第四章其の壱拾壱 兄妹
ハヤテは、難しい顔をして顎に手を当てると、ドリューシュに向かって尋ねた。
「――で、実際のところはどうなんですか? 無垢毛であるフラニィ……王女が、あの王太子を差し置いて王位に就くという可能性はあるのですか?」
「ははは。今更改まって“王女”を付けずとも、フラニィのままでいいですよ」
「あ……いや、そういう訳にも……」
からかうように笑うドリューシュを前に、困り顔をするハヤテ。
――と、ドリューシュの顔にも、ほんの僅かな陰りが射す。
「まあ……難しい所なんですよね、それは……」
「……では」
ドリューシュは、自分のヒゲを指で玩びながら、小さく頷いた。
「本来、王位の継承権は、王家の血を引く男子に限ると決まっております。……つまり、女子であるフラニィには、元々王位継承権が無いのです」
「じゃあ……、もし王太子が何らかの理由で王位を継げなくなったら――」
「その際は、第二王子の僕が繰り上がります。――そして」
そう言うと、ドリューシュは「あまり考えたくは無いですが」と微笑いながら前置きして、言葉を継ぐ。
「――万が一、僕も継承できないとなったら、その時は、長女であるファアラ姉上が従兄弟の誰かと結婚して、その夫となった者がファスナフォリック宗家を継ぐ――そんな感じになると思います」
「なるほど……あくまで、王家を継ぐのは男なんですね」
ハヤテは、ドリューシュの説明を聞いて、大きく頷いた。
「ここでは、女王という存在は認められていないという訳か……」
「そうです。……というか」
ハヤテの呟きに、ドリューシュはあっさりと頷き、
「――そのご様子だと、ハヤテ殿の居た世界では、女が王となる事もあったんですか?」
興味津々といった様子で、ハヤテに逆に尋ねてきた。
ドリューシュの食いつきに内心で辟易しながら、ハヤテは答える。
「え、ええ、まあ。基本は男が王になる事が多かったようですが、偶に、直系の男が居なくなった時とかに、娘とか妻とかが王になる事があったみたいですね……」
「へえ……直系の男が居なくなる事なんてあったんですか?」
「……逆に、ここの王家では、そんな事無かったんですか?」
驚いて聞き返された事に驚いて、ハヤテは更に聞き返した。
すると、ドリューシュは「無かったですねぇ」と言って、顎の毛を撫でる。
「だって、普通、一度の出産で四・五人は産まれますしね……。王の子供は、十数人いるのが普通ですから、今までの歴史で、息子が居なくなってしまった王はいないはずです」
「あぁ、そうなんですか……」
ハヤテは、ドリューシュの答えに驚きつつも、(そうか……、猫は多産だからな……)と納得して頷いた。
「…俺たち人間は、一回の出産で産めるのはひとりだけなんで……。たまに双子とか三つ子のケースもありますが……」
「ほう、そうなんですか。それは何とも非効り……あ、いや、失礼いたしました」
思わず口から出かけた言葉が不適切なものだったと悟ったドリューシュは、慌てて頭を下げる。
そんな彼を前に苦笑を浮かべていたハヤテだったが、ふと引っかかって、ドリューシュに尋ねた。
「……という事は、他にもいるんですか、あなたの兄弟は……?」
「あ……いえ……」
ドリューシュは、ハヤテの質問に一瞬困ったような表情を浮かべた後、苦笑いを浮かべて答える。
「いえ……それが、僕ら兄妹は、さっき大広間に居た者で全員です。イドゥン兄上、ファアラ姉上、カテリナ姉上、僕、そしてフラニィ……。合わせて五人ですね。少ないでしょう?」
「あ……すみません」
今度は、ハヤテが恐縮して謝る番だった。
が、ドリューシュは笑いながら、鷹揚に手を振る。
「ああ、お気になさらず」
「……あの、差し支えなければお聞きしたいんですが」
ハヤテは、躊躇いながらもドリューシュに問いかけた。そして、ドリューシュが「どうぞ」と頷くのを見留めてから、おずおずと口を開く。
「――何故、あなた方のご兄弟は、そんなに少ないのですか……?」
「……」
ハヤテの質問に、ドリューシュは一瞬目を伏せた。そして、相変わらず窓際で夜空を見上げるのに夢中な様子のフラニィを一瞥すると、先ほどよりもやや沈んだ声で答える。
「それは……僕たちの母が、早くにお隠れになったからです」
「あ……」
「ああ、お気遣いなく。もう、随分昔の事ですから」
表情を曇らせたハヤテに向かって、微笑みながら首を横に振ったドリューシュは、静かに言葉を継いだ。
「……元々、母は体の弱い人で……。初産で上の三人を産んだ後、僕とフラニィ……あとふたりの赤子を孕んだんです。そして出産の時、最初に出てきた僕は無事に産まれたのですが、僕の後のフラニィが逆子で、難産を極め……」
「……」
「何とか、フラニィは産めたのですが、そこで母の体力は尽きてしまい、結局、他のふたりの胎児と一緒に……」
「……そんな――」
ドリューシュの話に、ハヤテも沈痛な表情を浮かべる。
そんな彼に力無く笑いかけながら、ドリューシュは話を続けた。
「当然、やもめになった父上に対し、臣下たちは後妻を迎えるよう進言したらしいのですが、母をとても愛していた父上は頑としてその進言を用いず……現在まで独り身を通しているのです。――だから、父の子は、我々五人だけ」
そう言うと、ドリューシュは大きな溜息を吐くと、窓際の妹の背中を愛おしむ様な――或いは憐れむ様な目で見遣る。
「……そういう訳で、上の三人はともかく、僕とフラニィは、母の顔も知らぬのです。……と言っても、周りには父も乳母も、なにより妹がおりましたから、僕はそんなに寂しい思いはしませんでしたけどね……」
「――兄姉はどうだったんですか?」
ハヤテは、恐る恐る尋ねた。……とはいえ、彼の言い方と、先ほどの大広間での一件から、その答えは大体想像がついていたのだが。
ドリューシュも、苦笑を浮かべつつ小さく頷いた。
「ま、冷たいものでしたね」
「……」
「と、言っても……僕に対してはそれほどでも無かったんですが、フラニィへの仕打ちが……。兄と姉たちは、フラニィの事を心底嫌い……いや、むしろ憎んでさえいるのです」
「それは……自分たちから母を奪った張本人だから?」
「――ええ」
ハヤテの言葉に、ドリューシュは昏い表情で首を縦に振る。そして、膝の上で両手を組むと、ぽつぽつと呟くように言った。
「もちろん……生まれたばかりのフラニィが意図して母を死に追いやったのではない事は、僕と同じように兄姉たちも理解しているとは思うのですが……。いくら理解していても、感情的には――というヤツなんでしょうね」
「なるほど……だから、あの時――」
――『私を気安く兄と呼ぶな、この鬼子めが』
ハヤテの脳裏に、イドゥンがフラニィに投げつけた言葉が蘇る。――確かに、兄としての感情の欠片も感じられない、冷たい響きを持った一言だった。
「イドゥン王太子が、あんな事を言ったのには、そんな理由が……」
「……そうです。そして、それに加えて――」
ドリューシュは、憂いを浮かべた顔でフラニィを見つめ、重苦しそうに言葉を継ぐ。
「あの無垢毛……。それが、イドゥン兄上達がフラニィを徹底的に厭い、嫉む理由なのです……」




