第三章其の陸 不審
「さて……ハヤテ殿」
と、アシュガト二世は咳払いをして言った。
「取り敢えず、貴殿の処遇だが――」
「はい」
頷いたハヤテに、王は申し訳ないという表情を浮かべつつ告げる。
「さすがに、今すぐ自由の身とする事は難しい。先ほどの件でも分かったと思うが、我が民の“森の悪魔”に対する感情は、穏やかなものではないのだ。奴らと同じ姿をしたハヤテ殿を見たら、民は恐れおののき、或いは貴殿に害を及ぼそうとする者が現れるやもしれぬ」
「……そうですね。王様の言う通りだと思います」
王の言葉に、ハヤテは同意した。アシュガト二世は、彼の答えに小さく頷き、言葉を重ねた。
「だが、地下牢に放り込んだままにする訳にもいかぬ。……一先ずは、王宮の一室を宛がい、そこに逗留して頂く事とする。……身辺警護として、部屋には兵を付けさせてもらうが」
身辺警護とは言うが、ハヤテの監視も兼ねていると考えるのが自然だ。――つまりは、ハヤテを体のいい軟禁状態に置くという事だ。
だが、ハヤテは素直に頷いた。
「はい、構いません。――有り難うございます」
「……無論、貴殿が本当に我々の友人たり得る者であると見極められ、民もそれを赦すのであれば、境遇の改善を考慮する。それまでは少々窮屈な思いをさせるかと思うが、赦せよ」
「とんでもないです」
王の謝罪の言葉に、ハヤテは弱々しい笑みを浮かべ、首を横に振る。
「王様の寛大なご配慮に、感謝します」
「――貴様! 王に向かって、その口の利き方は不敬であるぞ!」
「あ……す、すみません……」
すかさず浴びせられた、兵からの叱責に、ハヤテは慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません。日本――前に居た世界では、王様っていう存在が居なかったので、こういう時に使うべき言葉っていうのをよく知らないので……」
「い――いない? 王が……いないだと?」
ハヤテの言葉に、周囲の兵達はどよめいた。
その反応に驚いたハヤテは、慌てて首を横に振って言葉を続ける。
「あ……ま、まあ、王様に似た立場の人は居ない事もなかったですが、俺のような一般人は殆ど接点も無いし……それ以外は皆平等という体制だったので――民主主義って言うんですけど……」
「ミンシュ……ど、どういう事だ……?」
ハヤテの言う事が理解できず、兵達は互いに顔を見合わせた。
無理もない。
太古の昔から、神から“墓守”の大役を仰せつかったと伝わるファスナフォリック家を王に据え、発展し繁栄してきたミアン王国なのである。
王や貴族といった特権階級を置かず、一般国民が最高主権を握るという“民主主義”制度の概念すら、彼らの理解の範疇外なのだろう。
と、ハヤテは、目の前で怪訝な表情を浮かべるアシュガト二世を見てハッとした。
(……あ、もしかして、これはマズいかも……?)
もしかすると、自分の何気ない一言がこの国の王政に対する疑問を励起してしまい、この国――そして、この王を危うくさせるような争乱の端緒になってしまうのではないか――?
