第二十二章其の壱拾壱 副腕
圧縮された空気の弾丸と蜘蛛の糸を撚り合わされた長鞭が衝突し、薄暗く狭い部屋の中に激しい破裂音が響き渡った。
「くっ!」
振るったスパイダーズ・スレッド・ウィップを魔弾で弾かれたインセクトは、僅かなうめき声を上げると、上半身のバランスを崩す。
その隙を逃すまいと、ハーモニーは聖者のフルートへ更に息を吹き込んだ。
「狂詩曲・魔弾ッ!」
ハーモニーの奏でた荒々しいフルートの旋律から創り出された数発の空気の弾丸が、インセクト目がけて飛んでいく。
その空気の対流によって埃が巻き上げられ、ハーモニーからインセクトの身体が一瞬見えなくなった。
「当たった――?」
それでも、弾丸の軌道から、命中を確信するハーモニー。
だが――、
「――ふふふ、ぬか喜びさせちゃってゴメンね」
「ッ!」
埃の向こうから聞こえてきた嘲笑に、ハーモニーは息を呑む。
やがて、ハッキリと見えてきたインセクトの姿を見たハーモニーの口から、悔しげな声が漏れる。
「――副腕……っ!」
「ご名答」
前面に掲げて、飛来した魔弾を防いだ副腕をうねうねと動かしながら、インセクトはどこか嬉しそうな声で言った。
「副腕の事を知っているって事は、あなたはツールズよりも詳しいみたいね、インセクトの事を」
「あたし……全装甲戦士の中で、ハーモニーの次に好きだったんですよ、インセクト。女のアームドファイターだから」
「ふふ……やっぱりそうよね」
ハーモニーの言葉に、インセクトは満足げに頷く。
「男のオタクたちからは、『シリーズ打ち切りの戦犯』とか『路線転換を図ろうとして玉砕した失敗作』とかさんざん言われてる『アームドファイターインセクト』だけど、女の子のファンからは結構人気があるのよね」
「そうですね……。中間フォームの女王蜂のデザインが特に好きでしたよ、あたし」
「ふふ……ありがと」
インセクトは嬉しそうな笑い声を上げると、ハーモニーに向かって「ねえ、天音ちゃん……?」と話しかけた。
「やっぱり……ここは大人しく、あのお姫様を置いて帰ってくれないかしら? あなたをここで倒すのが、ちょっと惜しくなってきちゃった」
「……せっかくですけど、あたしの気持ちは変わりません。――ごめんなさい、沙紀さん」
「そう……」
ハーモニーの返事を聞いたインセクトは、小さく溜息を吐くと、
「――残念ッ!」
と叫んで、即座に左手の手甲をハーモニーに向ける。
「スパイダーズ・スレッド・ボール」
彼女の声と共に、左手の手甲から噴き出した粘性のある白い糸が絡まり合い、拳大の糸玉となった。
インセクトの手元を離れ、ハーモニー目がけて飛来する糸玉を見たハーモニーは、両脚の筋肉にグッと力を込め、高らかに叫ぶ。
「超音速縮地!」
その声を残し、ハーモニーの姿は忽然と消えた。――否、消えたと思わせるほどの速さで、その場から移動したのだ。
――が、
「――きゃあっ!」
すぐに部屋の隅からくぐもった悲鳴が聞こえた。
それは、超音速縮地を発動したはいいものの、部屋の広さを見誤り、勢いよく石壁に激突してしまったハーモニーが上げた声だった。
「ふふ! ダメねぇ、ハーモニー! 閉塞された場所で高速の移動技なんか使ったら、すぐに壁にぶつかっちゃうに決まってるでしょ?」
そんなハーモニーの事をせせら笑いながら、インセクトは左腕の手甲から新たなスパイダーズ・スレッド・ボールを創り出し、蹲るハーモニーに向けて放った。
「くっ!」
ハーモニーは、飛んできた新たな糸玉を、咄嗟に振り上げた左手で弾き飛ばそうとする。
――だが、それは明らかに悪手だった。
粘性のある糸玉は、ハーモニーの左腕と接触するや、そのままベタリとへばりつく。
そして、糸玉はその勢いを殺さず、彼女の左腕を巻き込んで背後の石壁に貼りついた。
「しまっ……!」
「は、ハーモニーさんッ!」
尻餅をついた体勢のまま、壁にへばりついたまま剥がれなくなった左腕を懸命に動かそうと藻掻くハーモニーに、フラニィの悲痛な叫び声が上がった。
その緊迫した声に、ハーモニーの焦りはさらに募る。
「ちょ……剥がれてよ! もう!」
「ふふふ! 足掻いても無駄よ!」
「ぐぅっ!」
素早くハーモニーの元へ近付いたインセクトが放った、強烈な浴びせ蹴りを肩口に受けたハーモニーの口から苦しげな声が漏れる。
「ほらほら! まだ終わりじゃないわよ!」
インセクトは、背中から伸びた四本の副腕を鞭のように振るって、ハーモニーの身体をさんざんに打ち据えた。
「ぐっ! ……んふっ! かはっ……!」
左手を壁に貼りつけられた状態のハーモニーは、右手に握ったフルートで振るわれる副腕を防ごうとするが、一本のフルートで四本の副腕の攻撃を凌ぐのは難しい。
何発か痛烈な一撃を食らいながも、彼女はインセクトの打擲を凌ぎ続けた。
「チッ……しつこい!」
いつまでも決定的な一撃を食らわせられない事に業を煮やしたインセクトは、忌々しげに舌打ちすると、それまで交互に振るい続けていた副腕を背中の方へ引きながら、小さく後方へと跳んだ。
そして、少し離れたところに着地すると、副腕を真っ直ぐに伸ばし、先端を鋭い槍のように尖らせた。
「それじゃ、あなたの身体を壁に磔て、昆虫標本にしてあげるわ!」
彼女はそう叫ぶと同時に、ぐったりとしたハーモニーの身体に向けて、四本の副腕を一気に伸ばす。
(マズい――ッ!)
ハーモニーは、自分に向かって伸びてくる副腕を凝視し、何とか逃れようと必死で身を捩るが、スパイダーズ・スレッド・ボールによって壁に貼り付けられた左手はビクとも動かない。
彼女は、観念して目を瞑った。
――だが、
(……?)
いつまで経っても、インセクトの副腕が自分を貫く衝撃と痛みを感じない事に戸惑いながら、ハーモニーは恐る恐る目を開く。
開いた彼女の目に、真っ白くて丸い何かが映った。
「あ……ッ!」
それが何か気付いたハーモニーは、思わず声を上げる。それと同時に、インセクトの苛立った声が彼女の耳朶を打った。
「……邪魔しないでもらえるかしら? 攻撃に巻き込まれたら、あなたの身体なんてひとたまりも無いのよ。部屋の隅で大人しくしてなさいな」
「……そういう訳にはいきません」
ハーモニーに向けて伸ばされた四本の副腕の前に両腕を大きく開いて立ち塞がったフラニィは、爛々と輝く金色の瞳でインセクトを睨みつけながら、断固とした声で言った。
「このあたしが、ハーモニーさんの事をやらせはしません!」




