第二十四章其の壱拾壱 憂慮
井戸を離れた三人は、少し離れたところに建っている主殿の玄関口へと到る。
――すると、玄関口の両脇に立っていた警衛の兵が、フラニィに向かって恭しく頭を下げた。
「フラニィ様、おはようございます」
「あ……お、おはようございます」
ふたりの警衛の慇懃な挨拶に、フラニィはどぎまぎしながら同じくらい深々と頭を下げる。
ハヤテと碧も、フラニィに倣って頭を垂れる。
と、警衛兵のひとりが、ふたりに向かって言った。
「ハヤテ殿、アオイ殿……。ご案内いたします。私の後について来て下さい」
そう、無表情のまま告げた警衛の様子を目の当たりにして、ハヤテと碧は思わず顔を見合わせる。
警衛の態度に、どこか余所余所しさを感じたからだ。
「……さあ。お早く」
「あ……はい」
せっつかれるように急かされたハヤテは、怪訝な表情を浮かべながらも小さく頷き、背を向けた警衛の後に続いて足を踏み出す。
一歩遅れて、碧もその後に続いた。
「――恐れ入ります。フラニィ様は、こちらへ」
「……え?」
当然のようにふたりに続こうとしたフラニィだったが、もうひとりの警衛に制止され、当惑の表情を浮かべる。
「……何でですか? あたしも、ハヤテ様と一緒にお部屋まで――」
「フラニィ様は、おふたりとは別に……との、ドリューシュ殿下からのご命令です」
「ドリューシュ兄様からの……?」
警衛の答えに、ますます困惑するフラニィ。
「それって……何故ですか? 何故、あたしとハヤテ様を別々に――?」
「……申し訳ございませぬ。我らは、殿下がどのようにお考えかなど存じませぬ。ただ、命ぜられた事を遂行するのみでして」
「……じゃあ、お断りいたします」
フラニィは、淡々と述べる警衛の顔に鋭い視線を向けながら、キッパリと言った。
「いかにドリューシュ兄様からだと言っても、理由の分からない指示に従う気はありません。あたしは、ハヤテ様とアオイ様といっしょに、お部屋まで参ります」
「フラニィ様……それは困ります」
警衛が、渋い表情を浮かべる。
「ご指示に従って頂けないと、我々が殿下からお叱りを受けてしまいます。ここは何とぞ――」
「ですから! どうして、あたしがハヤテ様に同道できないのか、その理由を説明して下さいと……!」
「――フラニィ」
懇願するように言う警衛に向かって、思わず声を荒げかけたフラニィを、ハヤテが声で制した。
ハッとした表情を浮かべて自分を見るフラニィに向けて、ハヤテは小さく首を横に振る。
「彼らも、別に意地悪をしようとして言っているんじゃない。上司であるドリューシュ王子の命令を果たそうとしているだけだ。これ以上ゴネて、彼らを困らせるもんじゃない」
「でも……」
ハヤテの言葉にシュンとしながらも、心配そうな表情を浮かべるフラニィ。
そんな彼女に、碧がニッコリと笑いかけた。
「私たちは大丈夫ですよ、王女様! そんなに心配しないで下さい」
「アオイ様……でも……」
「香月さんの言う通りだよ、フラニィ」
アオイの言葉を聞いても、なお不安そうなフラニィを安心させようと、ハヤテは彼女に向かって大きく頷きかける。
そんなハヤテの顔を見たフラニィは、不承不承といった様子で頷き返した。
「……分かりました」
そう言って、コクンとふたりに軽く頭を下げると、警衛に促されながら先に主殿の廊下を歩いていった。
フラニィの背中を見送ったハヤテは、残った警衛の顔を見ると、顎をしゃくってみせる。
「さ……じゃあ、俺たちも行こうか」
「……自分の後について来て下さい」
気取った仕草をしてみせたハヤテにも反応せず、警衛は相変わらず無表情を保ったまま、先に立って歩き出した。
不愛想な警衛の背中に向けておどけた様子で肩を竦めてみせたハヤテは、碧に目配せをしてから後に続く。
碧も慌てて歩き出し、ハヤテと肩を並べると、彼の耳に向かってそっと囁きかけた。
「……ねえ、本当に大丈夫? あの兵隊、何だか様子が変だよ?」
「……さあ。正直なところ、分からない」
「は……?」
あっさりと言ってのけたハヤテの顔を、ポカンとした表情を浮かべて見上げる碧。
「わ、分からないって……じゃあ……」
「……でもさ」
不安げな声を上げる碧に苦笑いを見せながら、ハヤテは言葉を継ぐ。
「君が心配しているような事にはならないと思うよ?」
「だから……その根拠は?」
「……まあ、無いんだけどさ」
碧が重ねた問いかけに対し、ハヤテは困ったような表情を浮かべた。
そして、ジト目で睨む碧にタジタジとなりながらも、ハッキリと言い切る。
「ただ……俺は、ドリューシュ王子の事を良く知っているからね。彼は、騙し討ちみたいな卑怯な事をするような男じゃないよ」
「……まあ。私も、そう思うんだけどさ」
ハヤテの言葉に、碧も同意した。
「良い人だもんね……。王子様のクセに、私たちに対して、全然偉ぶったりしないし……むしろ、必要以上に腰が低いっていうか……」
そう言うと、彼女は柔らかな笑みを浮かべるが、すぐにその表情は曇る。
「それだけに……何か、今回の兵隊の様子がおかしいのが気になるっていうか……」
「……そうだな」
「……大丈夫かな、アマネちゃん……」
「……」
思わず碧の口から漏れたアマネの事を心配する言葉に、ハヤテは答えなかった。
だが、それは、彼の内心をこの上なく雄弁に物語っていた。
それを悟り、碧は口を噤む。
そして、そっと腰のポシェットに掌を当てた。
ポシェットの布越しに、円形の固いものの感触を確かめ、高鳴る胸の鼓動を鎮めようとする。
(……いざとなったら――)
碧は胸の中で秘かに決意を固め、それと同時に、その決意が杞憂に終わる事を心から願うのだった。




