第三章其の壱拾漆 最期
「な……っ!」
目の前で、己の胸を剣で深々と突き貫いた男が傷口から夥しい血を吹き上げるのを見たハヤテは、思わず言葉を喪った。
「……ぐふっ……」
男は、口からも真っ赤な鮮血を吐くと、仰向けに倒れる。胸に突き立った剣が、まるで男の墓標のように天を指して屹立した。
「な……なんて事を!」
ハッと我に返ったハヤテが、慌てて男の元に駈け寄る。
そして、真っ白な顔で固く目を瞑った男を抱き抱えると、その耳元に大声で呼びかけた。
「――おい! しっかりしろ! おい!」
「……」
「おい! 目を開けろ! 死ぬな……」
「……う……うるさい……ですねェ……」
ハヤテの呼びかけに顔を顰めながら、男が閉じていた瞼を開いた。
「ひ……人がせっかく、静かに逝こうとしているのに……起こさねえで……くれますかい?」
「そ――そんな事を言うな! 待ってろ、今治療を……」
「や……止めて、くだせえ……!」
背後を振り返り、兵達を呼ぼうとするハヤテの襟首を血に塗れた手で握りしめながら、男は強い口調で制止した。
「も……もう手遅れ……いや、生き延ばされたところで、ま、待っているのは……地獄でさ……。ご……後生だから……このまま……」
「……!」
ハヤテは、激しく首を横に振りながら、男の胸に目を落とすが――彼の着ているシャツが真っ赤に染まっているのを見ると、男が言った通りだと思わざるを得なかった。
無力感で顔を歪めるハヤテを見て、男はヒューヒューと喉を鳴らしながら、皮肉気な笑い声を上げる。
「……へ……へへ……なんて顔を……してるんですかい? ……さ、さっきまで……本気でアンタを殺そうと……していた男なんですぜ……あっし……は」
「……」
「と……ところで……、どう……だと、思いやすか……」
「……何がだ?」
自分が彼に出来る事はこれしか無い――そう悟ったハヤテは、目も虚ろになり始めた男の言葉に小さく頷きながら、真摯に耳を傾けた。
男は、膜が張り始めた目を見開き、震える指先で天井を指さしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「あっしが死んだら……魂が昇るのは……この世界のあの世……なんでしょうか……? それ……とも……前の……日本の……あの世……」
「――それは……」
男の問いかけに、ハヤテは答える事が出来なかった。
そんなハヤテの様子に、男は微笑むと、大きく息を吐く。
「……ああ……」
じっと天井を――天井の向こうを凝視していた男の眼から、一筋の涙が零れる。
彼は、天へ向かって両手を伸ばし、子供のように嗚咽を漏らしながら叫んだ。
「ああ……かあ……ちゃん……、逢いてえ……な……ぁ……」
彼の声は、途中で掠れ――途絶える。
そして、挙げていた両手が力を失い、だらりと垂れた。
「……くっ……!」
ハヤテは、事切れた男の身体を手に抱いたまま、唇を噛む。
――そして、震える手で男の開いたままの瞼を閉じてやった。
「何なんだ……何なんだよ? 何で俺たちは……こんな目に……!」
天を仰ぎ、慨嘆する事しかできない。――ハヤテは、自分の無力さに虚しさを感じていた。
――と、
カラン ……カラン
固いものが転がる、乾いた音が彼の鼓膜を揺らす。
ハヤテは、音の鳴った方へ視線を向けた。
「――光る……板……」
――男の亡骸の脇に、3枚の“光る板”が重なって、キラキラと輝いている。
「……」
だが、ハヤテはその板に手を伸ばす事も無く、ただその輝きを見つめ続けるだけだった――。
◆ ◆ ◆ ◆
――同時刻。
「……おや?」
エフタトスの大森林の深奥にひっそりと佇む山小屋。その中の一部屋で、粗末な机に広げた樹皮の上に枝で作ったペンを走らせていた牛島聡は、ふと顔を上げた。
そのまま視線を棚の方へと移し――異変に気付く。
「ほう……」
彼は、小さく呟くと静かに立ち上がり、棚へと歩み寄ると、その中を覗き込んだ。
そして、気付いた異変が見間違いで無い事を確認すると、顔を曇らせる。
彼は、粗末な建て付けの扉を開けながら、外に向かって声をかけた。
「……おおい、薫くん、健一くん。ちょっと来てくれないかな」
「ん……? 何だよ、オッサン」
「何だよ、サトル? 何度も言わせないでくれるかな? 年上には敬語を使えって」
