第二十四章其の拾 良薬
フラニィの穏やかな笑顔に心が癒されるのを感じながら、彼女の頭を優しく撫でるハヤテ。
その時、
「おはよ~、ハヤテさん」
「あ……ッ」
不意に背後からかけられた声に驚き、慌ててフラニィの手に乗せていた手を引っ込めた。
「あ……」
だが、声をかけた碧にはしっかりと目撃されてしまったようだ。
彼女は、その円らな瞳を大きく見開き、それからバツの悪い表情を浮かべて後退った。
「えっと、その……お取り込み中のところ、邪魔しちゃってごめん……」
「あ、い、いや! ち、違いますよ、アオイ様!」
ぎこちない笑いを浮かべながら、そそくさとその場を後にしようとする碧の事を、フラニィは慌てて引き留める。
「い、今のは、決してそういう……と、取り込み中とかじゃなくてですね……!」
「あ……う、うん。そうだよ、香月さん」
フラニィに続いて、ハヤテも首を横に振りながら言った。
「俺たちは、普通に話をしていただけで、べつにやましい事は……」
「普通に話をしているだけで、女の子の頭を撫でるとかいうシチュエーションになるかなぁ……」
釈明するハヤテの顔に、疑いの眼差しを向ける碧。
その視線にタジタジとなるハヤテだったが、話題を変えようと僅かに上ずった声で碧に訊ねる。
「そ……それより! どうしたんだ、香月さん? 君も、顔を洗いに?」
「あいにくと、私はどこかの誰かさんとは違って、とっくの昔に起きて洗顔済みですから」
「あ……」
「……すみません」
碧の皮肉交じりの言葉に、シュンとするハヤテ……とフラニィ。
「あ……! ご、ゴメン! い、今のは冗談! ちょっと言い過ぎちゃった……」
自分の嫌味に対し、ハヤテはともかくフラニィまで落ち込ませてしまった事に気付いて、慌てて謝る碧。
そして、誤魔化すように頬を掻きながら言葉を継ぐ。
「わ、私は、ハヤテさんを探しに来たんだよ。王子様が呼んでるから」
「……ドリューシュ王子が?」
「うん。お昼にはまだ早いけど、一緒にご飯を食べませんか、って。もちろん、フラニィ王女様もね」
訊き返したハヤテに頷きながら、碧は答えた。
それを聞いたハヤテとフラニィは顔を見合わせ、小さく頷き合う。
「そ、そっか。分かった」
「はい」
「じゃ、行こっか」
碧はハヤテとフラニィの答えに頷き返し、手招きしながら踵を返した。ふたりは碧と並んで、主殿へと向かって歩き出す。
……と、ハヤテはハッとした表情を浮かべ、「そ……そういえば……」と、碧に向かっておずおずと訊ねた。
「……アマネも、もう起きてるのか?」
「んー?」
躊躇い混じりに紡がれたハヤテの問いを聞いた碧は、横目で彼の顔を見るとニヤリと笑みを浮かべ、それからコクンと頷く。
「うん。ついさっき起きてきて、先に部屋で待ってるよ」
「そ……そうか……」
碧の答えに、色々な感情が混ざり合ったような複雑な表情を浮かべるハヤテ。
そんな彼の様子を見た碧は、そっと彼に近付くと、小声で囁きかけた。
「その反応……ひょっとして、昨日の晩に何かあった?」
「へ、ヘッ?」
ストレートな碧の問いかけに、思わず声を裏返すハヤテ。
その脳裏に、昨晩の事がまざまざと浮かび上がり、彼の顔は真っ赤に染まる。
だが、彼は激しく頭を振った。
「い……いや! べ、別に……何も」
「ふぅ~ん……」
碧は、否定するハヤテの顔を一瞥すると、生温かい笑みを浮かべる。
そして、彼女はいかにも何か言いたげに薄笑みを浮かべながら言った。
「まあ……薬がしっかり効いたみたいで何よりだよ」
「い、いや……薬って……」
碧の言葉に、ハヤテは訝しげな表情を浮かべて首を傾げる。
「そもそも……結局君は、薬を取りに行ったっきり、戻ってこなかったじゃないか……」
「え? ちゃんと届いたでしょ?」
「え……?」
「だから……」
キョトンとした表情を浮かべるハヤテに、碧はいたずらっぽく笑みかけながら言った。
「メガネをかけて、髪の毛をふたつ結びにした、可愛らしい薬がさ」
「あ……」
彼女の言葉で全てを悟ったハヤテは、思わず複雑な表情を浮かべる。
「全て、君の計算だったって事か……」
「そういう事。……あ、ちなみに、アマネちゃんはノータッチだからね。私がハヤテさんの所に行くように仕向けただけだから」
そう言うと、碧はニシシと笑った。
ハヤテは、そんな彼女の事をジト目で睨む。
「まったく……君ってやつは……」
「あら? 迷惑だった?」
「……」
思わず漏らしたボヤキの言葉に対し、しれっとした顔で訊き返す碧を前に、ハヤテは大きな溜息を吐くしかなかった。
そんな彼の顔を覗き込むようにしながら、碧は尋ねる。
「……で? 私に何か言わなきゃいけない事があるんじゃないですか~?」
「……お気遣い頂き、アリガトウゴザイマシタ……」
「はい、よくできました」
不承不承といった様子で感謝の言葉を述べたハヤテに、碧はニッコリ笑って大きく頷いてみせる。
……と、
「あの……昨日の晩とか薬とか……何の話ですか?」
それまで黙ってふたりのやり取りを見ていたフラニィが、訝しげな表情を浮かべながら訊いてきた。
「え……あ、いや、別に……」
金色の瞳を好奇心で輝かせながら詰め寄るフラニィを前に、途端にタジタジとなるハヤテ。
それを見た碧が、ニヤリとほくそ笑んで口を挟む。
「あ! 王女様、実はですね……昨日の晩、お酒に酔ってダウンしてたハヤテさんに――」
「ちょ! ちょっと、香月さんッ?」
「ど……どうしたんですか、ハヤテ様? いきなりそんなに慌てて……?」
ペラペラと喋り出す碧を慌てて制止しようとするハヤテと、そんな彼の行動に驚いて目をパチクリさせるフラニィ。
南の空で燦燦と輝く陽の光は、そんな彼らの事を優しく照らしていた。




