第二十五章其の参 動向
「あの……ハヤテ様」
と、フラニィが、マーレルから注がれたウツサの実のジュースを一口啜ったハヤテにおずおずと声をかけた。
「その……お身体の方は大丈夫ですか?」
「ん? ああ」
フラニィに問いかけられたハヤテは、軽く頷きながら腕を曲げ、自分の胸を叩いてみせる。
「二週間前に受けた傷もすっかり塞がって、今はもう痛みも感じないよ」
「ああ……それは良かったです」
ハヤテの答えを聞いたフラニィは、安堵の表情を浮かべた。
そんな彼女に微笑みかけながら、ハヤテは言葉を継ぐ。
「君がつきっきりで世話してくれたお陰だよ。ありがとう」
「ふえっ?」
ハヤテの感謝の言葉を聞いたフラニィの鼻の頭が、みるみる真っ赤になった。
「そ、そんな……あたしは別に、そんな大した事は……」
そう言いながら、恥じらうように両手で顔を隠すフラニィ。だが、その尻尾はフルフルと左右に揺れ、彼女がハヤテの言葉にとても喜んでいる事が丸わかりである。
……と、
「……まあ、フラニィ王女はもちろんだけど、あたしたちも結構面倒見てあげてたと思うんだけどね」
「あ、アマネ……!」
横から上がった少し険のある声に、ハヤテは狼狽して振り返った。
そして、あからさまに不満そうな顔をしている天音に気付くや、慌てて首を縦に振る。
「も、もちろんそうだよ。あ、アマネやみんなのお陰で、俺はここまで回復できたんだ。本当にありがとう…………ご、ございます!」
「……ぷっ!」
慌てた様子で深々と頭を下げたハヤテを前に耐え切れなくなり、作っていた仏頂面を崩して噴き出す天音。
彼女はくすくすと笑いながら、ハヤテに向かって軽く手を振った。
「ゴメンゴメン。冗談よ。別に本気で怒ってる訳じゃないから、そんなに謝らなくていいわ」
「そ、そうか……」
さっきまでとは一変した天音の表情を見て、ホッと安堵するハヤテ。
「まったく……」
碧は、そんな彼の顔に冷めた目を向けながらポツリと声を漏らす。
「アマネちゃんと一緒になったら尻に敷かれるんだろうなぁ、ハヤテさん……」
「え? なんか言った、香月さん?」
「別にぃ~。何でも無いで~す!」
聞き返したハヤテにおどけた声で答えた碧は、胸にモヤモヤしたものがわだかまるのを感じつつ無視し、「……っていうか」と言葉を継いだ。
「王女様を取り返してから今日まで、ずっと何事もなく平和だったのも良かったよね」
「確かに……そうだな」
ハヤテは、碧の言葉に頷く。
「二週間前に俺とアマネがフラニィたちを王都から取り返してから、イドゥン王サイドで何か仕掛けてくるかと思っていたけど、結局何の動きもなかったからな。そのおかげで、俺やアマネが怪我の治療に専念出来た訳で……」
「正直、ちょっと拍子抜けしちゃったね」
コンセプト・ディスク・ドライブとコンセプト・ディスクが入った腰のポーチに手を触れながら、碧は少し不満げに言った。
「もし、王女様を取り返しに王様の軍隊が攻めてきたら、あたしがハヤテさんの代わりにやっつけてやろうと思ってたのにさ」
「……っ」
「……」
碧の言葉を聞いたフラニィの表情が強張り、マーレルがハッと息を呑む。
「アオイ、そんな事言っちゃダメ!」
ふたりの表情の変化を見た天音が、鋭い声を上げた。
何故咎められたのか分からず怪訝そうな表情を浮かべる碧に対し、天音は、二週間前に会った猫獣人の近衛騎士の姿と“凱旋ノ門”の前で目にした光景を思い出しながら、諭すように言う。
「命がけであたしたちをアームド・ファイター・インセクトから逃がしてくれたインクラフさんや、王様の命令に逆らっても道を変えてくれた近衛隊……王国の兵たちの多くは、必ずしも私たちの敵ではないの。それなのに……」
「あっ……」
碧は、天音の言葉とフラニィとマーレルの表情で自分の失言に気付き、顔色を変える。
「ご、ゴメンなさい! 王様の軍隊といっても、王女様にとったら必ずしも敵って訳でもないものね……。それなのにあたし、まるでマンガやアニメに出てくる悪の組織みたいに考えて、『やっつけてやる』だなんて……」
「いえ……」
慌てて謝る碧に、フラニィは少し強張った笑みを浮かべながらも、首を左右に振った。
