第八章其の参 疑問
「さて……」
ドリューシュは、ハヤテが大人しく席に座ると、咳払いをしてから口を開いた。
その口ぶりにどこか重たい響きが含まれているのを感じ、ハヤテの不審は更に募る。
「今日、僕たちがここを訪れたのは、兄上の命によってなのです」
「兄上……イドゥン王太子か……?」
「はい……」
ハヤテの呟きに、ドリューシュとフラニィが小さく頷いた。
「今はまだ王太子ですが……兄上は数日の内に即位の大礼を経て、次期国王――イドゥン一世となられる予定です」
「……そうか」
ドリューシュの言葉に、ハヤテは眉を上げ――フラニィの顔をチラリと見る。
「まあ、当然だろう。王太子が次の王様になるのは……」
「……何か、含みのある仰り方ですね」
ハヤテが発した言葉に違和感を覚えた様子のドリューシュが、身を乗り出した。
油断なく目を光らせるドリューシュを前に、ハヤテは慌てて手と首を横に振る。
「あ……いや、そういう訳では無いんだけど――」
「……僕も同じ気持ちです」
しどろもどろになって言い訳しようとするハヤテに向けて、ドリューシュは、壁際に立つ衛兵たちに見えないようにしながら片目を瞑ってみせた。
「――と、ところで……」
ハヤテは、咄嗟に話題を変える。これ以上、イドゥンの即位に関する話題を掘り下げる事に危うさを感じたからだ。
「王太子のケガはどうだったんだ? 確か、頭を負傷していたようだったけど――」
「……イドゥン兄様のケガは」
彼の問いかけに、フラニィが答える。
「出血こそ派手だったものの、大した事は無かったようです。今でも、頭に包帯を巻いてはいますけど、殆ど治ってるのではないかしら?」
「まあ……あれは、『自分は王を守る為、森の悪魔相手にここまで奮戦したんだぞ!』と周囲に知らしめる為に、実際よりも大袈裟に見せようとしているだけだと思いますけどね」
「ドリューシュ兄様!」
フラニィは、自分の答えに皮肉混じりの言葉を重ねたドリューシュを鋭い声で窘める。
「滅多な事を仰らないで下さいまし!」
「大丈夫さ、フラニィ」
血相を変えるフラニィに、涼しい顔で言い放つドリューシュ。
「今僕が言った事は、この王宮にいる者の殆どが秘かに思ってる事だよ。――お前たちもそうだろう?」
そう言うと、ドリューシュは扉の前の衛兵たちに顔を向ける。
突然話を振られた衛兵たちは、一様に驚きの表情を浮かべた。そして、答えに困った様子で、バツが悪そうに目を逸らす。
その反応で、答えは明白だった。
「――ほらな。というか、この王宮の中で、未だに兄上が重傷だと本気で信じているのは、ファアラ姉上とカテリナ姉上くらいじゃないかな?」
「……そんな」
「おや? 実はお前も信じていた側か?」
「それは……」
兄に追及されたフラニィは、先ほどの衛兵たちと同じ顔をして口ごもる。
そんな兄妹のやり取りを前に、ハヤテは複雑な顔をして腕組みした。
「そうなのか……。確かに、王が殺された一方で自分が軽傷だったとなれば、体面に関わるのは確かだからな。……王太子がそう装うのも分かる気がするが――妙だな」
「――“妙だな”とは?」
ハヤテが何気なく発した呟きに、何故かドリューシュが食いつく。
「あ――いや……」
予想外に訊き返されて、ハヤテは戸惑いの表情を浮かべた。
「そんなに大した事ではないんだけど……」
そう前置きしてから、ハヤテは言葉を継ぐ。
「……装甲戦士ジュエル――牛島聡が、王様にはあれほど決定的な最期を与えたのに対して、王太子にはトドメも刺さずに退散している――それが、どうも不自然に思えて……」
「……やはり、ハヤテ殿もそう思われますか」
ハヤテの言葉に、ドリューシュは得たりと頷いた。
そんな王子の反応に、思わずハヤテは戸惑いの表情を浮かべる。
「え……?」
「……僕も、そこが妙だと思っているんです」
ドリューシュは、再びテーブル越しに顔を近付け、声を潜めてハヤテに言った。
「――あの時、僕が父上の亡骸を見た時……既に胸からの出血は止まり、床に広がっていた血は乾き始めていました。その事から考えても、父上が致命傷を受けて倒れてから、相当の時間が経過していた事が窺えます」
「……」
「でも、それだけの時間があったにも関わらず、“森の悪魔”は、兄上の息の根を止めぬまま逃げ去っています。……明らかに妙です」
「それは……王太子が、ジュエルの攻撃に対して、激しく抵抗したからなのでは――」
ドリューシュの疑問に、ハヤテは推測をぶつけてみた。――心の奥では、薄々『あり得ない』と感じつつも。
だが、
「……それは考えづらいと思います」
ドリューシュは首を横に振った。
「こう言っては何ですが――兄上は、武芸の腕もからっきしダメでして……。父上ですら敵わなかった相手には、抵抗のての字もする事が出来ないでしょう。……ましてや、相手は“森の悪魔”です」
そう、苦々しげに言うと、彼は灰色の喪服の上からまだ癒えぬ肩の傷に触れ、顔を顰める。
「……“森の悪魔”の強さは、そのひとりと一度戦った僕には、文字通り身に沁みて解っています。――もちろん、貴方もでしょう?」
「……」
ドリューシュの言葉に、ハヤテも小さく頷いた。
そして、顔を強張らせながら、重い口を開く。
「……つまり、ジュエルが王様を殺したのに、王太子の命は奪わな――」
「ハヤテ様もドリューシュ兄様も、もう止めて下さいッ!」
「「ッ!」」
ハヤテとドリューシュの会話を遮ったのは、目に涙をいっぱいに溜め、怒りで全身の毛を逆立たせたフラニィだった。
彼女は、黄金色の眼を爛々と輝かせて、ふたりを睨みつけ、今にも泣き出しそうな顔になると、喉の奥から絞り出すような声で叫んだ。
「今日は……お父様のお葬式の日なんです! そんな悲しい日に、あの時の事をほじくり返すのは止めて下さい! ――せめて、お父様の喪が明けてから……にして……!」
「……す、すまない、フラニィ……」
堰が切れたかのように泣きじゃくり始めるフラニィに、オロオロとしながら声をかけるハヤテ。
「確かに、君の言う通りだった。……不謹慎だったよ。本当にすまない……」
「……僕も、配慮が無かった。悪い、フラニィ……」
子供のように泣くフラニィに平謝りするふたり。だが……フラニィは、彼らには何も言わずに、顔を喪服の袖で覆ったまま部屋の隅に蹲ってしまう。
「フラニィ……」
「……いえ、放っておきましょう。その内落ち着きます」
ドリューシュは、心配顔のハヤテにそう声をかけると、椅子に座ったまま姿勢を正した。
そして、咳払いを一つしてから、言葉を続ける。
「――些か話が脇に逸れました。いえ……今の話も、いずれゆっくりと話し合いたいというのは、偽らざる気持ちではあるのですが……」
そう言うと、真剣な目で、対面に座るハヤテを見据えた。
「そもそも本日ここを訪れたのは、別の件に関してです」
「……別の件?」
「ええ……」
訝しげに訊き返すハヤテに頷き、ドリューシュは静かに用件を告げる。
「それは、ハヤテ殿の今後の処遇に関する件、です」
「――!」
彼の言葉に、ハヤテは表情を引き締めた。




