第二十二章其の玖 馬鹿
「さ……聡おじさんが……健一くんを……?」
インセクトの言葉を聞いたハーモニーは、舌を縺れさせながら訊き返した。
「こ……殺した……?」
「あら? 知らなかったの?」
ハーモニーの反応に、インセクトは意外そうな声を上げる。
「てっきり、あなたはもう知ってるのかと思ってたわ。テラから聞いて」
「しょうちゃん……から……?」
「ええ」
訝しげな声での問いかけに、インセクトはコクンと頷きながら答えた。
「だって、彼はもうその事を知っているはずよ。だって、鳴瀬先生が彼と戦った時に、自分が健一くんを殺した事を打ち明けたっておっしゃってらしたもの。――その事を、テラはあなたに言ってなかったんだ?」
「……聞いてない」
ハーモニーは、胸の奥にズキリと鈍痛が走るのを感じながら、フルフルと首を横に振る。
……だけど、何故彼がその事を自分に話さなかったのか、その理由は何となく解っていた。
(しょうちゃんは、この事をあたしが知ったらショックを受けるだろうと思って……)
自分が慕っている男が、自分が知らないところで自分に懐いてくれていた男の子の命を奪っていた――そんな事実を知ってしまったら、到底心穏やかではいられない……テラはそう考えて、天音に事実を伝える事を躊躇ったのだろう。
幼馴染として、十年以上も勝悟と一緒に過ごしてきた天音は、彼の考えたであろう事が、手に取る様に解った。
――それに比べて、
「……しょうちゃんのバカ。あたしの事、全然解ってないんだから」
彼女はぼそりと呟くと、ハッとした様子で顔を上げる。
そして、訝しげに首を傾げているインセクトをキッと睨みながら問いかけた。
「ひょっとして……あのバカ――カオルも、前から知っていたの? 聡おじ――牛島が、健一くんを殺した事を……?」
「え? ……ええ。多分、そうだと思うわよ」
ハーモニーからの問いかけに、少し意表を衝かれた様子を見せたインセクトだったが、すぐに頷く。
「あの時の様子から見て、前々から感付いてて、ずっと疑い続けてたみたいね」
「……!」
「まったく、馬鹿よねぇ。素知らぬ顔をして、おとなしく鳴瀬先生に従っていれば良かったのに、短気を起こしたばっかりに寿命を縮めちゃって」
そう言うと、インセクトはわざとらしく肩を竦めた。
「その割に、先生に向かって『仇を討つ』だ何だって息巻いて自分から突っかかってきたくせに、生身の先生に装甲戦士の攻撃を当てる度胸も無かったりしてね。ホント何をしたかったのかしらね、あの子。馬鹿みたい」
「……アイツは、馬鹿なんかじゃないですよ」
ハーモニーは静かに頭を振った。
(多分……アイツもしょうちゃんと同じだったんだ。あたしの事まで巻き込む事を心配して、本当の事を知りながら、ずっと胸に秘めたまま黙ってて……)
彼女は、覆面の下で、ギリリと奥歯を噛みしめる。
そして、押し殺した声で言った。
「アイツは――カオルは、優し過ぎたんです。馬鹿なのは……あたしの方!」
ハーモニーは、自分を責めて絶叫した。
そして、覆面のアイユニットをギラリと光らせながら、「と、いう事は……」と呟きながら、インセクトの顔を睨みつける。
「つまり、あなたがカオルの仇で、牛島が健一くんの仇だって事なのね?」
「……そうなるわね」
殺気を孕んだハーモニーの視線を受けながらも、インセクトはたじろぐ事も無く頷いてみせた。
そして、やや首を傾げながら問い返す。
「だったら、どうするの? この場で私を殺して、来島くんの復讐でも果たす?」
「……正直、そうしたいのはヤマヤマだけど――」
インセクトの問いかけに対し、ハーモニーは部屋の奥をチラリと見てから、小さく首を横に振った。
「――今は、別にやる事があるから!」
そう叫ぶや、彼女は手に持っていた聖者のフルートを口元に当てる。
そして、小さく息を吸うと、フルートに向けて素早く吹き入れた。
『“狂詩曲・沈黙の音”!』
次の瞬間、聖者のフルートが奏でた無音の旋律がインセクトを襲う。
「――ッ!」
不意を衝かれたのか、ハーモニーの沈黙の音を浴びたインセクトは、耳の辺りを押さえて膝をついた。
その隙に、ハーモニーは埃の舞い上がる部屋を一気に横切り、部屋の奥で蹲っていたふたりの猫獣人の少女の元に駆け寄る。
そして、部屋の出口を指さして叫んだ。
「――ふたりとも、大丈夫ですか? 今のうちに、ここを脱出しましょう!」
「あ……ハイ!」
彼女の指示に、マーレルは大きく頷くが、一方のフラニィは、当惑した表情を浮かべながらハーモニーに訊ねた。
「あの……でも、どうやって……?」
「あたしが、ふたりを抱きかかえます! それで――」
不意に、ふたりに向けて指示を出していたハーモニーの声が途切れた。
「――チッ!」
彼女は舌を打つと、素早く口元に聖者のフルートを咥え、一気に息を吹き込む。
「――狂詩曲・鎌鼬!」
フルートが奏でた旋律が姿を変えた無数の真空の鎌が、三人に向かって伸びてきた白い糸束を無数に斬り刻んだ。
それによって攪拌された空気によって、更に激しく舞い上げられた埃が彼女の視界を覆い尽くした。
――と、
「……あなたも、来島くんに負けず劣らず馬鹿よねぇ、ハーモニー」
「……ッ!」
夥しい埃の向こうから聞こえてきた声に、ハーモニーは身を強張らせる。
そんな彼女の事を冷たく光る八つの複眼で見下しながら、インセクトは嘲笑交じりの声を上げた。
「どうせ不意打ちするんだったら、もっと致死性の高い攻撃にしないと意味無いわよ。……うふふふ」




