第二十三章其の弐 焦慮
――時は、凱旋ノ門が、内側から凄まじい轟風と衝撃に見舞われる少し前に戻る。
「はぁ……はぁ……ッ!」
装甲戦士テラは、荒くなった息で肩を弾ませながら、自分を取り囲みつつ、ジリジリと距離を詰めてくるミアン王国近衛兵たちを睥睨した。
その蒼い装甲は、いたる箇所が傷つき、あちこちが凹んでいる。
無理もない。
彼はもう三時間近くも、打ちかかってくる近衛隊を相手に、たったひとりで戦い続けているのだ。
装甲戦士の堅固な装甲と、ウィンディウルフの能力によって、致命の一撃こそ受けてはいないものの、殺気を漲らせて攻めかかってくる近衛兵は手強く、全くの無傷という訳にもいかなかった。
時間が経てば経つほど、その身体に刻まれる傷と蓄積される疲労は増える一方。
(……さすがに、これ以上かかると、押し切られそうだな)
彼は、狼を模った覆面の下で、微かに顔を歪めた。
身体のあちこちが悲鳴を上げているのを感じる。特に、風を身に纏っての急加速と急停止を繰り返した両脚は、痛みを通り越して、半ば感覚を喪っていた。
ふと彼は、チラリと足元に視線を落とす。彼の足元には、これまでの戦いで倒した近衛兵が何十人も転がり、その全員が苦しげに顔を歪めながら、低いうめき声を立てていた。
(よし……誰も死んでいないな……)
一瞥して、そんな彼らの様子を確認したテラは、安堵の息を漏らす。
自分の事を殺そうとしてくる猫獣人兵を殺さずに無力化するのは、並大抵の事ではなかった。しかも、相手はミアン王国の中でも最強を誇る近衛隊の猛者たちである。
それでも、装甲戦士の能力と、テラ自身の戦闘技術を存分に駆使すれば、とうの昔に近衛隊を壊滅させる事が出来たはずである。
しかし、テラはそうはしなかった。自分が傷つき、戦いが長引き疲弊するリスクが生じるのが分かり切っているのに、彼は意固地なまでに不殺を貫いていた。
その奇妙さと違和感は、対峙する近衛兵の間にも広がりつつあり、息もつかせぬ勢いで、遮二無二攻めかかっていた先ほどまでとは打って変わって、今はテラを遠巻きに包囲し、彼の様子を窺っている。
「……」
テラは、猫獣人兵の攻撃が止んだのを幸いとばかりに上がった息を整えながら、百メートルほど離れたところにある“凱旋ノ門”を一瞥した。
(ハーモニーは、まだか……?)
彼は、自分が囮となってピシィナ兵の目を引きつけている隙に、囚われの身となっているフラニィを救出する為に王都キヤフェに潜入した装甲戦士ハーモニーが、未だに帰ってくる気配がない事に不安を覚える。
(まさか、中で何かあったのでは……?)
テラがここで暴れ続けている事で、王都の警備の目は薄くなっているはずだし、道案内として、王宮の内部構造を知るマーレルも同行してくれている。
万が一、兵に見つかって戦闘になったとしても、装甲戦士の力を以てすれば、手こずる事もなく切り抜けられるはずだ。
だが――、
当初は二時間足らずでフラニィ救出の目的を達成できると見積もっていたにもかかわらず、既に三時間もかかっている……。
(これは……俺が迎えに行った方がいいか……?)