牛島の呼びかけに応じて、文句を垂れつつも素直に集まってきたのは、来島薫と有瀬健一である。
並んだふたりの顔を順に見回しながら、彼は顔を曇らせた。
「……どうやら、悪い報せだ」
そう言うと、彼は棚を指さす。
「あそこに置いてあった、シーフの伝書鼠が、消えた」
「……は?」
「え……」
牛島の言葉に、ふたりの表情も変わった。薫と健一は、思わず顔を見合わせる。
健一が、躊躇いがちにオズオズと牛島に尋ねた。
「それって……ひょっとして――」
「ああ」
牛島は沈痛な表情を見せて、静かに頷く。
「伝書鼠は、シーフ・ジロキチ・ザ・バンデッドの所持する補助アイテムだ。シーフのロッキングパッドが健在な限り、消え去る事は無い。――それが無くなったという事は……」
「ロッキングパッドが、元の“光る板”に戻ったって事か……?」
「つまり――」
薫の呟きに、健一が頷き、言葉を継いだ。
「シーフが……死んだ……」
「……恐らく、ね」
健一の答えに、牛島は小さく頷く。
「ば――バカな! シーフが……あのコソ泥が死んだだと!」
その言葉を聞いた薫が、目を剥いて部屋の壁を拳で殴りつけた。
大きな衝突音が山小屋を振るわせ、粗末な板張りの壁に大きな穴が開き、それを見た牛島が呆れ顔を浮かべる。
「おいおい、薫くん。そんな乱暴は止してくれ。せっかくみんなで建てたマイホームが倒壊しちゃうよ」
「オッサン! 冗談言ってる場合じゃねえぞ! いくら戦闘向きじゃねえとは言っても、装甲戦士があのクソ猫どもに殺られるなんて――」
「……いや、そうじゃないかも」
激昂する薫の言葉に首を横に振ったのは、健一だった。
少年は、指を顎に当てながら、眉根を寄せる。
「あのシーフだって、それなりの戦闘力はあったから、そうやすやすと倒されるとは思えないよ。……でも、同じ装甲戦士なら、あるいは……」
「そうだね。私もそう思うよ」
牛島も、健一の推測に同意した。
一方、薫は飛び出さんばかりに目を剥く。
「あいつか!」
彼の脳裏には、二度対峙した、蒼い狼の装甲を纏うひとりの装甲戦士の姿が浮かんでいた。
「あのクソイカレ野郎! クソ猫共の味方になって、シーフを殺したっていうのかよ!」
「まあ、猫獣人の味方になって、シーフを倒したのかどうかは分からないけどね……」
薫の言葉に、牛島は首を傾げながら答える。
「ただ……、シーフの死亡に、彼――疾風くんが関わっている可能性は高いだろうね」
そう言って、牛島は親指の爪を噛んだ。
「この前会った時には、ただの純朴な青年だと思っていたが……。まさか、同胞殺しをする様な男だったとはね……。些か、私の見込みが甘かったのかもしれない」
「あの野郎! やっぱり、この前ここから逃げ出した時に殺しておけば良かったんだ!」
薫は、地団駄を踏んで悔しがる。
「……正直、あのコソ泥は、コソコソしてていけ好かねえ野郎だったけどよ。それとこれとは話が別だ!」
「そういえば……、結局、最期までボクたちに本名を教えてくれなかったね、彼」
「向こうの世界でも、空き巣の常習犯だったらしいから、身バレするのが嫌だったんだろうね、本能的に」
そう言って、牛島は冷たい笑みを浮かべたが、すぐにその顔を引き締めた。
「……とはいえ、そうなると些か困った事になるね」
「――何が?」
「決まってるだろ?」
牛島の呟きに首を傾げる薫。そんな彼に助け舟を出したのは健一だった。
彼は、頬に手を当てながら、苦々しい顔で言う。
「シーフがアイツと戦って死んだのなら、少なくとも、シーフが持っていた“光る板”が二枚もアイツの手に落ちたって事だろ?」
「あ……そうか」
「アイツ……テラとかいう装甲戦士が、装甲形態をどのくらい持っているのかは知らないけどさ。ボクみたいな旧い装甲戦士と違うだろうから、ゼロって事は無いだろ?」
「そうだね。健一くんの言う通りだ」
そう言って、大きく頷いたのは牛島だ。
「彼――疾風くんの戦い方には、なかなか侮れないものがあったからね。私達の敵に回ったらしい彼が、新たな装甲形態を手に入れてしまう可能性を放置するのは避けるべきだ……」
彼は、無精髭の生えた顎を撫でると、静かに言った。
「これは……今の内に彼を斃し、シーフの分共々、“光る板”を回収した方が良さそうだね」
そう呟くと、彼はニヤリと酷薄な笑みを浮かべながら付け加える。
「――別に、シーフの仇討ちに行く訳じゃ無いけどね」




