第二十四章其の参 計画
「今のところ、こっちに向かって近付いて来るものは無いみたい」
光の一部だけが紫色に染まっている“結界”から少し離れた場所に立つ灌木の陰に向かって、周囲の様子を探っていた天音が声をかけた。
「そうか……」
彼女の言葉に、安堵と落胆が入り混じった声で答えたのは、左脚に血の滲んだ包帯を巻いたハヤテだった。
彼は、昨夜の戦いで負傷した左脚に走る鈍痛に顔を顰めながら小さな溜息を吐くと、彼の傍らで不安そうな表情を浮かべているフラニィとマーレルに頭を下げる。
「すまない。できるなら、一刻も早くここを離れて、オシス砦に向かいたいところなのに、俺が足を引っ張ってしまって……」
「足を引っ張るなんて……そんな事ありません、ハヤテ様!」
ハヤテの言葉に激しく頭を振ったのは、替えの包帯を手にしたフラニィだった。
彼女は、目尻に涙を溜めながら、キッパリと言う。
「ハヤテ様たちが来てくれなければ、まだあたしは王宮の小屋の中に閉じ込められたまま……いいえ、無理矢理毒を飲まされて、今頃この世にいなかったかもしれないんです!」
「それに……そもそも、ハヤテさんがこんな重傷を負ったのも、わたしとアマネさんが王宮の中に入りやすくする為に、近衛隊をひとりで引きつけて戦っていたからですし……」
ハヤテの太股に巻きついている汚れた包帯を外しながら言ったのは、マーレルだった。
包帯が外れ、露わになったハヤテの傷口を心配げに覗き込みながら、天音が頭を下げる。
「しょうちゃん……足を引っ張ったのは、あたしの方だよ。もっと早く、あたしが王女様を助け出せていれば……」
「いや……」
弱々しい天音の言葉に、ハヤテは静かに首を横に振った。
「それはしょうがない。アマネは、アームドファイターインセクトと交戦していたんだから。むしろ、良く切り抜けて、無事にフラニィたちを助け出してくれたと思うよ」
天音を宥めるようにそう言ったハヤテは、つと眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべる。
「それよりも……まさか、既に王宮の中まで、牛島の仲間のアームド・ファイターが潜り込んでいるとは、考えもしなかったな……」
「うん……あたしもビックリした」
ハヤテの言葉に、天音も力無く頷いた。
「インセクト……沙紀さんは、“鳴瀬先生の計画の為”に、王女様を置いていけって言ってたわ。多分あの人は、聡おじ……牛島聡が企んでいる事の為に――」
「もしかすると……その計画に、イドゥン兄様も絡んでいるのかもしれません」
「「……っ!」」
会話に割り込んできた声の、にわかには信じがたい内容に、ハヤテと天音は驚いて顔を見合わせる。
声の主であるフラニィは、憂いを帯びた表情を浮かべながら、沈んだ声で言葉を継いだ。
「あたし……聞いちゃったんです。イドゥン兄様の腹心であるグスターブの口から出た、“あの毒蜘蛛女”という言葉を……」
「え……?」
フラニィの言葉に、マーレルは愕然として目を丸くする。
「“毒蜘蛛女”って……まさに、あの時現れた“森の悪魔”の姿そのもの……! じゃあ、グスターブ様は、あの悪魔の存在を既に知っていて……」
「うん……」
マーレルの呟きに、フラニィは小さく頷いた。
「……イドゥン兄様もグスターブと同じように、彼女の事を知っている様子だった。その上で、慌ててその存在を隠そうともしていたみたいに感じたの……」
「じゃあ……」
ハヤテは、呆然とした様子で呟く。
「オチビトである牛島と、ピシィナの王であるイドゥンが、共に手を組んでいるという事なのか……?」
「そんな……!」
ハヤテの推測に、彼の左腿に新しい包帯を巻きつけていたマーレルが絶句する。
一方、天音は訝しげな表情を浮かべて首を傾げ、
「……でも、それっておかしくない?」
と言った。
「だって……オチビトの目的は“石棺の破壊”で、猫獣人の王様は“石棺を守る”立場でしょ? 思いっ切り利害が対立しちゃうじゃない。なのに……何で手を組めるの?」
「それは……あたしにも分かりません」
天音の疑問の言葉に、フラニィは力無く首を横に振った。
「あたしは、グスターブの言葉を聞いただけなんで……。もしかしたら、全然見当違いな推測なのかもしれませんし……」
「でも……確かに、牛島とイドゥンが協力していると考えると、色々と辻褄が合うような気がするな」
ハヤテは、自信無さげなフラニィの言葉に小さく頷きながら、顎を撫でて考え込む。
そんな彼に、包帯をきつく結んだマーレルが、不安顔で訊ねる。
「……“森の悪魔”の立てた“計画”とは、どういうものなのでしょうか?」
「さあ……正直、全く分からない」
マーレルの問いかけに、ハヤテは困り顔で頭を振る。
そんな彼の顔を横目で見ながら、天音は密かに拳を固く握りしめる。
(……牛島が、どんな計画を立てていようと――)
彼女の脳裏に、昨夜の邂逅時に、インセクトと交わした会話が蘇る。
――「殺したのよ。あの日――みんなでアジトを出た後でね」
――「よりにもよって、あの不良は、先生の事を殺そうとしたのよ。そんなの、私に殺されて当然じゃない」
――「そりゃあね、バレちゃったからよ」
――「来島くんに、『鳴瀬先生が健一くんを殺した』って事が、ね」
(……許さない)
天音は、ギリリと唇を噛みしめた。
(牛島聡と槙田沙紀……“計画”だか何だか知らないけれど、そんな事の為に、あのふたりが健一くんと薫を殺したっていうのなら――)
彼女は、忌々しい程に青く晴れ渡った空を睨みつけながら、胸の中の決意を低い声で口にする。
「……そんなふざけた“計画”、命に代えてでも潰してやるわ」




