第四章其の弐 確認
「あっ……!」
口にした言葉が照れ臭くなったのか、フラニィは鼻を赤くしながら、話題を変えた。
「あ、あの……ところで、お食事の味はどうでした?」
「あ……ああ――」
ハヤテも、突然の話題の転換に戸惑いながらも、大きく頷く。
「うん……美味かったよ。――ただ……」
「ただ……?」
フラニィは、ハヤテの言葉尻に不安げな表情を浮かべた。
すると、ハヤテは慌てて首を横に振る。
「あ……いや、そんなに大した事は無いんだけど……。あの、ちょっと味が薄いかな……って」
「味が……薄い、ですか?」
「う……うん、ちょっとだけ――ね」
ハヤテは、フラニィをあまり悲しませる事の無い様、慎重に言葉を選ぶ。
「もうちょっと……塩気が欲しいなぁって」
「シオ……ケ……?」
「あ……分からないか……」
ハヤテはフラニィの反応で察した。――どうやら、この世界では、塩といっても分からないらしい。
彼は、“塩”の事をどう伝えようか、顎に指を当てながら考える。
「その……、塩っていうのは、真っ白い粉で……。海の水を天日で干すと穫れるんだけど……」
「……ウ、ウミ?」
「あ、そっからか……」
ハヤテは、思わず嘆息する。
――そういえば、確かに以前フラニィから、このミアン王国が“エフタトス大森林の真ん中に位置する小さな王国”だと聞いた。
恐らく、その領土は海に接しておらず、彼女――いや、この国の民のほとんどは、海を目にした事自体が無いのだろう。
……だが、そうだとすると些か困る。“塩”の事をどう伝えればいいのだろう?
ハヤテは、どうにかして塩の事を説明しようと、一生懸命頭を回転させる。
「ええと……、あとは、山でも穫れるね。岩塩って言って、四角い結晶になった白い岩みたいなやつなんだけど――」
「あ! それなら分かります! “タリツ”の事ですね! 舐めると舌がピリピリして、喉が渇いちゃう――」
「あ、そう! それだよ!」
ハヤテは思わず大声を上げる。
――と、
“シャラン!”という鞘走りの音が聴こえたかと思った瞬間、ハヤテの喉元に銀色に輝く剣先が突き付けられた。
「う――っ」
「きゃっ!」
思わず息を呑むハヤテと、悲鳴を上げるフラニィ。
ハヤテの喉元に刃を擬したのは、扉の前に仁王立ちしていた兵士だった。
それに気づいたフラニィは、顔を険しくさせて、声を荒げる。
「――止めて! ハヤテ様に、そんなものを向けるのは!」
「……申し訳ございません、フラニィ様。突然、この野郎が威嚇の声を上げたもので……」
「言葉を慎みなさい!」
「で――ですが、この悪魔……」
「ハヤテ様の事を“悪魔”呼ばわりするのも止めて!」
当惑しながら頭を下げる兵士に、フラニィは更に厳しい声をぶつけた。
「昨日、ハヤテ様が命を懸けて戦ってくれなければ、もっとたくさんの兵士の方が殺されていたのよ! ハヤテ様をあいつらと一緒にしないで――!」
「……いや、フラニィ。大丈夫……俺は」
そう言って、ハヤテは激昂するフラニィを制する。
一方の兵士は、ぎろりとハヤテの顔を一瞥すると、無言で剣を鞘に納め、扉の前に戻り、元の様に仁王立ちした。
――フラニィは、素知らぬ顔で立つ兵士に、怒りの眼差しを向けていたが、「いいよ。俺は平気だから……」と、静かに頭を振るハヤテを見ると、不承不承頷く。
「……」
「……」
楽しかった朝食の席が、一気に白けてしまった。
「……」
「……ごめんなさい、ハヤテ様……」
「いや……」
蚊の鳴くような声で詫びるフラニィに、ハヤテは苦笑いを浮かべながら静かに首を横に振る。
「あいつらのやった事を思えば、当然の扱いだ。……彼らと同じ装甲戦士の力を持つ俺に、怒りや恐怖を感じるのも当然だよ。……俺は、それもしょうがない事だと納得している」
「で……でも! ハヤテ様は、あたしたちの不安を少しでも和らげようと、こんな狭い部屋に閉じ込められる事や、あの不思議な魔具と光る板をお父様に預ける事にも従ってらっしゃるのに……。それなのに、こうまで――」
「……いいんだ」
ハヤテは、小さく頭を振ると、自分の前に置かれた食器を盆に戻した。
「ありがとう、フラニィ。……美味しかったよ」
「……はい」
フラニィは悲しそうな顔で小さく頷くと、盆を手に持って静かに立ち上がる。
「じゃ……ハヤテ様、失礼します。――あ、そうだ」
「……ん?」
「お昼のご飯、ハヤテ様の分にはタリツを多めに入れるよう、料理人に伝えますね」
「あ……ああ……」
フラニィの言葉に、ハヤテの顔が綻んだ。
「そうだね。そうしてくれると助かるよ。……というか、あるんだ、塩」
「ええ、一応」
フラニィも、ニコリと笑って答える。
「でも、あたしたちはタリツをあまり使わないんで……。あんまり摂り過ぎると、すぐに病気になってしまったり、死んでしまったりするんで……」
「……ああ、そうなんだ……」
ハヤテは、フラニィの言葉に頷いた。
(……そういえば、猫に塩分は厳禁だったな。腎臓が悪くなるとかで――)
……ならばやはり、フラニィたちは、自分がいた地球に存在していた“猫”と同類に連なる生物なのかもしれない。
(――だったとしたら、そもそも、この世界は何なんだ?)
ハヤテは、口元に手を当てると、眉根を顰めて考え込む。
フラニィは、そんな彼の様子を気がかりそうに見つめていたが、踏ん切りをつけるように小さな溜息を吐くと、殊更に明るい声で言った。
「……ハヤテ様。またお昼に参りますね」
「あ……うん」
ハヤテは、フラニィの言葉も上の空の様子で、思考の迷宮に迷い込んでいたようだったが、彼女が部屋を出ようとした時に突然声を上げる。
「……あ、フラニィ。ひとつ、お願いがあるんだけど」
「あ……はい! 何でしょう?」
急に呼び止められ、驚きの表情を浮かべつつ、フラニィは答えた。
ハヤテは、顎に手を当てたままの姿勢で視線だけをフラニィに向けると、静かな声で言う。
「……お昼を持ってくる時に、いっしょに鏡を持って来てほしいんだ。どうやら、この部屋には無さそうなんで」
「……鏡ですか?」
フラニィが目を大きく見開いて、戸惑いながらも、素直に頷いた。
「あ……はい。お安い御用ですけど。――どうしてですか?」
「いや、大した事じゃ無い……いや、俺にとっては大切な事か――それを確認したいだけなんだ」
そう答えるとハヤテは、無精髭が生えてザラザラする頬に指を這わせながら、言葉を継いだ。
「――俺の顔が、俺の知っている焔良疾風の顔なのかどうか――をね……」




