第二十四章其の捌 星光
「アマネ……何で?」
「……アオイから、ここであなたが二日酔いでダウンしてるって聞いたから……そ、その、介抱しないとなって思って」
驚きで目を丸くしながら尋ねたハヤテに対し、天音は口ごもりながらそう答える。
暗がりの中では、俯いた彼女の表情を窺い知る事は出来ない。
「あ……そっか」
ハヤテは、心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、曖昧に頷く。
と、おもむろに天音が距離を詰めると、無言でハヤテの隣に腰を下ろした。
「え? ど、どうした?」
「……」
唐突な彼女の行動に戸惑うハヤテに対し、天音は無言のままで、膝丈のスカートを穿いた自分の太股を指さした。
「え……?」
「……」
彼女のジェスチャーの意味が分からず、キョトンとした表情を浮かべるハヤテ。そんな彼の事をジロリと一瞥した天音は、口をへの字に結んだまま、彼の顔を指さしてから、その指を太股へと移動させる。
「いや……だから、何……?」
「……もうっ!」
それでもキョトンとしているハヤテに対して苛立ちの声を上げた天音は、不意に腕を伸ばした。
そして、目を丸くしているハヤテの頭を掴むと、力づくで自分の方へと引き寄せる。
「えっ? あ、アマネッ? 何を――?」
驚きの声を上げながら、抗う間もなく頭を引っ張られたハヤテ。
一瞬の後、彼は後頭部に柔らかいものが当たったのを感じる。
彼の視界には、満天の星空と、彼の事を至近距離から覗き込む天音の顔が映っていた。
星明かりに照らし出された彼女の顔は、まるで林檎のように真っ赤に染まっている。
「あ……アマネ……?」
「……だから……介抱してあげるって言ってるでしょ。だから……膝枕……」
「ひ……ひざま……!」
恥じらうように、小さな声で紡がれた天音の声を聞いて、ハヤテの心臓が一際大きくドクンと鳴った。
同時に、後頭部に感じる柔らかくて温かいものが、天音の太股だという事に気付き、彼の顔も天音に負けず劣らず真っ赤に染まる。
「い……イヤだった? だったら、すぐに止めるけど……」
「い、イヤ! あ、そっちの意味じゃなくて……!」
天音の問いかけに、ハヤテは彼女の太股に乗せた頭を慌てて横に振った。
「い、いいです。……あ、それも違う意味で……とにかく、こ、『このままでいいです』って方の“いいです”で……」
「……ぷっ! 何でいきなり敬語なのよ?」
狼狽えるハヤテの答えに、天音は思わず吹き出す。
そして、穏やかな微笑みを浮かべると、小さく頷いた。
「……うん、分かった」
「ど……どうも……」
ハヤテは、先ほどから大鐘のように鳴り続けている鼓動の音が天音に伝わっていやしないか不安になりながらも、ぎこちなく微笑み返した。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
だが、その後しばらくの間、ふたりは何も言葉を発せず、ただ黙って星空を見上げているだけだった。
決して不快な沈黙ではない。むしろ、互いの体温を感じ取れる距離に居られる事で、ふたりの胸は幸せに満ちていたのだが、長すぎる沈黙の時間に、だんだんと不安と焦燥が募ってくる。
何か話を切り出さなければ……でも、何を話そうか……。
――そんな気まずい沈黙を破ったのは、天音だった。
「あ……あのね!」
「あ、う、うん!」
突然上がった天音の声に、ハヤテも上ずった声で応える。
だが、そのハヤテの返事を聞いた拍子に、それまで話そうとしていた事がきれいさっぱり吹き飛んでしまった天音は、「あ……あの、その……ええと……」と言い淀んだ。
そして、狼狽え気味に視線を中空に彷徨わせると、
「その……ほ、星、綺麗だよね……」
取り敢えず、当たり障りのない話題を口にする。
天音の言葉に一瞬呆気に取られたハヤテだったが、すぐにぎこちなく頷いた。
「あ……う、うん……」
彼は、秘かに安堵と落胆が入り混じった思いを感じながらも、気を取り直すと、天音に膝枕されたままの体勢で空を見上げた。
そして、思わず感嘆の声を上げる。
「……本当だ」
彼の目には、漆黒の夜空を埋め尽くす勢いで輝く大小様々の星々が映っていた。
「前から凄いと思ってたけど……落ち着いてじっくり見ると、改めて凄いな……ここの星空は」
「本当……。まるで、プラネタリウムみたいよね」
ハヤテの呟きに、天音もコクンと頷く。
「こういうのを、『満天の星空』って言うのね。日本じゃ、とてもこんな星空は見れないわ」
「ああ……」
今度はハヤテが天音の言葉に頷いた。
彼女の言う通り、高度成長期よりは幾分かマシになったとはいえ、まだまだ大気が汚れていた日本では、ここまで沢山の星が夜空を埋め尽くす光景など拝めなかっただろう。
まるで、自分たちが星の海に漂っているかのような錯覚を抱かせる圧倒的な絶景を前に、ハヤテは思わず見とれてしまう。
……と、
「でも……似てるよね」
「……え?」
天音がポツリと漏らした呟きを聞き留め、彼は彼女の顔を下から見上げながら尋ねた。
「似てるって、何が?」
「ほら、あれ……」
そう言いながら、彼女は夜空の一点を指さす。
彼女が指さした先には、一際大きな星が、黄色い光を放っていた。
「あの星……見る度に思うんだけど、月にそっくりだよね」
「ああ……確かに」
彼女の言葉に、ハヤテは頷いた。
「似てるよな……。何となく、月よりも色が濃くて、模様も違ってるように見えるけど……」
「ウサギの模様とはちょっと違うわよね」
天音は、ちょこんと首を傾げながら、月に似た星に目を凝らした。
「でも……大きさはほとんど変わらないような気もするわよね。模様と色以外は、本当にそっくり……」
「そうだな……」
ハヤテは、天音の言葉に同意しつつ、何気なく呟く。
「月、綺麗だよな……」
「……」
「……アマネ?」
不意に天音が息を呑んだ気配に気付いたハヤテは、訝しげに声をかけた。
何故か、下から見上げた彼女の顔は、星明かりでもハッキリ分かるくらい朱に染まっている。
「おい……どうしたんだ、アマネ……?」
「……あ……」
彼女のただ事でない様子に不安を覚えたハヤテが呼びかけるが、依然として上の空の様子の天音。
「……おい、大丈夫か、アマ――」
「――しょうちゃん」
と、それまでずっと“月”を見上げていた彼女が、ようやく下を向いた。
そして、潤んだ瞳でハヤテの顔を見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。
「しょうちゃん……あたし……あたしも……」
「……?」
天音の真剣な表情を見上げながら、ハヤテはキョトンとした表情を浮かべた。
そんな彼に、天音は優しく微笑みかけ、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「月が……月が綺麗ですね」
「え……?」
天音の唇から漏れた言葉の繋がりが良く分からず、聞き返そうとしたハヤテだったが――、
――その唇は、天音の唇によって塞がれた。