正直、これ以上負傷と疲労が増えては、オシス砦への帰還に差し支える恐れがある。ここは、当初の作戦を変更し、自分自身も王都内に乗り込んで、ハーモニーとフラニィたちと合流して脱出を図るべき――テラは、そう考えたのだ。
だが、それはつまり、ピシィナ兵が守備を固めている凱旋ノ門を突破せねばならず、更に激しい戦闘を避けられない事を意味する。
ひとたび乱戦となれば、先ほどまでの戦闘の様にはいかない。兵が死なないように手加減をする余裕は無いだろう。
でも、そうしなければ、王都内のハーモニーたちの身に危険が及ぶ可能性が高い。
――決断しなければならない。
「……くそっ」
だが、テラは躊躇した。
そして、その彼の躊躇は、彼を取り囲む近衛兵たちには“隙”として見えた。
「――かかれぇええええ!」
「――ッ!」
指揮を執る部隊長の声と、それに応えた兵たちの雄叫びが耳朶を打ち、テラはハッと目を見開く。
そして、騎馬の横腹を蹴って、自分に向かって一斉に突進してくる騎馬兵の一群を見ると、思わず歯噛みした。
「まだ来るか……!」
そう忌々しげに呟いたテラは、戦闘の構えを取ろうとするが、足元に転がるピシィナ兵を一瞥すると、舌打ちをして地を蹴った。
「――こっちだ!」
「う、うおおおおおおおっ?」
突然踵を返して、自分たちの方へ向かってきたテラに驚いた猫獣人兵たちが、思わず隊列を乱す。
「ケガをしたくなければ、そこを退け!」
そう叫びながら、猫獣人兵の集団のただ中を突っ切ろうとするテラ。
地に倒れた近衛兵達が、自分に向かって突進してくる騎馬の蹄に踏まれて命を落とす事を避けようと、場所を移動して迎撃しようとしたのだ。
だが――、
「舐めるなああああッ!」
「止まれえええい!」
一瞬虚を衝かれた近衛兵たちは、すぐ我に返ると、手にした槍や剣を疾走するテラに向けて突き出した。
「くっ――!」
テラは、突き出された槍の穂先や剣の刀身を手甲で弾きながら、それでも先へと進もうとするが、
「グぅッ!」
突然、太股に焼け付く様な痛みを感じ、その場で前のめりに倒れる。咄嗟に痛みが走った左太股に目を遣ると、一本の手槍の穂先が、脚部装甲の僅かな隙間に突き立っていた。
「くっ……くそ……!」
テラは毒づきながら、太股に刺さった槍を引き抜く。丈夫なラバースーツの綻びから鮮血が噴き出し、蒼い装甲に赤く筋を書く。
彼が倒れたのを見た近衛兵たちの間にどよめきが上がる。
「倒れたぞ! 今だ!」
「今こそ好機ぞ! “森の悪魔”を討ち取って、手柄とせよ!」
指揮官の声に突き動かされるように、目を殺気でぎらつかせた近衛兵たちが得物を掲げてテラの元に殺到する――。
「くっ……と、トルネードスマッシュ!」
「うわああああああっ!」
咄嗟にテラが右腕を振り上げ、巻き起こした小規模な竜巻が、真っ先に斬りかかってきた数人の近衛兵を吹き飛ばす。
だが、三時間にも及ぶ戦闘を経て、すっかり疲弊していたテラの放つ技は、大分精度が落ちていた為、すぐに掻き消えてしまった。
「くそ……ダメか……」
「今だああああっ!」
巻き起こった竜巻に一瞬怯んだ近衛兵たちだったが、テラが追撃を放てるような状態ではない事を悟ると、その勢いを取り戻す。
「覚悟おおおおおおっ!」
「……ッ!」
自分の身体に向かって突き出される無数の刃がギラリと光るのを見たテラは、思わず目を瞑った。
空気を切り裂く無数の風切り音を耳にしながら、彼は死を覚悟する――。
――その時、何かが自分の前に立った気配を感じた。
次の瞬間、
「――狂詩曲・音の壁ッ!」
「あああああああっ!」
「ぐううっ?」
「うぁ――ッ?」
聞き慣れた声と同時に、脳髄に響く様な高音の旋律と数多の悲鳴が上がる。
「――ッ?」
驚いて開いたテラの目に――象牙のような白い装甲を身に纏った背中が映った。




