第三章其の伍 聖符
「王様……」
ハヤテは、苦々しげにヒゲを撫でながら小さく唸っているアシュガト二世に、オズオズと尋ねる。
「お伺いしたいのですが――」
「――石棺の事か?」
彼から問われる事を予期していたのだろう。
手短に言葉を返した王は、その鋭い目をハヤテに向けた。
王の問いかけに小さく頷いたハヤテは、言葉を続ける。
「その“石棺”……この王都の中心部にあると牛島から聞きましたが――それは、本当ですか?」
「……隠してもすぐに分かるか」
嘆息した王は、小さく頷いた。
「ああ……そうだ。正確には、元々存在していたのは“石棺”の方で、それを護る“墓守”となる事を神から命ぜられた我が祖先がその真上に集落を作り、その集落が発展して巨大な都市となったのが、現在のキヤフェだ」
「……“墓守”――ですか」
「うむ」
ハヤテの呟きを耳敏く聞きつけたアシュガト二世は、舌を伸ばして口の回りを湿らせてから、厳かな声で話し始める。
「我がファスナフォリック家は、神話の時代から、創造神エアにお仕えしていたと伝わっておる」
「……」
「やがて、神話の時代が終わり……創造神が地下深くへとお隠れになる際に、この地と、神がお寝みになられている“石棺”を安置している“霊廟”を護る御役目を託されたのが、ファスナフォリック王家初代国王・ネイトゥメ一世なのだ」
「……つまり」
王の話を聞いたハヤテは、手枷が嵌められた両手に目を落としながら、静かに訊く。
「――“石棺”の中で眠っているのは、あなた方の……そして、この世界の“神”という事なのですね……?」
「そうだ」
「――先ほど、王様が『よりにもよって』と仰った理由がよく解りました」
そう言うと、彼は目を上げ、アシュガト二世の顔をじっと見つめ、躊躇いながら口を開いた。
「もし……俺が、『森の彼らの希望通りに、石棺を破壊させてくれ』と頼んだとしたら――」
「貴様ァッ!」
ハヤテの言葉を中途で遮ったのは、王ではなかった。
彼を取り囲んでいた兵の数名が、怒声と共に腰に差した長剣を抜き、ハヤテに突きつけた。
「貴様! やはり、あの悪魔どもと同じか! 神妙な態度だと思ったが、その心の奥底では、石棺を破壊するなどという罰当たりな了見を抱いておったのだな!」
「この、神をも怖れぬ不埒者め! やはり、この場で息の根を――」
「ええい! 止めよ!」
目を血走らせて、今にもハヤテに飛びかからんばかりに殺気立つ兵を大喝したのは、王自身だった。
その鋭い声に、兵達はしぶしぶと剣を鞘に納める。が、彼らの怒気は全く収まっていない。
そんな臣下の剣幕に渋面を浮かべた王は、小さく溜息を吐くと、眼前のハヤテに向かって詫びた。
「臣下が騒がしくてすまぬな、ハヤテ殿。……だが」
そう続けると、王はその双眸を鋭く光らせ、言葉を継ぐ。
「他の世界からやって来た貴殿には、分からなくて当然だと思うが……。たとえ、仮定での話だとしても、今の様な言葉を口にするのは控えよ。我らが創造神に対し、あまりにも不敬な提案であるぞ」
「……すみませんでした。確かに、配慮に欠ける一言でした……」
ハヤテも、慌てて失言を詫び、深々と頭を下げる。
その殊勝な態度に、王の厳しい表情がやや緩んだ。
「分かれば良い」
そう言って頷いた王は、頬ヒゲを撫でながら、厳しい声で言った。
「――まあ、敢えて先ほどの問いに答えてやるとすれば……『この世界を滅ぼす愚行を赦すはずが無かろう』――だ」
「……この世界を、滅ぼす……? それは、どういう――」
「どういうも何も、そのままの意味だ」
怪訝な表情を浮かべるハヤテに、簡潔に答えるアシュガト二世。
「このミアン王国に、初代国王の頃より代々伝わる“聖符”というものがあってな。……その一節に、こうある」
そこで王は目を閉じ、時代がかった詩の一篇の様な言葉を、唄うように唱え始める。
『――入るなかれ 神の眠りし聖なる寝所を。
触れるなかれ 神の横臥す棺の蓋を。
乱すなかれ 神たるものの健やかなる眠りを。
入り 触れ 乱す者には 千の苦痛と 万の後悔を。
入られ 触れられ 乱されし 生きし者全てに 億の絶望と 無の始まりを――』
「…………」
王の詠唱を聴いたハヤテは、言葉を発する事も忘れて、石像のように身を固くした。
背中に、粟粒のように冷や汗が浮き、背中を伝い落ちていくのを感じる。
一方のアシュガト二世は、口を窄めて小さく息を吐くと、微かに震える声で言った。
「これは――無闇に“霊廟”へ立ち入る事、それに伴って神の眠りを妨げる事を厳に戒めた、創造神エアの警句だと解釈されておる」
「……」
「万が一、神の眠りを妨げた場合、妨げた本人はもちろん、その蛮行を防ぐ事が出来なかったこの世界の全ての生命に“無の始まり”を授ける――即ち、死をもたらすという事だ」
「死……!」
王の言葉に、ハヤテは思わず息を呑む。
そんなハヤテに、王は大きく頷きかけた。
「――つまり、石棺を暴くという事は、それだけでこの世界の破滅を招くという事なのだ。況してや、破壊するなど……到底赦せる事では無い事だというのは、他の世界から来た貴殿にも解るであろう?」
(……やれやれ)
アシュガト二世の話で重い沈黙に包まれる兵達の中から、他の者には聞こえないくらいの小さなボヤキが上がった。
(世界の破滅……ねえ……。どうやら、これ以上は、あっしには少々手が余る仕事のようですゼ、牛島サン……)
――呟きを漏らした者は、細めた目で王の懐の辺りを注視した。
(……今回は、自分の身の程に合った獲物に、目標を変えた方が良さそうですなァ。……ヒヒッ)




