第七章其の玖 星空
――時は、少し遡る。
「……ねえ、キミ?」
「……」
装甲戦士テラによって大きな木の幹に縛りつけられ、身じろぎも出来ない健一は、十五メートル程離れた岩の陰に隠れて無言のまま自分の様子をじっと窺っている、白い毛皮の猫獣人の少女に声を掛ける。
「ねえ、聞こえてるんだろ? もうちょっと近くに来なよ。話も出来やしない」
「……あなたなんかと話す気は無いわ」
少女は、その金色に光る目で、健一を睨みつけながら、憎悪の滲むような声で言った。
つれない答えに、健一はムッとした表情を浮かべる。
「ふん……! 本当はボクだって、君たちみたいな化け猫たちと話なんかしたくないさ。――でも、こんなところに縛りつけられて何をする事も出来ないのが退屈で、しょうがなくだよ」
「……」
「……あー、もう、分かったよ!」
健一は、苛立たしげに叫ぶ。が、大声を出した途端、テラに砕かれた肩がひどく痛み、顔を顰めて呻いた。
「い……痛つつ……っ!」
「あ……!」
痛みを堪える健一の顔を見て、フラニィは思わず声を上げる。
健一は、涙が滲む目で彼女を見ると、懇願するように言った。
「じゃ……じゃあ……。せめて、少しだけこの縄を緩めてくれない? テラの奴がめちゃくちゃきつく締めてくれたから、息苦しくて死にそうなんだよ」
「……そんな事言って、本当は逃げようとしてるだけなんじゃないの? あなた達の言う事なんて、全然信じられないわ!」
健一の頼みを、フラニィは即座に断る。そんな彼女の頑なな態度を前に、健一は皮肉気な笑みを浮かべた。
「“あなた達”ね……。それが、ボクたちオチビトの事を言っているんだったら、テラ……ハヤテも含まれるんだけどね。アイツの言う事は、ホイホイ聞く癖にさ……」
「! は……ハヤテ様とあなた達は、全然違うわよ! 一緒にしないで!」
「ふん、それはどうだろうね……」
小さな牙を剥くフラニィの剣幕に辟易としながら、健一は鼻で笑った。――と、彼は再び呻き声を上げ、苦しげに顔を歪める。
「……頼むよ。お願いだから、縄を緩めて……」
再度懇願すると、健一はフラニィに向けて言う。
「大丈夫だよ……。キミに何をしようなんて気は無いからさ。……というか、Zバックルが無い今のボクは、もうアームドファイターZ2に変身する事は出来ない。この肩じゃ、戦うどころか、逃げる事もままならないしね……」
そこまで言うと、健一はガックリと項垂れ、擦れる声で呟いた。
「……さっき、テラが言ってた通りだよ。――ボクはもう、タダの小学生の子供でしかないんだ……」
彼の目から、ポタポタと数滴の涙が零れ落ちる。
「……」
それを見たフラニィは、意を決したように立ち上がった。そして、一歩ずつゆっくりと慎重に、健一が縛りつけられた木の方へと向かって歩き出す。
健一から距離を取りつつ、木の裏へ回り込むと、しゃがみこんだ。
「……え?」
「……変な事をしようとしたら、容赦なく爪で引っ掻くからね」
当惑する健一にそう言うと、フラニィは縄の結び目を手に取り、解き始める。
暫く苦戦していたが、ようやく結び目は解れた。
縄の締め付けが緩くなると、健一は安堵の表情を浮かべながら、背後のフラニィに振り返った。
「ふぅ……楽になったよ。どーも」
「……『ありがとう』くらい言っても、バチは当たらないと思うけど」
「フン! 誰が、キミみたいな猫人間なんかに――」
「……」
「あ……ありがとう……」
毒づこうとした健一だったが、フラニィが目を光らせて爪を伸ばしたのを見て、慌ててお礼の言葉を口にする。
健一の謝辞に「……フンッ!」と鼻を鳴らしたフラニィは、元の岩陰へと戻り、鋭い目で彼の顔を睨んだ。
警戒を隠そうともしない彼女の視線に辟易しながら、健一は何となく空を見上げた。
と、彼の目が大きく見開かれる。
「うわぁ……凄いな……」
彼の頭上には、今にも零れ落ちてきそうなほどの満天の星空が広がっていた。
健一は、思わずため息を吐く。
「まるで、教科書に載ってた星図みたいな夜空だ。こんなに沢山の星、初めて見たよ……」
健一が生まれ、育った1960年代から70年代の日本は、高度成長期の真っただ中にあった。その目まぐるしい成長のスピードは、日本に多大な恩恵を与えたが、その一方で、大気汚染という悪しき副産物も生んだ。
工場や車が街に溢れる事で大気は著しく汚れ、晴れた日にも数キロ先も霞んで見えず、夜になっても霞が晴れる事は無く、星も碌に見えなかった。
