第二十四章其の壱拾弐 人待
警衛の後についていったハヤテと碧が案内されたのは、ドリューシュの居室でも大広間でも無く、主殿の廊下の突き当たりにある小さな扉の前だった。
「ここは……?」
「……」
訝しげに訊ねる碧の声も聞こえぬ体で、警衛は金属製の扉を勢い良く叩く。
すると、それに応じるようにガチャリと錠が外れる音が上がり、軋み音を立てながらゆっくりと開いた。
「――どうぞ、中へ」
「……」
警衛に部屋の中に入るよう促され、ふたりは一瞬躊躇するが、互いに小さく頷き合うと、素直に扉をくぐる。
小さな明り取りしか光源が無い、小さな部屋だった。その薄暗さに慣れた目に、大木を切り出して作った円形のテーブルが部屋の中央に置かれているのが映る。
――そして、
「アマネちゃん……!」
「アマネ……!」
テーブルを囲むように置かれた木椅子のうちの一脚に座っている天音の姿を見止めた碧とハヤテは、思わず声を上げる。
「――アオイ! ……と、しょうちゃん……!」
一方の天音も、ホッとした表情を浮かべながら、僅かに震えた声でふたりを呼んだ。
彼女の様子を見る限り、無理矢理拘束されたりといった事は無さそうだ。だが、その表情は強張り、薄暗い部屋の中でも分かるくらいに青ざめている――。
と、
「ハヤテ殿、アオイ殿、お待ちしておりました。どうぞ、おかけ下さい」
部屋の奥から、丁寧な口ぶりだが、どこか冷たい響きを持つ声が聞こえた。
その声を耳にしたハヤテと碧は、ハッとした表情を浮かべ、声のした方に顔を向ける。
「……マティア副長」
「今は、ドリューシュ殿下より、中隊長の任を拝受しております」
声の主は、オシス砦守備中隊長・ヴァルトーの副官を務めていたマティアだった。現在の彼は、戦死したヴァルトーの後を継いで、オシス砦の守備隊の長に任に就いている。
彼は、黒と灰色の縞模様の美しい毛柄を持つ、まだ年若いピシィナである。
その面構えは、猫で言うとロシアンブルーに似ており、人間である碧の目から見ても美男子と呼んで差し支えないのではないかと思えるほど整った顔立ちをしていた。
だが、彼が表情を崩す事はめったに無く、その澄んだ青い瞳も相俟って、どこか冷たい印象を周囲に与えており、そのせいで、オシス砦の兵達からも敬遠されがちである。
――もっとも、本人がそれを気にしている節は見受けられなかったが。
この時も、マティアは整った表情を崩すことなく、掌でテーブルの前に並ぶ木椅子を指し示しながら、淡々とした口調で言った。
「ドリューシュ殿下はじきに参られます。それまで、そちらにおかけになってお待ち下さいますよう……」
「……確か、王子様からはご飯に誘われただけのような気がしたけど、勘違いだったかな?」
マティアに向け、碧がさりげない口調で尋ねる。
彼女の問いに対し、マティアは無表情のまま、小さく頷いた。
「はい。その通りです」
「こんな埃っぽい部屋でご飯を食べるっていうの? いつも食べてる大広間じゃなくって?」
「はい。その通りです」
マティアは、責めるような碧の言葉にも、まるでオウムのように同じ返答を繰り返し、無表情のままで再び木椅子を指さす。
「さあ、どうぞ。おかけ下さい」
「あなた……!」
「香月さん」
マティアの態度に、思わず声を荒げようとする碧を、ハヤテが制止した。
そして、振り返った碧に向けて軽く首を横に振る。
「ここで言い争っていても埒が明かない。ここはおとなしく彼に従おう」
「でも……」
「いいから」
「……うん」
険しい表情で一旦は反駁しかける碧だったが、ハヤテの目を見て、その瞳が断固とした決意で輝いているのに気付くと、不承不承といった様子で頷いた。
そしてふたりは、マティアが指した木椅子に腰を下ろす。
「結構」
自分の指示に従ったふたりに対し、マティアはそれだけ言うと、あとは口を噤んでその場に立ち続けるだけだった。
――ハヤテ・碧・天音の順で並んで座った三人も声を発せず、しばらくの間、薄暗い部屋の中に重苦しい沈黙が垂れ込める。
そして――、
「……アマネちゃん、大丈夫?」
息がつまりそうな雰囲気に耐えかねた碧が、潜めた声で隣に座る天音に訊ねる。
彼女の声にハッとした様子で顔を上げた天音は、少しだけ躊躇った後に小さく頷いた。
「うん……大丈夫よ」
「私たちが居ない間、猫獣人たちに何かされなかった?」
「別に……何もされてないわ」
碧の問いかけに、今度は首を横に振った天音だったが、「……でも」と呟くと、つと目を伏せる。
「……逆に、避けられてるっていうか……。まあ、森の中に居た頃に、オチビトたちが猫獣人たちに対して何をしてたかを考えれば、当然の扱いだけどね……」
「そんな……!」
天音の言葉を聞いた碧の目が吊り上がった。
「それは、この前王子様が許してくれて、もう済んだじゃない! 第一、アマネちゃん自身が猫獣人と戦った事は無いんだから、関係が無い――」
「関係無くはないわよ」
激昂する碧を宥めるように、天音は静かな声で言った。
「あたしが自分の手を汚したかどうかなんて、猫獣人からしたら大した違いは無いわ。やっぱりあたしは、ここの猫獣人たちから見れば、自分たちの友達や親や兄弟をたくさん殺したオチビトのひとりでしかないのよ」
「……」
「……もちろん、ドリューシュ王子やマーレルさんみたいに、あたしの事を赦してくれる人もいる。……でも、やっぱり許せないって思う人がいるのも当然で、その人たちがそう思うのを、当事者であるあたしは止められないし、止めちゃいけないのよ」
天音はそう呟くと、僅かに潤んだ瞳で碧の顔を見て、ぎこちない笑みを浮かべながら言葉を継ぐ。
「大丈夫……。これから何が起こっても、あたしはちゃんと覚悟できてるから……」
「ッ! アマネちゃ――」
「アマネ」
上ずった碧の声を遮るように、ハヤテが口を開いた。
その声に、天音の目は大きく見開かれる。
そんな彼女の目を真っ直ぐに見つめ返しながら、ハヤテは力強い声で言った。
「アマネ、安心しろ。お前の事は……何があっても絶対に俺が守るから」
「しょうちゃん……」
決然と紡がれたハヤテの言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じる天音。
彼女は、涙で潤んだ視界で彼の顔を見返し――唐突に昨夜の光景が脳裏に蘇った。
満天の星空の下で、膝枕したハヤテの顔に自分の顔を近付け、そっと唇を重ねた時の事を――。
「――ッ!」
その瞬間、彼女の顔が林檎よりも真っ赤になり、彼女は慌てて両手で口元を押さえた。
「……あ」
その仕草で、ハヤテも彼女と同じように昨夜の情景を思い出し、呆けた声を上げ、慌てて目を逸らす。
「……」
そんなふたりの間に挟まれた格好の碧は、思わず深い溜息を吐いた。
(この反応……やっぱり、昨日の夜に何かあったな、このふたり……)
ふたりの様子に、そう何となく察した彼女は、後で絶対に昨日の顛末を聞き出してやろうと心に決めるのだった。
――何故か、胸のどこかがチクリと痛むのを感じながら。




