第五章其の陸 疑信
フラニィの言葉に、大広間に詰めた者たちが一斉にどよめいた。
それは、王太子イドゥンと第二王子ドリューシュ、そして、国王アシュガト二世も例外ではない。
「は、ハヤテというのは、あいつの事か? ふ……ふざけた事を申すな! よりにもよって……この状況下で、あの悪魔を解き放てというのか?」
真っ先に声を荒げたのは、長兄であるイドゥンだった。
「危険すぎます! 今は大人しくしていると言っても、あやつはれっきとした、禍々しい悪魔のひとりなのですぞ! 自由にした途端、こちらに向けて牙を剥くに違いありませぬ!」
「そ……そもそも、あの者がこちらの味方になったという確証もございませぬ!」
「そうじゃ! 実は、壁外にいる悪魔どもと繋がっていて、時機を見て呼応し、我々を内と外から攻めようという策略の可能性も……いや、そうに違いありませぬ!」
大広間に詰めた臣下たちからも、イドゥンの言葉に対する同意の声が一斉に上がる。
怒号に近い声が飛び交う中、フラニィは爛々と光るその金色の眼を吊り上げ、負けじと声を張り上げた。
「そんな事はありません! ハヤテ様は、外で暴れている“森の悪魔”達とは違います! あの方は、命を懸けて何度もあたし達を助けてくれたんです! ――それは、お父様も良く御存知でしょう?」
「う……うむ……」
フラニィの言葉に、アシュガト二世も小さく頷く……が、その表情は曇っている。
「でしたら――」
「――だから、その事自体が、我々の信頼を得て懐に潜り込もうとする、“森の悪魔”どもの策略だというのだ!」
フラニィの懇願の声を中途で遮ったのは、イドゥンだった。
「お前と父上は、まんまとあの男に騙されておるだけなのだ! 自由の身になった途端、掌を返すに決まっている!」
「そ……そんな! 先日ハヤテ様は、お父様を襲った悪魔のひとりと戦って、見事に討ち果たしたんです! ……それも、あたし達を騙す為の芝居だと仰るんですか?」
「フン、当然だ!」
フラニィの訴えを、イドゥンは鼻で嘲笑ってみせる。
「……そもそも、あの悪魔に止めを刺したのは、あの者ではないと聞いたぞ。逃げられぬと観念した悪魔が、自分で胸を刺し貫いて果てたのだ、とな」
「で……でも! 仲間だったら、そんなむざむざと見殺しにするような真似を……」
「ふん……奴らは“森の悪魔”だぞ? 我らピシィナの民とはものの考え方が違っていてもおかしくは無い。我らに取り入るという目的の為ならば、仲間を見殺しにする事も辞さぬという考えを持っていたとしても不思議ではない!」
「そ……そんな事はありません!」
イドゥンの言葉に激しく反発するフラニィ。
「は……ハヤテ様は、お優しい方です! そ……そんなひどい事をするはずがありません!」
「――僕も、そう思います。兄上」
と、フラニィを擁護する声が上がった。イドゥンは目の色を変え、声を上げた者を睨みつける。
「……ドリューシュ!」
「何度かハヤテ殿と言葉を交わしましたが、彼の物腰や言葉からは、我々を騙そうとしているような感じは受けませんでした。むしろ、とても素直で……穏やかな御仁だな、と。――父上も、そうでしょう?」
「……そうだな」
ドリューシュの問いかけに、アシュガト二世は重々しく頷いた。居並ぶ臣下たちの間から微かなざわめきが上がり、さざ波の様に広がる。
が、王はすぐに首をフルフルと振り、腕を組んで考え込んだ。
「だが……イドゥンの申す事にも一理ある。我らは、本当にハヤテ殿を信じても良いのだろうか……」
「そ……そうですとも!」
悩む様子を見せた父王に、ここぞとばかりに声を上げたのは、イドゥンだった。
彼は、両腕を大げさに振りながら、自分の考えを主張する。
「やはり、あの男を信用……いや、妄信して、あの強大な力を自由にしてしまうのは、あまりに危険です!」
「……では、兄上は、どうなさるのが一番良いと? やはり、奴らの要求通り、大人しく光る板を渡してしまうのが良いとお考えなのですか?」
「う……そ……それは……」
ドリューシュの問いかけに、イドゥンは言い淀んだ。――結局のところ、彼にも名案は浮かんでいないのだ。
――と、その時、
「お――恐れ入ります!」
新たな声が、大広間の扉の向こうから上がった。広間の者全員の視線が、一斉に扉の方へ向かう。
一瞬だけ驚いた表情を浮かべたアシュガト二世だったが、すぐに顔を引き締めると、声の主に問い質した。
「何事だ! 入れッ!」
「――はっ!」
王の赦しを得て広間の中に入ってきた者の顔を見たフラニィが、思わず目を丸くする。
「あ――あなた……は!」
堅苦しい挙措で大広間に入ってきたのは、ハヤテの部屋に詰め、常に彼を護衛する役目を負っていた護衛兵だったからだ。
彼の姿を見たアシュガト二世のヒゲが、ピクリと跳ねた。
「持ち場を離れおって、一体どうしたのだ? ――もしや、ハヤテ殿の身に何かが……?」
「……それとも、やはり正体を現したのか、あの悪魔が?」
「――!」
王とイドゥンの言葉に、フラニィの顔が一瞬曇る。
――だが、階の下で跪いた護衛兵は、小さく頭を振った。
「いえ……。そうではないのですが……」
「……? では、何用で、ここに参ったのだ? お前には、ハヤテ殿の監視を申しつけておったはずだ。彼はどうした?」
「あいつは……万が一にも暴れたり逃げ出したせぬよう、身体を柱にきつく縛りつけてあります。――ご憂慮なさっておられるような、万が一の事態は起こり得ぬかと」
「柱に縛りつけた……ですって?」
護衛兵の言葉に、フラニィの表情が変わる。
彼女は、ヒゲを怒りで小刻みに震わせながら、護衛兵に詰め寄った。
「あなた……! あたし達を守るために戦ってくださったハヤテ様に、なんて仕打ちを……!」
「ち、違います! 身体を縛る様に指示したのは、アイツ……は、ハヤテ殿ご自身で――」
「……え?」
怒りに震えるフラニィに慌てて釈明した護衛兵の言葉に、彼女は唖然とする。
「そ……それって、どういう……?」
「……我々が疑心暗鬼に駆られぬよう、敢えて自らを縛らせたんだろうな。『疑わずとも、怪しまれるようなことはしない』と、ハッキリと示す為に……」
ハヤテの意図を察したドリューシュが、呟きながら小さく頷いた。
と、イドゥンが苛立たし気に声を荒げる。
「え……ええい! そんな事はどうでも良いわ! ――で、何をしに、ここまでノコノコと参ったのだ、貴様は!」
「は……はッ!」
イドゥンに怒鳴りつけられた護衛兵は、慌てて背筋を伸ばすと、自分がここに来た目的を、上ずった声で述べた。
「わ……私は、ハヤテ殿から、伝言を言付かって参ったのです! 我らが、この事態を打開する為の提案を――!」