そんな、汚れた空の下で育ってきた健一にとって、夜空を覆い尽くすほどの満天の星空という景色は、文字通り“生まれて初めて”見るものだったのだ。
「そういえば――この世界に堕とされてから今まで、こんな風に星空を見上げる事なんて無かったな……」
今まで、ずっと鬱蒼とした木々に覆われた森の中に潜んでいたから、空が見えなかった――いや、そもそも、こんなのんびりとした気持ちで空を見上げる心の余裕自体が無かったような気がする。
「キレイだ……」
夜空の星の美しさに見惚れた健一は、思わず呟いていた。
そして、ふと思う。
(……もしかして、別に日本に帰らずに、この世界にずっと居ても、それはそれでいいのかもしれないな……)
が、すぐに、その表情は曇った。
健一は、コクンと項垂れると、哀しそうに独り言つ。
「でも……、ボクはアームドファイターの能力を失って、猫たちに捕まっちゃった。すぐに……ボクは猫たちに八つ裂きにされて――」
「……そんな事、しないわよ」
「え――?」
突然かけられた声に、健一は驚いて顔を上げた。涙の零れる目を見開いて、声を発したフラニィを見る。
相変わらず岩の陰に隠れたままのフラニィは、それでも毅然とした顔つきで健一の顔を真っ直ぐに見返し、きっぱりと言った。
「そんな事、あなたにしないわ。……ううん、ピシィナの中には、あなたに厳しい罰を与えたがる者もいるかもしれないけれど……それでも、させないわ――ハヤテ様が」
「ハヤテ? アイツが……?」
フラニィの言葉に、健一は目を丸くし――皮肉気に口の端を上げながら叫ぶ。
「ははっ! そんな事ある訳無いじゃないか! だってアイツは……この前、間接的だとはいえ、シーフを殺したんだろ?」
「違うわよ!」
「え――?」
自分の言葉をハッキリと否定され、健一は驚いた。そんな彼の目をキラキラと輝く金色の瞳で真っ直ぐに見据えて、フラニィは言葉を継ぐ。
「あの時――、ハヤテ様は、敵だったあの悪魔を、本気で救おうとしていたの、最後まで! ……結局、彼が自分で命を絶ってしまったから、助ける事は出来なかったのだけど……」
「……」
「何で分からないの? あの方……ハヤテ様は、今までずっと、みんなを救おうと頑張ってるのよ! 私たちピシィナの民も、あなた達悪魔……オチビトのみんなもまとめて!」
「……うそ――」
「嘘じゃないわ! じゃあ何で、あなた達が結界を越えて現れた時に、ハヤテ様が“戦い”じゃなくて“説得”に来たと思ってるのよ? あなた達と私達がこれ以上争わないで済むように……そう願ったからよ!」
「そ……」
フラニィの言葉に、健一はブルブルと首を横に振りながら叫ぶ。
「そんな事……出来るはずも無いじゃないか! だって、ボクたちオチビトと君たちの間には、もう埋まらない深い溝が出来てしまってる――」
「――私も、そう思う」
「……だろ?」
「でも……」
健一の言葉を遮ったフラニィは、微かに首を左右に振りながら、静かに言った。
「でも、ハヤテ様は、埋められない溝であっても、その間を繋ぐ橋を架ける事は出来ると、本気で思ってるの。……正直、それはあたしも難しいと思うけど、不可能じゃないとも思ってる。――だって、あたしとハヤテ様は、それが出来ているから」
「……そう、なのかな?」
フラニィの確信に満ちた言葉に、健一は微かに首を傾げる。
ふと、先ほどのハヤテとの会話を思い出してみた。
――その口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「そうか……。確かに、他の奴ならともかく……あの正義バカなら、本気でそう思ってそうだね……」
「……」
「……分かったよ」
健一は、その年齢に相応しい屈託の無い笑みを浮かべて頷いた。
「――キミの言葉、ボクも信じてみる事にするよ。アイツが……ボクたちを救ってくれ……」
と、
健一の言葉は、途中で途切れる。
――ぞわり
「……ッ!」
健一は、急に背中の肌が一斉に粟立つのを感じ、顔色を変えた。
呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が、まるでサイレンのように鳴り響いているのが分かる。
(な……何だろう……? 何か、とても嫌なものが……来るッ!)
途轍もなく悍ましげな気配を感じた健一。
気付いたら彼は、フラニィに向かって叫んでいた。
「おいっ! き、キミ……今すぐに、逃げて――ッ!」




