6話『メイドー1』
ローブル王国城内の庭園。
そこは主人である王女が、自室よりも長く滞在する場所だ。
彼女に用があるならここに足を運べば良い。城の内情に詳しい者なら大抵こう考える。
しかし今、庭園に王女の姿はない。
代わりに従者であるメイドが一人、主人の留守を預かっていた。
顔には痛々しい傷痕が左目から口元まで一直線に刻まれている。
それでも美人と言える容姿の、二十台半ばの女だ。
……やがて、風もないのに花々が小さく踊った。
それは転移魔法が発動した証。
蒼白い光がどこからともなく集まり、やがて目を閉じた少女を形どる。
少女が瞼を持ち上げて透き通る藍色の瞳を覗かせるより先に、メイドの口は主人の帰還を歓迎した。
「――お帰りなさいませ、クラリス様」
メイドが深々と頭を下げた王女――クラリスは、その辺りにいそうな平民と変わらないありふれた格好をしている。
決して王女がするような身なりではない。
これは王女とメイドだけの秘事――秘密の外出をするための変装。
外出の許可が降りないクラリスは、時折この様にして王都の散策を行っているのだ。
「ただいま、クローゼ!」
メイド――クローゼは、自らが支える主人の声に混ざる明るい感情を読み取った。
言葉尻は音を奏でている。きっと楽しいことがあったに違いない。
それを裏付けるかのようにスキップ混じりでクローゼに近づき、予想は確信に変わる。
主人の笑みを蓄えた口元は、今にも身に起きた楽しい出来事をクローゼに伝えようとしていた。
「聞いて、聞いて」と口撃が始まる前にクローゼは先手を打つ。
「――先ずはお召し物を交換しましょう」
感情的な話は長くなり勝ちだ。
それが久方振りの楽しいことなら尚更。
だからこそ、平民から王女の姿に戻すことが最優先事項である。
油断した隙に誰かが来たら、それこそ一大事なのだから。
「……そうだったわね、じゃあ着替えを手伝っていただけるかしら?」
「畏まりました」
何せ無許可の外出、その手助けをクローゼ一人で行っているのだ。
入念な準備をしていても、ヒヤヒヤさせらることはある。
出鼻をくじかれ、クラリスは少し残念そうな顔を浮かべるが、多少のことは我慢してもらいたい。
お預けをくらったクラリスは話したそうにムズムズしていた。
感情をクローゼに悟られないようにしているのだろうが、10歳児の演技なんてクローゼの前では破顔しているのと同じだ。
本当に楽しいことがあったのだろう、とクローゼは思う。
早く帰ってきたところで、この城に幽閉されるだけ。
外に近い環境はこのガーデニングルームくらいだ。話し相手なんて堅物なメイドと花々くらいのもの。
楽しかったのならもう少し長居してくればいいのに。理屈を抜きにしたらそんなことも考えてしまう。
偶には目一杯迷惑をかけて欲しいと感じるのは支える身としての過ぎた我儘だろうか――。