8話『変わってしまった日常ー1』
本当に穏やかな天気だ。
流れる雲はゆっくりで、時間の進み方を表すかのように遅い。
空をこんなに長い間観察したことは今までに一度もないと思う。
そして、別に空が見たいわけではない。
ただ、何となくこうしている方が、俺の心も穏やかになる気がするから、大の字で寝そべりながら雲の動きを眺めているだけだ。
……それでも、ふとした時に考えるのはあの女の子のことだ。
なんで!
なんでどこにもいないんだよ……!
そんな悶々とした想いに、無遠慮な言葉が割り込んだ。
「――お疲れ!」
視界に近づいてきた物体が割れ物だと認識し、一瞬で現実に引き戻された。
ん? え? ちょっと待て!
「わわわ――突然投げんなよ!」
「ちゃんと取れたんだからいいじゃねえか!」
間一髪キャッチに成功し、その姿を見て父さんはガハハと陽気に笑う。
……てか、上の空の人間に瓶なんて放り投げんなよ。
「剣筋が乱れてるぜ! 悩み事があるなら言って見ろ」
普段鈍感な父さんだけど、剣にこもる感情には敏感だ。
「……別に何もねえよ」
……本当にあれから何も起こらないから気持ちが晴れないのだ。
再び込み上げてくる感情ごと瓶に入った水を喉に流しこむ。
あれから1ヶ月、広場でクラリスの影を自然探している。
巡った場所も隈なく探しているというのに。
あの日の出来事は夢だったのだろうか、そんな気さえしてくるくらいだ。
……別に珍しいことではない。
仲良くなった子が、家庭の事情やら何やらで関われなくなるとなんてよくあることだ。
特に、貴族と庶民の間柄を良くは思わない家もある。
そういう事を気にしなくなる風潮はあるが、完全に無くなったわけでもない。
ただ、いつもならすぐに別のことで頭を一杯にすれば忘れていることだ。
なのに、今回は違う。
たかが3時間ちょっと一緒に過ごしただけの女の子だ。
なのに寝ても覚めても俺はその子のことばかり考えている。
これは今までに感じたことのないことだ。心が焼かれたみたいにクラリスのことばかり考え、もう会えないのかとため息をつくばかりの日々。
どうしちまったんだ、俺は……。
「……青くさいガキだと思ってたが、子どもってのは、親の知らないうちに大きくなってるもんだなぁ」
俺の浮かない態度を父さんは勝手に解釈し始めた。
「なんだよ、人の顔見てニヤニヤしやがって!」
「いや、息子よ……。ゆっくり悩んで大人になればいいさ」
そんな父さんのよくわからない態度に痺れを切らし、俺は剣を握る。
ぼんやり雲を見ているよりは、体を動かしている方がスッキリするってもんだ。
「さぁ休憩終わり! 再開するぞ!」
いつもなら稽古をやめたいと言うのは俺の方だ。
だけど悶々とした気分は晴やしない。遊んでいても同じだ。
むしろ剣を振り回している方がずっと気分が良い。
柄を握る手に力を入れ、稽古を始める準備は万全だと父さんに訴えた。
だけど――。
「――遊んでこい」
「……え?」
俺に稽古をつけることが生き甲斐である父さんからの言葉とは思えなかった。
何故だと詰め寄る前に父さんは俺に理由を話し始める。
「お前の剣からは雑念しか感じない。そんなやつに剣技を教える気にはならん」