第六章其の拾 依頼
「や……やめろ! やだ! 放せ……放してくれよ! ねえ、頼むからさぁ!」
「……」
両目からボロボロと涙を流しながら恫喝と懇願を繰り返す健一の声が聴こえぬように無視して、テラは無言で彼を太い木の幹に縛りつける。
「い、痛いよ! ねえ、止めてよぉ!」
「……すまないが、それは出来ない」
軽く引っ張って、縄の結び目が固く締まっている事を確認したテラは、ようやく口を開くと共に、小さく首を横に振った。
「俺の手にZバックルがあって、お前が再びZ2になれない事は知っているけど、だからといって油断するべきでない事も分かっている。どんな“万が一”があるか分からない以上、お前を野放しにする事は出来ない。……痛いかもしれないが、俺が戻るまでの間、我慢していてくれ」
「し……暫くの間って……」
健一は、テラの言葉に愕然とした表情を浮かべると、気色ばんで叫ぶ。
「お……『俺が戻るまで』って、何だよ! ……今から、どこに行こうって――」
「決まってる」
テラは健一の言葉に応えると、すっくと立ちあがり、キヤフェの外壁へと目を向け、言葉を継いだ。
「もうひとりの装甲戦士……ツールズを止めてくる」
「つ……ツールズ! カオルのヤツをかい?」
健一は、テラの答えに驚きの声を上げる。
「そ、それは無茶だよ! そ、そりゃ、確かにツールズは、多分ボクのZ2よりも弱いけどさ。ボクと戦って、キミもボロボロじゃないか! 灰色の象の装甲は、もう使い物にならないはずだろう?」
「……」
「その狼の装甲だって、ダメージを受けてる! ていうか――この前、森の中でキミとツールズが戦った時には、狼の装甲じゃテンで敵わなかったじゃないか! そんな状態でツールズと戦ったって、キミに勝ち目なんか無いよ!」
「何だ? 心配してくれてるのか、お前?」
「は、はぁ?」
からかう様な口調で訊かれた健一は、呆気にとられた表情を見せた後、目を吊り上げてテラを睨みつけた。
「そんな訳無いだろう! 今のは……タダの忠告だよ!」
「はは……そうか」
健一の言葉に、思わず笑い声を上げたテラだったが、直ぐに仮面の下の表情を引き締める。
そして、厳しい声で言った。
「だけど……、俺が行かなかったら、あいつを止められる者はいない。――罪のない猫獣人たちを、これ以上殺させる訳にはいかないんだ」
「……フン。まだ、そんな事を言っているのかい、キミは」
不満げに頬を膨らませた健一は、テラを憎々しげに見上げながら言葉を継ぐ。
「まあ、いいや。勝手にすればいいよ。そして、さっさとカオルに殺されちゃいな」
そして、テラの右手に握られているZバックルに目を遣る。
「……そうすれば、カオルがボクにそれを返してくれるだろうからね。――ボクの手でキミにドメを刺す事が出来ないのは残念だけど」
「……」
テラは、健一の言葉には応えず、クルリと後ろを振り向いた。そして、少し離れたところで、固唾を呑んでふたりの様子を窺っていたフラニィに声を掛ける。
「――フラニィ」
「あ……! は、はいッ!」
急に呼びかけられて驚いた様子のフラニィは、その金色の瞳を瞬かせながら、大きく頷いた。
それを見て頷き返したテラは、木に縛りつけた健一を指さす。
「頼みがある。――俺が戻るまでの間、ここで彼を見張っていてくれ」
「あ、ハイ! ……え、ええ~?」
テラの言葉に一度は頷いたフラニィだったが、一瞬遅れて言葉の意味を理解すると、その表情を一変させた。
目を飛び出さんばかりに見開いた彼女は、耳をぺたりと伏せて、激しく首を横に振る。
「い……嫌です! あ……あたし、ハヤテ様と一緒に行きたいです!」
「……いや、それは出来ない」
「嫌です! そんな悪魔と一緒に、ここで待ってるなんて!」
なおも激しく拒絶の意思を見せるフラニィに、テラは困った素振りを見せながら、なおも説得を試みた。
「大丈夫だ。絶対に外せないように木に縛りつけたし、満身創痍ですぐに動ける状態でもない。――それに、こいつの装着アイテムは俺が持っている。だから、もうZ2になる事は出来ないんだ」
「でも――!」
「……ハッキリ言うと、俺と一緒に行く方が危険なんだよ」
テラは、なおも言い抗おうとするフラニィにキッパリと言った。
「――俺が今から向かうのは、新しい戦場だ。ツールズの強さは、君も良く知っているだろう?」
「それは……」
「恐らく、奴との戦いは、さっきのZ2と同じくらい……いや、それ以上に苦戦する可能性が高い。……もちろん、だからといって負ける気は無いし、勝てる算段も、ぼんやりとだが考えている。……でも」
「でも……?」
「君が巻き込まないようにと気を付けながら戦ったり、君を守りながら戦う余裕は無いと思う。他の兵たちも居るだろうしね。――だから、君にはここで待っていてほしい」
「……っ!」
フラニィは、テラの説得に、尻尾をピンと伸ばしたが、やがて力無く垂れさせる。
そして、項垂れながら小さく頷いた。
「分かりました……。ハヤテ様の力になれないのは嫌ですが、足手まといになるのはもっと嫌です。ハヤテ様が仰る通り、ここで待ってます……」
「……すまない」
テラは、気まずそうに頭を下げると、クルリと踵を返――そうとしたが、もう一度振り返る。
「――フラニィ」
悄然と佇むフラニィに声を掛けたハヤテは、顔を上げた彼女に近付くと、その肩に優しく手を置いた。
「は――ハヤテ……様?」
「……あいつを見張っていてくれとは言ったけど、少しでも身の危険を感じたら、躊躇なくあいつを置いて逃げて構わないからね。――いや、絶対に逃げてくれ」
「……え? そ、それって、一体……?」
「いや……あくまでも、万が一の事態が発生したら――だ」
彼は、何となく嫌な予感を抱いていた。――いわゆる、“虫の知らせ”というやつだ。
だから、釘を刺した。
「分かったかい……フラニィ」
「は……はい……」
「――いい子だ」
テラは、フラニィの返事に大きく頷くと、そっと彼女の頭を優しく撫でる。
「ふぇ、ふぇっ……?」
「……じゃあ」
テラは、頭を撫でられて妙な声を上げるフラニィにもう一度頷きかけると、踵を返した。
「は……ハヤテ様! ご、ご武運を!」
その背中に、フラニィが激励の声を掛けると、彼は背を向けたまま、片手を挙げる。
そして、力強い声で応えた。
「ああ! 行ってくる!」




