第一章其の弐 素性
【イラスト・よすぃ様】
「ミアン王国……?」
「はい。ミアン王国……ご存知ないですか?」
猫少女――フラニィの口から出た国の名に、男は小さく頭を振った。
「ううん……聞いた覚えが無い名前の国だな……」
「そうですか……。この“エフタトスの大森林”の真ん中にある小さい国なんですが……」
フラニィは、自分の国の事を知らないらしい男の反応に心なしかガッカリした様子で耳を垂らす。
「あ……何か、ごめん」
バツが悪くなった男は、申し訳ない気分でフラニィに謝る。
――と、その金色に光る瞳を大きく見開いたフラニィは、男の顔をしげしげと見つめながら尋ねかけた。
「ところで……。あたしは名乗りましたから、今度はこちらがお伺いしても良いですか? あなたの事について」
「お、俺の事?」
「はい。先ずは、お名前から」
コクリと頷いて、身を乗り出してくるフラニィ。
興味津々といった様子で目を輝かせる彼女に少し辟易しながら、男は戸惑いの表情を浮かべた。
「――俺の、名前……」
そう尋ねられても、男は答えられない。
なにせ、自分が何者なのかすら、全く思い出せないのだ。
「……ごめん。実は、俺――」
『記憶を失ってしまっているんだ』――そう答えようと、口を開いた男だったが、
「――俺の、名前は……焔良疾風……あれ?」
自然と名前が口からついて出てきた事に、当の男自身が驚いた。
一方のフラニィは、パッと顔を輝かせる。
「ホムラハヤテ様ですね! いいお名前――なんでしょうか? ……ごめんなさい。あたし、別種族の名前や言語は良く知らなくって……て、どうしました?」
言葉の途中で、首を傾げるフラニィだったが、目の前で男――疾風が難しい顔をして考え込んでいる事に気が付いて、心配そうに表情を曇らせた。
一方のハヤテは、怪訝な表情のフラニィの問いかけにも気付かぬ様子で、口元を掌で押さえ、眼を中空に彷徨わせながら小さく呟いている。
「そうだ……。俺は、焔良疾風……。装甲戦士テラの変身者……。二十三歳で……職業はイラストレーター……」
「……い、いらすとれ……それって何の事でしょうか、ハヤテ様――」
「あ、ああ……ゴメン」
フラニィの言葉で我に返ったハヤテは、ようやく返事をすると、額に浮いた汗を拭った。
「ありがとう……。さっきまで靄がかかってた頭の中が、キミの問いかけで急に晴れて、色々と思い出せたよ」
そう言うと、ハヤテはフラニィに微笑いかける。
彼の言葉に、たちまち鼻の頭を赤くしたフラニィは、耳とヒゲをピンと立てて、目をまん丸にした。
「あ……はい……えと……よ、良かったです。お、お役に立てたのなら……はい」
「ははは」
彼は、フラニィのリアクションに、思わず笑みを零すと、ボサボサに乱れた髪を掻いた。
「さて。色々と思い出して、少し分かってきたな。――信じられない話だけど、多分俺は、この世界の人間じゃないようだ……」
「……ニンゲン? ニンゲンって……なんですか?」
「そこからか……」
男は、もう一度溜息を吐くと、指で自分の顔を指し示した。
「人間って言うのは、こういう、俺みたいな顔をした生き物の事だよ。……見た事無いかな?」
「そうですね……。少なくとも、あたしは」
フラニィは、そう言いながら首を横に振ろうとしたが、「あ、でも!」と小さく叫ぶと、思い出したように耳をピンと立てた。
「お父様――アシュガト二世陛下なら、何かご存知かもしれません。エフタトスの大森林に関する異変は、全てお父様の耳に入るはずですので。ハヤテ様のような、珍しい生物が確認されたら、真っ先に報告が届くはずです」
「め……珍しい生物……ね」
フラニィの言葉に、ハヤテは顔を引き攣らせつつ苦笑する。
まさか、人間が“珍しい生物”呼ばわりされる日が来ようとは、想像もしなかった。何とも言えない、奇妙な感覚だ。
そう思いながら忍び笑いを漏らしたハヤテは、
「……でも、確かにそうか」
と、小さく頷いた。
――確かに、王国内の事に関しては、国王が一番詳しいに違いない。
自分の素性は蘇った記憶から垣間見えたものの、全てをハッキリと思い出せたとはとても言えないし、この奇妙な世界については全くと言っていい程何も知らない。
この世界に関する情報についてはもちろん、何故自分がこの世界に居るのか、他にも自分と同じ様な境遇に陥っている人間が存在するのか否か、その情報を集めるのに一番適しているのは、フラニィの父であるアシュガト二世とかいう国王の下であろう。
そう考えたハヤテは、少しだけ背筋を伸ばすと、先程からの彼の様子に怪訝な表情を浮かべているフラニィに向かって言った。
「なら、フラニィ。相談なんだけど……俺を君のお父さん――国王様の所に連れて行ってくれないか? 正直、今の俺は、この世界に何の伝手も無いんだ」
「……」
「自分が何者なのかもぼんやりとしか思い出せないし、これから何処へ行けば良いのかも全く解らない……。だから、『国王に会って、何か役に立つ情報があるかどうかを訊く』という事を、取り敢えずの目的としたい」
そこまで言うと、俺はジッと彼女の顔を見つめた。
「――それには、ここで出遭った君との縁に縋るしか無いんだ。……君にとっては、迷惑な頼みなのかもしれないけど」
「そ……そんな! 迷惑だなんて、とんでもないです!」
フラニィは、俺の言葉を聞くや、慌てて首を横に振った。
そして、表情を引き締めて姿勢を正すと、俺に向けて深々と頭を下げて言った。
「もちろんです! ――寧ろ、あたしの方からお願いします」
「え――?」
逆にフラニィの方から懇願されて、ハヤテは驚きの表情を浮かべる。
彼女は、その大きな耳を伏せ、暗鬱な表情を浮かべながら言葉を継いだ。
「ハヤテ様。どうか、ミアンの王都・キヤフェまで、あたしを護って下さい。――あの、血に飢えた悪魔達の手から……!」