第二十四章其の伍 内心
「ハヤテさん、アマネちゃん、お疲れ様」
「……え?」
不意に背後から声をかけられたハヤテと天音は、ゆっくりと振り返る。
そこには、見知った顔があった。
「あ……香月さん」
「お疲れ様……って、何だか、あなたの方が疲れてるみたいだけど」
ハヤテに続いて振り返った天音が、怪訝な表情を浮かべる。
彼女の言う通り、そこに立っていた碧は、ぜえぜえと荒い息を吐いていた。
「一体、どうしたの? バッテバテだけど」
「はぁ……はぁ……ぜ、馬に乗って全速力で走ってきたんだから、そりゃバテバテにもなるってモンだよ……はぁ、はぁ……」
と、碧は辟易としながら答え、顔を顰めて尻を擦る。
「痛たたたた……お尻痛い……。この分じゃ、明日起きたら、筋肉痛で動けなくなりそう……」
「というか……」
身体の痛みで目に涙を浮かべている碧に、ハヤテは首を傾げながら尋ねた。
「何で、香月さんがここにいるんだ? 別に君は、オシス砦に残っていても――」
「え……?」
碧は、ハヤテの問いに戸惑う様子を見せる。
「えっと……そ、それは……」
彼女は僅かに頬を赤らめながら、視線を中空に彷徨わせながら言い淀んだ。
そして、目を頻りにパチクリと瞬かせながら、たどたどしく答える。
「それは……護衛だよ! 王子様たちを襲う悪い奴らとか怪物とかが現れた時に守れるように、ねっ!」
「あ、そうか。護衛か……」
碧の態度に訝しげな表情を浮かべながらも、ハヤテは小さく頷いた。
と、その時、
「あれ? 本当にそれだけですか?」
「ふぇっ?」
唐突に会話に入って来た声に、碧は思わず声を裏返す。
ハヤテと天音が声のした方に目を向けると、フラニィの肩を優しく抱いたドリューシュが、ニヤニヤ笑いを浮かべていた。
そんな彼に、小首を傾げながら天音が訊ねる。
「あの、それって、どういう意味ですか?」
「ちょ、ちょ! アマネちゃん! そこは掘り下げないでいいから――!」
天音の事を慌てて制止すようとする碧だったが、ドリューシュは得たりとばかりに大きく頷くと、口を開いた。
「いやぁ、確かに僕たちの護衛としてついて来てくれたのは確かなんですが、どうやらそれ以上に、ハヤテ殿に早く会いたかったから、アオイ殿は半ば強引に――」
「ちょ、ちょおおおおっと! な、なに言ってるんですか、ドリューシュ王子ぃっ?」
ドリューシュの暴露に、碧は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そ、そんな誤解を生みそうな事を言わないで下さいッ! 私は別に、そういうアレがアレな訳じゃなくって、単にアレがアレで――!」
「……何を言ってるんだ、香月さん?」
狼狽しきりで、目をグルグルと回しながら訳の分からない事を捲し立てる碧に、ハヤテが怪訝な顔を向ける。
「大丈夫か? ドリューシュ王子の言葉のどこに対して、何をそんなに焦っているんだ?」
「え? え、えと……あ、あの……」
首を傾げながら尋ねるハヤテに対し、碧は言い淀みながら激しく首を横に振る。
「ち、違うって! そ、そうじゃなくって……」
「そうじゃなくって?」
尋常ならざる碧の様子に、心配そうな顔をしたハヤテが、更に問いかける。
「本当にどうしたんだ、香月さん? 何だか、いつもの君じゃな――痛てッ!」
「まったく……いい加減にしなさいよ。アオイが困ってるでしょ……」
ハヤテの頭を拳骨で小突いた天音は、呆れ顔で彼を窘めた。
一方のハヤテは、キョトンとした顔で天音の顔を見る。
「え? 俺何かやっちゃったか? 何で香月さんが困ってるんだ?」
「……十二年経っても、鈍感なのは相変わらずか……」
「鈍感……? 何が?」
「もういいッ!」
何故か不機嫌になってそっぽを向く天音。
ハヤテは、何で怒鳴りつけられたのか分からずに、目をパチクリさせている。
そんなふたりを見て、思わず苦笑を漏らした碧だったが――、
「……あの」
「え……?」
小さな声で呼びかけられた碧は、クルリと首を巡らせる。
そこには、雪のように真っ白な毛皮のフラニィが立っていた。
彼女は、大きく見開いた金色の目で碧の事を見つめながら、「あの……」と、おずおずと口を開く。
「あなたが……コウヅキアオイさん……ですね?」
「あ……うん。そういうあなたは、フラニィ王女様だね」
「はい」
碧の問いかけに小さく頷いたフラニィは、彼女に向かって深々と頭を下げた。
「あの……ありがとうございました」
「え? ええと……」
突然、フラニィからかけられた感謝の言葉に、碧は戸惑いの表情を浮かべる。
「ええと……今回の件に関しては、私は別に王女様に感謝されるような事は何もしてないんだけど……」
「いえ……今回の事ではなくて……」
フラニィは、碧の言葉に小さく頭を振ると、ニコリと微笑みながら言葉を継いだ。
「ハヤテ様から聞きました。アオイさんが、ハヤテ様やドリューシュ兄様の危機を何度も救ってくれたって……」
「え? あ、まあ……」
フラニィの言葉に、碧ははにかみ笑いを浮かべながら、曖昧に頷く。
それから、小さく首を横に振った。
「……でも、それはお互い様だよ。私もハヤテさんにいっぱい助けられてるし、王子様には本当に色々とお世話になってるしね」
そう言って、碧はフラニィの顔を見つめて、フッと柔らかな笑みをこぼした。
「なるほど、ね……」
「……何がですか?」
碧の独白に、目を瞬かせながら、フラニィが訊ねる。
そんな彼女の問いに、碧は優しい声で答える。
「何か……ハヤテさんがあんなに一生懸命になって、あなたの事を助けに行ったのも解るなぁ……って」
「……!」
碧の言葉に、フラニィはその金色の瞳を大きく見開き、それから慌てて目を逸らした。
「そ……それって、どういう意味なんですか?」
「んー? いや、別に」
照れた様子のフラニィに、碧は白い歯を見せて笑みかける。
「……ただ、可愛い娘だなぁってさ。そりゃ、ハヤテさんは王女様の事を放っておけないよね」
「か……か、かわいい……放っておけないって……か、からかわないで下さいっ!」
フラニィは、怒ったように頬を膨らませると、ぷいっと背を向ける。
……だが、彼女の尻尾は、その内心を表すかのようにピンと垂直に立っていたのだった。