「お気になさらないで下さい。アオイさんに悪気があっての言葉ではない事は分かりますから……」
「本当にごめんなさい……」
フラニィの気遣いの言葉に、碧はシュンとしながら再び頭を垂れる。
一同の間に、重苦しい沈黙が広がった。
――と、
「……攻めてこないといえば……さ」
沈んだ空気を何とかしようとするかのように、天音が話を切り出す。
「オチビト側からも……何も無いわね」
「……そうだな」
新たな話題が提起された事に心なしかホッとしながら、ハヤテが頷いた。
「俺たちが周防斗真……そしてお前と戦った日以来、今日まで何の音沙汰も無いな……」
「確かに……」
ハヤテの言葉に同意した碧は、天音に顔を向ける。
「あなたの仲間……いえ、元仲間たちは、オリジンとかいう親玉のところに戻ったんだっけ?」
「うん、多分……」
碧の問いかけに、天音は自信なさげに答えた。
「と言っても……今オリジンの村にいるのは、牛島聡と周防さんのふたりだけだと思うけど……。沙紀さん――槙田沙紀は王都キヤフェのどこかに潜んでいるみたいだし、カオルは……」
そこまで言ったところで、天音は僅かに表情を歪め、唇をキュッと噛む。
そして、気持ちを落ち着かせるように息を吐くと、再び言葉を続けた。
「……だから、今の牛島は、前みたいに自由には動けないんだと思うわ。何せ、あのオリジンがすぐ傍にいるんですもの」
「オリジンか……」
天音の言葉を聞いたハヤテが、ぼそりと呟く。
「周防斗真からも聞いたけど、結構な人物らしいな、オリジンという男は」
「ええ」
ハヤテの問いかけに、天音は即座に頷いた。
「常に装甲を纏っているから、どのくらいの年の人なのかも分からないけど、近くにいるだけで圧倒的なオーラを感じるの。ひょっとしたら、中身は大物政治家とかかもしれないわね」
――天音は、オリジンの正体が、かつてテレビ番組「アームドファイター」で主役の本里尊を演じた檜山豪本人である事を知らない。
そして、牛島と再会した彼が、その後どうなったのかも……。
「そういえば……あのスオーが言ってたね」
天音の話で、ふと以前の事を思い出した碧が、口を開く。
「そのオリジンって人が、一度ハヤテさんと会ってみたいって言ってたって……」
「そういえば……確かに、以前にもそんな事を言ってたわ」
彼女の言葉を聞いた天音も、コクンと頷いた。
「……『装甲戦士テラと直接話をして、互いの正義がどこにあるのかを見極めた上で、妥協できる点があるのであれば、共に道を進んでいきたい』……って」
「えっ?」
碧は、驚いた様子で目を丸くする。
「それじゃ……ハヤテさんがオリジンって人を上手く説得できれば、もう向こうのオチビトたちと戦わなくて済むようになるかもしれないって事?」
「あくまで、『妥協できる点があれば』だけどね」
目を輝かせる碧に、天音は苦笑した。
妙に含みのある天音の答えに、碧は怪訝な顔をしながら首を傾げる。
「じゃあ……もし妥協できなかったら……?」
「そうだったら――」
そこで一旦言葉を切った天音は、ふっと表情を消してから、低い声で続けた。
「――全力でテラの事を潰し切るってさ」
「ひえっ……」
「ふふ……」
思わず顔を引き攣らせる碧の反応が面白くて、思わず吹き出した天音は、「……でもね」と付け加える。
「しょうちゃんとオリジンなら、そんな事にはならないような気がするわ。多分ね」
「どうしてそう思うの」
「……何となく似てるのよね。今のしょうちゃんとオリジンってさ」
碧の問いかけにそう答えた天音は、ハヤテの顔をチラリと見た。
「だから……実際に会ってみたら、意外と気が合うんじゃないかなって」
「そうなのか……」
それまで黙って天音の話を聞いていたハヤテが、小さく息を吐きながら呟く。
「アマネの話を聞いていたら、俺も少し会いたくなってきたな。オリジンに――」
「――そうか」
――唐突にハヤテの後方から上がった男の声が、彼の言葉を遮った。
「だったら、好きなだけ会ってこい。――あの世でな!」
「ッ!」
剣呑な声にハッとして、背後を振り返ったハヤテの目に映ったのは――彼らに向かって飛来してくる巨大な黄金色の矢だった――!




