第二十三章其の伍 覚悟
「な……何をしているの、イドゥン兄様は……?」
と、凱旋ノ門から現れた馬車の上で仁王立ちしたイドゥンが、突然ひとりの兵の顔を剣で貫いた光景を見てしまったフラニィが驚愕の声を上げた。
「ひ――!」
ショッキングな場面を目の当たりにしてしまったマーレルが、悲鳴を上げてその場にへたり込む。
「い……一体、イドゥン王はどうしたというんだ? 臣下である近衛兵を、自らの手で殺めるなんて……?」
倒れかけたマーレルの身体を、慌てて手を伸ばして支えたテラも、狼狽を隠せない。
その一方で、
「――まずいわね」
そう呟いて、覆面の下で顔を顰めたのはハーモニーだった。
彼女は、牽制するように周囲の近衛兵たちに目を配りながら、背中を合わせているテラに向かって囁きかける。
「あの偉そうな猫獣人の男……あいつが王様?」
「あ、ああ……。このミアン王国の現国王で、フラニィの兄でもあるイドゥン王だ。――それが何か?」
「あいつ……大分イカれてるわよ」
彼女は、馬車の上から近衛兵たちに向かって何やら叫んでいる黒ブチ柄の猫獣人を横目で見つつ、嫌悪感を露わにしながら言った。
「あの男……『何としてでも、あたしたち“森の悪魔”を討ち取れ』って、兵隊に向かって叫んでる」
彼女は、装甲戦士ハーモニーの特徴でもある優れた聴覚センサーを欹て、聴いた内容をテラに伝える。
そして、最も聞き捨てならない内容を――。
「――その為なら、フラニィ王女の命がどうなっても構わない……だって」
「……ッ!」
ハーモニーが聴き取った内容を聞いて、テラたちは一様に息を呑んだ。
愕然としているテラに、ハーモニーは憤然とした声で言う。
「信じられない! あの王様にとっては、フラニィ王女は血を分けた実の妹なんでしょ? なのに、『命がどうなっても構わない』だなんて……」
「……私としては、さほど信じられない事でもありません」
と、ハーモニーの言葉に対して沈痛な響きの声を上げたのは、マーレルだった。
彼女は、気遣うようにフラニィの事をちらりと見てから、おずおずと言葉を続ける。
「イドゥン様は、昔からフラニィ様に何かと辛くお当たりになっていらっしゃいました。それは、“嫌悪”というよりは、むしろ“憎悪”に基づくものだったのだと……」
「……」
「そんなイドゥン様の事ですから、斯様な酷薄な命令を下すのも、私には得心がいくのです。……到底、納得は出来ませんが」
「そうね……」
マーレルの言葉に頷いたのは、フラニィだった。
彼女は、寂しげな表情を浮かべながら、微かに震える声で言う。
「――というか、ついさっきも、あたしはイドゥン兄様に毒を飲まされかけたばっかりだし……」
「なっ――?」
「え……っ?」
「……ッ!」
突然のフラニィの告白に、三人は愕然とした。
テラは、覆面の目をギラリと光らせると、馬車の上から剣先で自分たちを指しながら酷薄な薄笑みを浮かべているイドゥンを睨みつける。
「自分の妹に対して、そこまでするのか……!」
「……最低ね」
ハーモニーも、吐き捨てるように言い捨てた。
そして、聖者のフルートを口元に当て、テラの顔をチラリと見る。
「……どうする? いっその事、ここであいつをやっつけちゃう?」
「……いや」
ハーモニーの問いかけに、首を横に振るテラ。
彼は、慎重に周囲を見回しながら、ハーモニーに囁く。
「まず優先するべきは、フラニィたちを結界の外――ドリューシュ王子の待つオシス砦まで無事に逃がす事だ。戦闘に巻き込むのは出来るだけ避けたい」
「でも……」
テラの言葉に対し、ハーモニーは言い淀んだ。
そして、先ほどよりも剣呑な光を目に宿し、ジリジリと間合いを詰め始めた近衛兵を一瞥し、緊張感の籠もった声を上げる。
「さっきの事で、近衛兵たちが殺気立っちゃってる……。それとも――あの最低な命令に従わなくちゃいけないって、追い詰められちゃってる感じかも」
「……そうだろうな」
ハーモニーの言葉に、テラは小さく頷く。
そして、三人の顔を見回すと、決意を固めた声で「……ハーモニー」と呼んだ。
「――ここは、俺が食い止める。その隙に、お前はフラニィとマーレルさんを連れて脱出してくれ」
「なっ……!」
テラの言葉に、ハーモニーは一瞬絶句し、すぐに怒気を孕んだ声を上げた。
「そ……そんな事出来る訳無いでしょ! だって……あなたは何時間も戦い続けてて、怪我だってしてるのに……! そんなあなたを置いていったりしたら――」
「……大丈夫だ。充分に時間を稼いだら、俺も後を追いかける。」
興奮した様子で詰め寄るハーモニーに、軽く首を横に振ったテラは、赤いレーベルのコンセプトディスクを取り出しながら、「それに――」と言葉を継ぐ。
「今度は、これを使う」
「それって……」
「タイプ・フレイムライオンは、タイプ・ウィンディウルフよりも速さは劣るが、攻撃力は高い。これなら、この大軍を相手にしても充分に持ち堪えられるはずだ」
「でも……猫獣人相手にそのフォームは強過ぎて、下手したら殺しかねないって……」
咄嗟に手を伸ばして、コンセプトディスクを持つテラの手首を掴みながら、ハーモニーは言った。
そして、彼の目を覗き込みながら、微かに声を震わせる。
「戦って……殺す気なの? 彼らを……」
「……出来れば、殺したくはないよ。俺は、装甲戦士テラだ。オチビトだろうがピシィナだろうが、誰も殺したくなんかない」
そう答えながら、テラはハーモニーの視線から目を逸らし、「でも……」と低い声で続けた。
「そんな俺の拘りなんかよりも、お前やフラニィの命の方が大事なんだ」
「――テラ……!」
テラの言葉の響きに、言葉を詰まらせるハーモニー。
そんな彼女を押し退けるようにして、テラは一歩前に出た。
「分かったら、俺の言う通りにしてくれ。――大丈夫だ。上手くやるさ」
「……」
テラの声の響きに、覆す事が出来ない意志の強さを感じ取ったハーモニーは、返す言葉が思い浮かばぬまま俯き、どうするべきか逡巡する。
――と、その時、
「……フラニィ?」
不意に上がったテラの当惑の声が耳に入り、ハーモニーはハッとして顔を上げた。
彼女の目に、テラの前を塞ぐように背を向けて立つ、小柄な白毛柄の少女の姿が飛び込んできた。
「――フラニィ王女?」
「フラニィ……危険だ。君は下がってくれ。そして、ハーモニーと一緒に――」
「いいえ」
テラが肩に置いた手をそっと掴んで優しく振り払ったフラニィは、背を向けたままキッパリと首を横に振った。
そして、首だけを向けてテラに向けたフラニィは、柔らかな笑みを浮かべてみせる。
「ハヤテ様……ここは、あたしに任せて下さい」
「任せるって……」
フラニィの言葉に戸惑いの声を上げるテラ。
そんな彼に「大丈夫です」と力強く頷いたフラニィは、顔を前に向け、近付いてくる近衛兵たちに鋭い視線を向け、凛とした声で言った。
「あたしは、フラニィ・エル・ファスナフォリック……これでも、ミアン王国第三王女ですから!」




