第二十三章其の壱拾肆 嫉妬
「……ところで」
と、沙紀は口を開いた。
「周防くんの方は、龍ヶ崎くんに任せるとして……もうひとりの方はどうしますか?」
『……もうひとり?』
「……」
沙紀は、聞き返した牛島の声を聞いて、彼がとぼけていると感じた。
蝶報越しでの会話の為、お互いの顔が見えない事を幸いと、沙紀は眉間に深く皺を刻みながら、努めて平静を装った声を作って答える。
「もちろん……装甲戦士ハーモニー……天音ちゃんの事です」
『あぁ……』
返って来た声に含まれた曖昧な響きに心がざわめくのを感じながら、沙紀は小さく息を吐き、半ば強引に気持ちを落ち着けた。
そして、いつもよりも少し低いトーンで言葉を継ぐ。
「あの娘は、テラに協力して、猫獣人の姫を強奪していきました。私が『置いて帰って』とお願いしたにもかかわらず……。それってつまり、あの娘が私たちの事を裏切って、私たちの敵であるテラ側についた――そういう事でしょう?」
『……』
「そうなると、テラとルナに加えて、ハーモニーまでもが私たちの敵に回ったという事になります。装甲戦士が三人……これを放置しておくのは危険なのではないでしょうか?」
『……』
「……どうなさったんですか、鳴瀬先生? お黙りになってしまって?」
『ああ……いや、すまない』
責めるような口調の沙紀に謝罪の言葉を述べる牛島。
だが、その口調がどことなく苦笑混じりの響きを帯びていた事を敏感に感じ取り、沙紀は思わずカッとする。
「鳴瀬先生ッ! 何が可笑しいんですかッ?」
『ごめんごめん。私が悪かった』
激昂する沙紀に、重ねて詫びる牛島の声。だが、その口調はあくまでも軽い。
彼は、マイクの向こうで頬を緩めているのがありありと分かるような声で言った。
『いや……ね。天音ちゃんの話になった途端、君がやけにピリピリし出したのが、スピーカー越しにも伝わったものだから……ひょっとして、彼女に対してジェラシーってヤツを感じてしまっているのかな……ってね。そう思うと、思わず……』
「じぇ……ジェラシーって……!」
牛島の言葉に、沙紀は目を丸くする。
そして、狼狽した様子で激しく首を横に振った。
「ジェラシーだなんて……! わ、私が、天音ちゃんに? そ……そんな訳ありませんわ! あんな子ども相手に、私が嫉妬するなんて……」
『違うのかい? じゃあ、単なる私の自意識過剰かな?』
「それは……」
逆に問いかけるような牛島の言葉に対し、沙紀は言葉を詰まらせた。
そして、一瞬だけ逡巡した後、ゴクリと唾を飲み込むと、おずおずと口を開く。
「じゃあ……聞かせて下さい」
『……何をだい?』
「鳴瀬先生……あなたは、天音ちゃんの事をどう思っているんですか?」
微かに声を震わせながらの問いかけに、牛島はほんの少しの間沈黙した。
それから聞こえてきたのは、まるで平坦に均された真冬のアスファルト道路のような声によって紡がれた答えだった。
『そうだな……天音ちゃんは“たまに会う姪っ子”って感じかな?』
「……姪っ子……ですか?」
『ああ。ニュアンスが分かりづらかったかな?』
「いえ……何となく、おっしゃりたい事は分かりました。でも……」
『違う答えが返ってくると思ったかい? 例えば、“愛している”――とか?』
「それは……」
からかうような牛島の言葉に口ごもる沙紀。
そんな彼女の反応に対し、思わず笑い声を上げた牛島は、彼女を宥めるように言った。
『ははは、そんな訳無いじゃないか? 私は、自分の半分以下の年の娘に恋情を抱く程見境無くはないし、同時にふたりの女を愛するほど器用でも要領良くも無いよ』
「鳴瀬先生……」
『私が愛しているのは、この世界でただひとり――君だけだよ』
「あぁっ……!」
同衾した褥の中で囁きかけられたかのような甘い声に、沙紀は思わず悶絶する。
「鳴瀬先生……ッ! 私も……あなたの事を、世界で一番愛していますわ……ッ!」
『ありがとう』
沙紀の情熱的な愛の言葉に、淡々とした返事で返した牛島は、「まあ……」と言葉を継いだ。
『ただ……私が健一くんを殺した事を、天音ちゃんが知ってしまったのは残念だね。彼女は、さぞや私の事を恨む事だろう。もう、今までのように、“聡おじさん”と呼んではくれないだろうな……』
「それは……申し訳ございません……」
牛島の呟きに表情を強張らせた沙紀は、深く頭を下げた。
「てっきり、あの子がもう健一くんの死の真相を知っていると思い込んで、つい口を滑らしてしまいました」
――嘘である。
沙紀は、天音が健一の死をいたく悲しみ、それを齎した者を深く恨むであろう事を予測して、敢えて『健一を殺したのは牛島である』という事を彼女に明かしたのである。
自分が愛する牛島の前から、天音を自発的に……永久に立ち去らせる為に――。
「――本当に、申し訳ございません……」
そう言うと、彼女はもう一度深く頭を下げる。だが、伏せた顔に浮かんでいたのは、能面のような無表情。
少しの間、蝶報を介したふたりの間に、鉛のように重たい沈黙が垂れ込める。
――と、
『……いや。構わないよ』
沈黙を破ったのは、牛島だった。
『仕方がないね。どうせ黙っていても、天音ちゃんは遅かれ早かれ感付いただろうし』
「……そうかもしれないですね」
牛島の言葉に安堵の息を漏らした沙紀は、更に言葉を継ぐ。
「じゃあ……天音ちゃん……そして、テラたちはどうしますか?」
『……もちろん、捨て置く訳にはいかないね』
そう答えると、牛島は大きな溜息を吐き、再び口を開いた。
『まあ、そこら辺の事は私に任せておいてくれ。申し訳ないが、いましばらくの間、君はそこで頑張っていてほしい。私の計画の成就の為に、ね。頼りにしているよ』
「畏まりましたわ」
牛島の激励の言葉に、沙紀は思わず顔を綻ばせながら力強く頷く。
「頑張りますわ。鳴瀬先生……あなたを一日でも早く、この王宮にお迎えできるように――!」




