第二十三章其の漆 王位
「今すぐ手に持った武器を捨て、あたしたちに道を開けなさい! これは、ミアン王国第三王女フラニィ・エル・ファスナフォリックの直令です! 速やかに従いなさい!」
という、抗いがたい示威に満ちたフラニィの声を耳にした近衛兵たちは、ほとんど反射的に手にした武器を地面に置こうとする。
その時、
「え、ええい! 何をしておるのだ、貴様らはッ!」
彼らの隊列の中央の一角からヒステリックな怒声が上がり、兵たちは再び身体を硬直させた。
兵たちを押し退けるように、一台の馬車が前方に進み出る。
その上で仁王立ちになった黒ブチの毛柄の男が、憤怒に満ちた表情で周囲の近衛兵たちを睨みつけた。
「貴様ら! 何故武器を捨てようとする! 私の命令が聞こえなかったのか? 私は、フラニ……いや、“森の悪魔”どもを攻撃しろと命じたはずだ! ミアン王国国王の忠実なる僕たる近衛隊が、王直々の勅命に従わぬというのか!」
「……っ!」
イドゥン王の一喝に、近衛兵たちはハッとした表情を浮かべ、慌てて一度捨てた武器へと手を伸ばす。
――だが、
「止めて! あたしたちは、皆さんと戦う気は無いの! ただ、何もせずに、あたしたちを通してくれれば、それだけで……」
「……!」
「ええい! 黙れ、この鬼子めがっ!」
フラニィの懇願の声を耳にした近衛兵たちの動揺を見てとったイドゥンが、全身の毛を逆立てながら怒鳴った。
彼は、べったりと血糊が付いた剣を振り回しながら、なおも絶叫する。
「たかだか第三王女でしかない貴様が、私のものである近衛兵どもに言う事を聞かせようとするな! 不敬であるぞ!」
「……イドゥン兄様! 近衛隊は、あなたの私物などではありません!」
イドゥンに対し、一歩も引かぬ態度で反駁するフラニィ。
「かつて、お父様がおっしゃっていました! 近衛隊は……いえ、このミアン王国に住む全ての民は、決して王ひとりだけの所有物ではない。むしろ逆だ――って!」
「な……逆、だと?」
「そうです!」
当惑の声を上げるイドゥンに、フラニィは大きく頷いた。
「王は、民があって王たりうる。民をないがしろにする王は、王ではない。――だから、王は常に民を慈しみ、民の事を一番に考えて政に勤しまなければならない……お父様は、常にそうおっしゃっておられました! 兄様も聞いた事があるでしょう?」
「……フン! そんな事、忘れたわ!」
イドゥンは、フラニィの言葉に一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐに口の端を吊り上げると、フラニィの顔を憎々しげに睨みつける。
「……父上は、貴様にそんな『王の心得』のような事まで仕込んでいたのか。……まるで、貴様に王位を継がせたいと考えていたようじゃあないかっ? ええっ!」
彼は吐き捨てるように叫ぶと、
「――おのれぇッ!」
と毒づきながら、手に持っていた剣をフラニィ目がけて投げつけた。
「――ッ!」
突然の兄の凶行に、思わず身を竦ませるフラニィだったが、ふたりの間に距離があった為、剣は彼女の遥か前方に落ち、甲高い音を立てて転がる。
それを見たイドゥンは、血走った目を剥くと、周囲で立ち尽くしている近衛兵たちに向かって怒声を上げた。
「ええい! 何をボーっと突っ立っておるのだ! 行け! あの鬼子――王に逆らう不届き者を討ち取ってこい!」
「……」
……だが、近衛兵たちは、その場に立ち尽くしたまま、まるで石像にでもなったかのように、誰ひとりとして動かなかった。
「き、貴様ら……ッ!」
自分の命に従わず、一歩たりとも動かない近衛兵たちを睨みつけながら、イドゥンはギリギリと歯噛みする。
そして、馬車に備え付けてあった大弓に手を伸ばすと、傍らに立っていたグスターブに突きつけようとしたが、
「……チッ!」
その怖気づいた顔を見るや、苦々しげに舌打ちをした。
そして、クルリと振り返り、矢を番えた大弓をフラニィの胸元に向ける。
「ッ! 兄さ――」
「フラニィッ! 死ねえええええええっ!」
目を大きく見開いたフラニィに憎悪に満ちた目を向けたイドゥンは、絶叫と共に躊躇いなく矢を放った。
一本の矢が、夜の空気を切り裂きながら、突然の事に立ち尽くすフラニィの心臓目がけて一直線に飛んでいく――!
「――ッ!」
フラニィは、みるみる近付いてくる矢を為す術もなく見つめていた。
鋭い銀色の光を放つ鏃が、無慈悲に自分の胸を貫く情景が脳裏に浮かび、彼女はギュッと目を瞑る。
――その時、
「バーニング・ロアーッ!」
「ッ!」
彼女の後方から上がった声と同時に、凄まじい熱気が彼女の脇を掠めていったのを感じ、フラニィは思わず目を開いた。
その目に映ったのは、鬣のあるピシィナに似た獣を象った炎の塊が、飛来してきた矢を覆い尽くす光景だった。
「これは……ッ?」
驚愕の声を上げるフラニィの前で、勢いを増した炎は矢を瞬く間に焼き尽くし、まるで咆哮するような音を上げた後、その場で掻き消える。
「……?」
突然の事に呆然とする彼女を庇うように、何者かが前に立ち塞がった。
まるで炎を身に纏っているかのような、鮮やかな真紅の装甲に覆われた背中――。
それは、フラニィが初めて目にする姿だったが――その背中が誰なのか、彼女にはすぐに分かる。
「ハ……」
たちまち、その顔を歓喜で綻ばせながら、フラニィは彼の名を高らかに叫んだ。
「――ハヤテ様ッ!」