そう考えたハヤテは、慌てて声を上げる。
「あ……あのですね、だからといって――」
「ふむ、ハヤテ殿は、なかなか面白い国から来たのだな。いずれ、じっくりと貴殿の世界の事も聞いてみたいものだ。ハハハ」
ハヤテの懸念を余所に、王は愉快そうな笑い声を立てた。その笑い声に、周囲の兵の緊張もやや緩む。
と、王はゆっくりと立ち上がり、ヒゲを撫でながらハヤテに告げた。
「……本日の事情聴取はこれまでとしよう。――ハヤテ殿、部屋の準備が整い次第案内させる故、もう少し待つが良いぞ」
「あ、はい……ありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げるハヤテに、微笑みながら頷いてみせた王は、クルリと踵を返すと部屋の扉をくぐって出ていく――。
――と、その時、
「……待て」
そう言って、アシュガト王はその足を止めた。
「「「「――!」」」」
彼の声に鋭いものを感じた護衛の兵達も、慌てて立ち止まる。
「い……如何致しましたか、陛下?」
他の兵よりも豪奢な制服を着た隊長が、訝しげな顔をして、オズオズと王に尋ねた。
だが、王はその問いには答えず、僅かに後ずさりながら声を上げる。
「……お前、見ない顔だが……?」
「!」
王の言葉に、護衛兵達の表情が一斉に強張った。
即座に剣の柄に手をかけ、王の前に密集して、彼を護る壁を作る。
――ただひとりを除いて。
「は、ハイッ? わ……ワタシでありますか?」
まだ年若い顔つきをした斑柄の兵が、その目を大きく見開いて自分の事を指さした。
アシュガト王は、その青い目を更に険しくさせつつ、横に立つ隊長に尋ねる。
「――おい、お前の隊に、あの様な毛皮の男が居ったか?」
「は……い、いえ! そういえば……」
隊長は、ハッと目を見開くと、牙を剥いて斑柄の兵に怒鳴った。
「おい、貴様! どこの隊の者だ! 何故、我がシュミール親衛隊に紛れ込んでおる?」
「い……いや、ワタシは――」
「言え! 貴様の官・姓名・所属をッ!」
「……」
オロオロと狼狽えた様子で頻りに首を振る斑柄の兵だったが、隊長に重ねて問われると押し黙る。
そして――、
「……やれやれ」
肩を大きく上下させて溜息を吐くと、不敵な薄笑みを浮かべて、王の周りを取り囲む兵達の顔を睥睨した。
「……人間の変装なら、そうそうバレねえ自信がありやしたがねェ。やっぱり、化け猫のフリをするのは、ちいと勝手が違うようですねェ」
「――!」
雰囲気が一変した斑柄の兵士を前に、王と彼を護る兵の表情が強張る。
一方の斑柄の兵は、薄笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首元に両手を伸ばす。
「こんな臭え猫の生皮を被って紛れ込んで、石棺の事を盗み聞きできたまでは良かったが、ちいと欲をかき過ぎちまったのがいけねえんですかねぇ……。これじゃ、牛島サンにイヤミを言われちまう」
「――ッ!」
斑柄の言葉に表情を変えたのは、椅子に座っていたハヤテだった。弾かれるように立ち上がった彼は、引き攣った表情を浮かべて叫ぶ。
「王様ッ! ソイツから離れてッ! ……そいつは牛島を知っている!」
「……ウシジマ?」
「装甲戦士――あなた達の言う“森の悪魔”のひとりです!」
「ッ!」
ハヤテの絶叫に、部屋の空気が一気に緊迫した。
と、次の瞬間、
「ウオオオオオオオッ!」
斑柄の曲者の周囲に居た兵達が、彼に向かって剣を突き刺す。四方八方から剣に貫かれ、斑柄の兵の身体はくの字に折れた。
「……やったか?」
力無く崩れ落ちる斑柄の兵の姿に、安堵の息を漏らす兵達だったが、床にくたりと横たわった、不自然に平べったい身体に目を遣ると、思わず息を呑む。
「いやッ……! これは――空っぽだ!」
「ギャアアアアアアッ!」
驚愕の声と共に、断末魔の悲鳴が重なった。
一斉に悲鳴が上がった方を見た猫獣人達の顔は、たちまち凍りつく。
彼らの環の最外周に居た若い兵の首から、真っ赤な鮮血が吹き出していたからだ。
「や……やられた! 悪魔め!」
「ど……どこだ……どこに居る! 姿を……姿を見せろッ!」
狼狽する兵達は、剣を構えたままキョロキョロと周囲を見回す……が、怪しい者の影はどこにも見えない。
――と、
「ヒッヒッヒ……、コッチですぜ、間抜けな化け猫の皆サン……!」
「――ッ!」
頭上から降ってきた陰気な声に、兵達は耳をぴくつかせながら、顔を振り仰いだ。
「いた――! 天井だ!」
そいつは、手足を張った体勢で、天井の隅にピタリと張り付いていた。――その姿は、ハヤテと……そして、森の悪魔と同じだった。
その痩せぎすの中年男は、どよめく一同に向かって、唇を歪めて皮肉な薄笑みを浮かべると、愉しげに言う。
「――皆サン、はじめまして。あっしが、四人目の“森の悪魔”です。以後どうぞお見知りおきを――なんてな。ヒヒヒッ!」




