第四章其の壱拾弐 決意
「……とはいえ、当のフラニィ本人は、そんな事は露ほども考えていない様に思いますが――」
「ええ……そうですね」
ハヤテの言葉に、ドリューシュも同意する。
「あいつは、あの調子ですから。いくら自身が無垢毛だといっても、王位がどうのという事は考えた事も無いでしょう。――そもそも、女子には王位継承権がありませんから、尚更……」
「だったら――」
「ですが……兄上と姉上、そして、取り巻きの家臣たちは、そう考えてはいないのです」
ドリューシュはそう言うと、大きな溜息を吐いた。
「それに加えて、父上が、何かとフラニィに甘い態度を取る事も、向こうの不審をいや増す原因になっています。……父上としては、単純に末の娘が可愛いからというだけなのでしょうが、その寵愛が過ぎて、父上がフラニィを次期国王に据えようと考え始めている――兄上の中には、それがすでに既成事実と化しているようでして……」
「……」
「それに加えて、父上が兄上に過度に厳しく接する事も、兄上が疎まれていると思い込む一因ですね……。傍から見る限り、父は兄に帝王学を仕込もうと殊更に厳しくしているだけだけなのですが、兄はそれを不当な差別だと捉えているようです」
「何だよそれは……。まるでガキじゃないか……」
「はっはっはっ! いやあ、本当に率直に仰いますなぁ、ハヤテ殿は!」
「あ……いや……」
心底愉快そうに笑うドリューシュに、ハヤテは恐縮したように頭を掻く。
「すみません、つい……。実の弟さんの前で、お兄さんを……」
「アッハッハッハ! いいんですよ」
ドリューシュは、またひとしきり笑うと、今度は声を潜めて付け加えた。
「……実は、僕もそう思ってますから。……あ、今の発言は、お互い内密にってコトで」
「あ……は、はい……」
気を呑まれたように、コクコクと頷くハヤテ。
――と、
「ハヤテ様っ、ドリューシュ兄様っ! なにをそんなに楽しそうにお話ししていらっしゃるのですか?」
ふたりの話に、戻ってきたフラニィが割り込んできた。
彼女の問いかけに、ハヤテとドリューシュは目配せをして、微かに頷き合う。
そして、にこやかに微笑んだドリューシュが口を開いた。
「いやぁ、まだ何もご存じないハヤテ殿に、僕たち王家の者たちの紹介をね」
「えぇ……。何か、ハヤテ様に変な事を吹き込んだりしてないでしょうね、兄様ッ!」
「おいおい」
妹に疑わしげな表情を向けられたドリューシュは、さも心外そうな顔をして肩を竦める。
「お前は、実の兄の事を信じられないのかい? 同じ胎の中で育った兄妹だろう、僕たちは」
「う……そういう訳じゃないですケド……」
と、哀しそうな声色で言う兄に、たじろぐ様子を見せるフラニィ。
そんな彼女に、ドリューシュはニヤリと笑いかけた。
「ま、そんなに大した事じゃないさ。例えば――お前が、十になるまでおねしょが治らなかった事とか――」
「ど、ドリューシュ兄様ッ! そ……そんな……根も葉もない事をハヤテ様にッ!」
ドリューシュの言葉に、血相を変えて声を荒げるフラニィ。
そんな妹を前に、涼しい顔でヒゲを撫でてみせるドリューシュ。
「根も葉もない? いや、事実だろ?」
「た、たとえ事実でも、言っていい事と悪い事がッ――!」
真っ白な毛皮に覆われていない鼻の先を真っ赤にして、兄に食ってかかるフラニィを見ながら、
(いい兄妹だな……)
ハヤテは微笑ましい思いを抱いた。
今のフラニィは、のびのびしている。そう感じた。
大広間でイドゥンたちと対峙した時とは全く違った、年頃の少女らしい幼気な様子を好ましく思う。
そして……、
(――彼女の笑顔、これからも守っていかなきゃいけないな……)
そう、改めて、心に誓ったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
――それから五日後の深更……。
ミアン王国王都キヤフェをぐるりと取り囲む、蒼い光の結界を眼下に望む小高いの丘の上に、ふたつの影が立っていた。
「さて……、ボチボチ行くか、クソガキ」
背の高い方の影が、地面から立ち上る蒼い光の壁を忌々しげに見据えながら声を上げた。
――と、その横に立つ小さな影が、うんざりとした溜息を吐く。
「……だから、年上にクソガキは止めてくれって言ってるだろ、カオル。そっちこそクソガキのクセに」
「あぁっ? このガキャ、泣かすぞゴラァっ!」
「いだっ!」
小さな影に向かって、大きな影の方が声を荒げ、その脳天に拳骨を落とした。
殴られた頭を抱えて、小さな影は思わずしゃがみ込む。
「痛いなぁっ! そうやって、すぐに暴力に訴えるのがクソガキだって言ってるんだよッ、カオル!」
「うっせえっ! 痛ぇ思いをしたくなかったら、ガキはガキらしくしてろってんだ!」
大きな影――来島薫は、眉根を顰めながら、大声で怒鳴りつける。
そんなカオルの横暴な態度に、小さな影――有瀬健一は不満そうな目で彼を睨みつけるが、それ以上は何も言わなかった。
舌打ちをした薫は、地面に向かって唾を吐き、忌々しそうに拳を己の掌に叩きつけた。
「ったくよぉっ! 何で、よりによってこんなクソ生意気なガキと一緒なんだよ! あんなクソ猫どもなんか、オレ一人で充分だっつうのによォッ!」
「……不本意なのは、ボクの方だよ。――サトルも何を考えてるのやら。ボクとこんな脳みそ空っぽのチンピラ不良なんかと組ませるなんて……」
「んだとゴラ! もう一発食らっとくか、アァッ?」
生意気な健一の言葉に激高し、再び拳を振り上げようとする薫だったが――健一の手に“Zバックル”が握られているのを見て、ギョッとした顔で動きを止めた。
「お……おいおい! おま……生身のオレ相手に“武装”する気かよ!」
「……やられっ放しは性に合わないんでね」
たじろぐ薫を、据わった眼で睨みつけながら、健一は言った。
「……いいよ。キミも“換装”しなよ。装甲戦士同士でやり合おう。――今、ここで」
「……ッ!」
「……」
「…………チッ!」
一瞬、緊迫した空気が、睨み合うふたりの間に流れたが、先に目を逸らしたのは薫の方だった。
彼は、手をブンブンと振りながら、イラついた声で怒鳴る。
「んだよ! ジョーダンだよジョーダン! 間に受けてんじゃねえよ、クソガキッ!」
「……フン」
背を向けた薫を鼻で笑った健一は、Zバックルをズボンのポケットにしまう。
そして、背負っていたズタ袋を下ろすと、中から小さな壺を取り出した。
「さて……、じゃあ、改めて。――行こうか、カオル」
「……何で、テメエが仕切ってんだよっ」
音頭を取る健一に、不満そうな声を上げる薫。だが、彼はそれ以上言わず、顔を前方の光の壁に向けた。
「さぁて……待ってろよ、クソ猫ども――」
彼はそう呟くと、その顔に獰猛な笑みを浮かべ、べろりと舌なめずりをする。
「――そして、覚悟しやがれ――装甲戦士テラ……ッ!」




