お安く利用できるんですよ。この地域の最高級店が何と50%オフですよ。半額なんですよ」
「そうですか。私は高級なご飯が食べられればそれでいいのですが」
「その点は大丈夫です。お店の方からサービスも食事も最高のクオリティでって約束も頂きましたし」
不安は残るが目をキラキラさせながら言うマリナに、アオイはそれ以上何も言えなかった。
高級宿泊施設兼お食事処『モストグランドリア』に馬車が到着すると、紫と白のドレスを纏った二人の女性が現れる。
対応に出た執事風の男が二人に尋ねる。当然マリナもアオイも偽名を名乗り別人を装う。
「マリエラです。こちらは私の友人のアイオリア」
「ご予約頂いたマリエラ様ですね。どうぞ中へとお進み下さい」
開け放たれた扉を抜け『モストグランドリア』の中へと足を踏み入れる二人。
奥まで敷かれたレッドカーペットの両脇にこの店の従業員達がズラリと並んでのお出迎え。
「すごい歓迎ぶりですね…これは」
「私、頑張りました。チップもはずみましたし」
(いや、だから私がこの『女子会』とやらを断っていたら…)
そうは思った剣聖アオイであったが、マリナがここまで気合いを入れて私をもてなそうとしてくれているのだから、ここは黙ってその好意に甘えてみようかな。なんて、アオイの方も「次はどうなるんだろう」ってワクワクで胸が躍るような今までに味わった事の無い高揚感を覚えていたのだ。
マリナの方もこの『女子会』に賭ける意気込みは半端ない。
特に自分の諜報活動に対する報酬は無く、当然給金など貰ってはいない。代わりに自由裁量で使える資金は豊富だが、それを公然と私的流用した事は一度も無い。
ただ、使用した経費の端数を少しづつ、少しづつ溜め込み、お小遣いとして蓄えてきた。次いつ手に入れられるとも知れぬ『休日命令』、蓄えてきたお金の全てをマリナは今日の『女子会』に注ぎ込んでいたのである。
だだっ広いホール内には多数のテーブル席があり、普段は賑わっているのだろうがこのご時世、客足は遠のきガランとしていて客はマリナとアオイの二人だけである。
その二人の為だけに最低限の人数にまで削られた楽団が演奏をして場の雰囲気を盛り上げる。
そんな中でマリナとアオイは白ワインで乾杯しながらこの店自慢の『シェフのおまかせコース料理』を注文した。
「前菜となります『冷凍磯貝の白雪和え、ビネガーを添えて』で御座います」
ユキならば「生カキのおろしポン酢じゃん」とか言いそうな一品ではあるが、海から馬車で二日の王都で生の海鮮が食べられる事が驚異なのである。冷凍は高級さを強調する言葉でもある。
当然マリナとアオイの二人は「わお」と声を上げる。
二品目に運ばれてきたスープに口を付けながら、ぎこちないながらも『女子会』はスタート。料理は全部で十二品目、まだまだ楽しみな時間は尽きない。
バタンッ ドタドタドタ
和やかな雰囲気を破り突如として乱入してくる武装した一団。彼等によって楽団員や従業員達が制圧されていく。
「マリナ、駄目」
「なんで…」
立ち上がり彼等の暴挙を止めようと動くマリナをアオイは押し止めた。
ホールの中で立ち上がる二人のドレス姿の女性の姿を認めて一人の男が近づいてくる。顔の左半分に大きな傷跡を残すその男は出で立ちこそ賊の様な姿はしているが、貴族を感じさせる気品ある雰囲気を残している。
「夜分お楽しみの所失礼致しますよ。大義の為、明日まで貴女たちを拘束させて頂きます」
そう不敵な笑みを漏らしながら言う男。
マリナが唇を噛んで目に涙を浮かべて泣き出した事で、二人がこの騒ぎに怯えたと判断した男は、二人を縛る事もせずに捕えた従業員達と共に地下へ連れて行けと部下達に命じた。
マリナとアオイの居た上階と違い、厨房や地下倉庫を制圧していたの武装した獣人達。この騒ぎが奴隷解放を謳う過激派の犯行であるのは明白だった。
ただ、彼等を仕切っていたのは仮面を付けた逞しい男。雰囲気と頭髪の色からかなりの老人である事は推察される。
マリナとアオイは他の従業員達と共に食料庫兼酒蔵であるかなり大きな地下室へと押し込まれて監禁された。その後、明日の準備と称して調理のための料理人や従業員の半数が外へと連れ出されていく。
「この者達を殺さないのですか?」
獣人兵の一人に問われた仮面の老人は答える。
「お主達の大義を大衆に認めて貰いたいならば、無益な殺生をしていらぬ恨みを買わぬことじゃて」
「『古本屋』殿、指揮官がお呼びです」
「おう、すぐに参るよ」
地下倉庫の隅で恐怖にぐずる友人女性を慰めているように見える二人の女性。
しかし実際はそうではなかった。
「せっかくの『女子会』が、私の全財産を注ぎ込んだ渾身の『女子会』があ」
別に恐怖でも何でもなくただ悔しさに涙がこぼれたマリナ、そして彼女を慰める振りをしながら聞き耳を立てている剣聖アオイである。
「明日の会合って何かあるのですか?」
アオイの問いに従業員の女性の一人が答える。
「明日はこの地区の有力な奴隷商人達を集めての会合が予定されておりまして…」
「そうですか。それを狙って過激派がやってきたという訳ですね」
「ねえ、アオイ。何でさっき私を止めたの? あんな奴ら」
「マリナは気付かなかった? あの顔に大きな傷のある男、正教会の総本山であの何と言ったか、名前の長い女性…確かゲン、ゲンリ…、まあいいです。彼女の横にいた男に間違いはないと思います。あっちは私達に気付いていないみたいでしたけれど」
「五星騎士団長のトラリアと『離宮』に消えたあの」
「そうそう。こんな事に関わりたくは無ですが、あの男を捕まえて吐かせればトラリアの居場所がわかるはず。ずっと手詰まりで困っていたので、こんな幸運は見逃せませんね」
「でもせっかくの『女子会』が…」
「さあ、マリナ。泣いていないでこれもイベントの一つだと思って存分に楽しみましょうか」
剣聖アオイは気付いてはいなかったが、不敵な笑みを見せるアオイの顔を見て、この時マリナは思っていた。
剣聖アオイ、ちょっとヤバイ奴なんじゃないかって…。




