第五章其の伍 対処
にわかに齎された凶報によって、キヤフェの王都は蜂の巣をつついた様な喧騒に包まれていた。
全身を完全装備で固めた兵たちが、青ざめた顔をしながら、慌ただしく駆け回ったり、急いでまとめた身の回りの物を抱えた女たちが、小走りで避難所へと急いだり――。
王都と外界を繋ぐ城門では、門扉の前に木製の家具や石などを積み上げて、臨時的なバリケードを構築したりしていた。
それもこれも、突如として結界内に現れ、哨戒に出た騎馬隊をたちまちの内に全滅させたという、“森の悪魔”達の襲来に備える為である――。
そして、キヤフェ王宮の大広間では、ミアン王国の首脳たちが集まり、一様に難しい顔をしていた。
「……『光る板を全て渡せば、大人しく帰る』――確かにそう言っていたというのか、悪魔どもは?」
玉座に座り、腕組みしながら唸ったのは、国王・アシュガト二世である。
「――はっ!」
王の問いかけに大きく頷いたのは、近衛兵の長であるグスターブだ。
「悪魔どもから託を預かったという兵が、そのように申しておりました。間違いないようです」
「……左様か」
グスターブの答えに、王は眉根に皺を寄せ――つと顔を上げると、階の下で跪くグスターブに重ねて問う。
「で……、その、悪魔から伝言を受けた兵は、今――」
「……残念ながら、失った右腕からの出血が酷く……、我々に託を伝えてから間もなく――」
「……そうか」
グスターブの報告に、王は顔を曇らせ、目を伏せた。
――と、
「ち、父上!」
唐突に、彼の傍らで裏返った声を上げたのは、王太子であるイドゥンである。
彼は、微かに口元を戦慄かせながら、父王に向かって訴えかけた。
「父上……ここはひとつ、あの悪魔どもの要求を呑んで、大人しく光る板とやらを――」
「渡したところで、あいつらが退くという保証も無いでしょう!」
「――ッ!」
イドゥンが口にした提案を途中で遮ったのは、階の下で控えていたドリューシュだった。
彼は、その青い目を鋭く光らせると、兄に向かって毅然と言い放つ。
「――むしろ、むざむざと光る板を渡してしまったら、労せずに奴らの力を増やす手助けをしてしまう事になりまする!」
「……」
「確かに……ドリューシュの言う通りだ」
ドリューシュの言葉に小さく頷いたアシュガト二世は、暗い顔で言葉を継いだ。
「……イドゥン、お主は実際に見ていないから分からぬだろうが、以前この王宮に悪魔のひとりが潜入した際、悪魔は奪った光の板を魔具に変え、新たな姿を顕したのだ。それまでよりも、更に強力な力を持つ禍々しい姿をな」
「……」
「奴らに我々の手中にある“光の板”を全て渡すという事は、将来的に己の首を絞める事になり兼ねぬ。……いや、確実にそうなる。――奴らの最終目的が、“石棺の破壊”である以上は、我らと奴らの衝突は免れぬからな」
「……で、ですが……!」
王の言葉に気色ばむイドゥン。
「だ……だからと言って、板を渡す事以外で、今の事態を収められる方法がありましょうか! ……悔しいですが、悪魔どもと我々との力の差は歴然です! 奴らの言う通りにしなければ、我らピシィナ族の命運は、本日を以て潰える事になりますぞ!」
「む……むう……」
恫喝にも似たイドゥンの声に、アシュガト二世は思わず言葉に詰まる。
――と、
「――だからと言って!」
イドゥンの言葉に憤然とした声を上げたのは、ドリューシュだった。
彼は、兄の顔を真っ直ぐな目で睨みながら、荒々しい声で言う。
「悪魔どもが光る板を渡されて、ハイ分かりましたと素直に帰る保証もありますまい。むしろ、受け取った光る板を自分の魔具に変えて、そのまま攻め寄せてくる可能性もありましょう!」
「……な、ならば!」
ドリューシュの剣幕に気圧されながら、イドゥンは問いを投げた。
「き……貴様はどうすれば良いと考えておるのだ、ドリューシュ!」
「――そんな事、決まっておるでしょう」
ドリューシュは、兄の問いかけに、覚悟を決めた武人の表情で答える。
「当然、戦うのですよ」
「ば……バカなことを申すな! 既に壁外で、相当数の騎馬兵たちが、悪魔どもに為す術も無く皆殺しにされたのだぞ! か、敵うはずが――」
「そうと決めつけるのは、些か早計でしょう」
ドリューシュは、イドゥンの言葉に頭を振った。
「現に我らは、以前に悪魔のひとりを討ち取っております。今回も、敵はわずか二人にすぎませぬ。我々の全兵力を以てすれば、撃退どころか討ち取る事も不可能ではないと思われますが――」
「あの時の悪魔は、仲間割れか何かで仲間に深傷を負わされ、殆ど死に体であっただろうが! それにも関わらず我らは、仕留めるまでに三十名もの犠牲を出したのだぞ!」
イドゥンは、目を跳び出さんばかりに剥きながら、声を荒げた。
「――その犠牲の中には、武勇に優れておったエルガー伯父上とレーモ伯父上も含まれておる! 手負い相手にそこまで手こずらされるというのに、無傷の悪魔どもをふたりも相手にしたら、我らに一体どれだけの犠牲が出ると思っておるのだ!」
「ッ……」
イドゥンの怒声に、ドリューシュは言い返そうとしたが、反論の言葉が見つからず、悔しそうに臍を噛む。
と、それまで固唾を呑んで、王とその子息たちが激論を戦わせる様を見守っているだけだったグスターブが、おずおずと声を上げた。
「で……では、どうすれば宜しいのでしょうか、我々は……?」
そう言うと、三人の王族の顔を順番に見回す。
「それは……」
「う……」
「……む、むう」
グスターブの問いかけに、三人は一様に言葉を詰まらせる。
――と、その時、
「お父様! お兄様たち!」
末座の方から凛とした女の声が上がり、だだっ広い大広間の中を反響した。
その場に居合わせた者たちは、みな驚きの表情を浮かべて、声のした方に頭を巡らせる。
――大広間の大きな扉の前に、寝間着姿のままの、雪のように白い毛皮をした少女が立っていた。
その姿を見たイドゥンの表情が、急速に険しくなる。
「――フラニィ! ここは重要な軍議の場だ! 女の分際で入って来るなと申しておったであろう! さっさと消え――!」
「お父様! 名案がございます!」
長兄の叱責を聞こえていない様に無視したフラニィは、玉座に座る王に向けて、高い声で叫んだ。
アシュガト二世の耳がピクリと動き、彼の金色の眼が鋭く光り、娘へと向けられる。
「フラニィよ……名案とは、一体何だ?」
「はい! それはもちろん――」
父の問いかけに、フラニィは興奮で鼻の頭を赤くしながら、一気に言い放った。
「ここは、ハヤテ様に悪魔をやっつけてもらうんです! それが一番……そして、唯一の方法だと思います!」




