第二十二章其の捌 遭逢
「ふふふ……」
名前を呼ばれた槙田沙紀――アームドファイターインセクトは、ハーモニーの問いかけには答えず、意味深な含み笑いを漏らしただけだった。
ゆっくりと部屋の中を見回した彼女は、
「大方、門のところで戦ってるテラは囮で、彼の仲間の装甲戦士が潜入してお姫様を救出しに来るんだろうとは思ってたんだけど……あなたしか居ないみたいね?」
そう言うと、訝しげに首を傾げる。
「てっきり、テラの仲間になったっていう、ルナだっけ? そんな名前の装甲戦士が来るもんだと思ってたけど」
「……」
「じゃあ……ひょっとして、あなたもテラの仲間になったって事かしら?」
「それは……」
インセクトに尋ねられ、ハーモニーは一瞬口ごもったが、おずおずと口を開いた。
「あの……実は、装甲戦士テラ……焔良疾風は、あたしの幼馴染だったんです。仁科勝悟っていう名前の……」
「え……そうだったの?」
ハーモニーの言葉に、思わず驚きの声を上げるインセクト。
そんな彼女に小さく頷いたハーモニーは、更に話を続ける。
「あたしも、その事を知った時は、とてもビックリしました。――それで、あの夜の戦いが終わった後、アオイや彼自身とちゃんと話をして……これまであたしが装甲戦士テラに対して抱いていた思い込みや恨みが、全部間違いだった事に気が付いたんです。――それと」
そこで一旦言葉を切ると、彼女はフラニィとマーレルの方に視線を向ける。
「この世界の猫獣人が、あたしたちと同じように温かい心を持っていて、決して人間の敵なんかじゃないんだって事も……」
「うふ、ふふふ……」
それまで、ハーモニーの言葉を黙って聞いていたインセクトは、突然愉快そうに笑い始めた。
その、どこか棘を感じる嫌味な笑い方に、ハーモニーは思わずムッとする。
「……何が可笑しいんですか? 沙紀さ……インセクト」
「うふふ……あぁ、ごめんなさい」
ハーモニーの険しい声を聞いたインセクトは、なおもクスクスと嗤いながら謝った。
そして、わざとらしく肩を竦めながら言葉を継ぐ。
「いやね。必死でもっともらしい理由を並べようとしているあなたの事が、何だか滑稽で……」
「滑稽……?」
「ええ」
訝しげに尋ねるハーモニーに向かってコクンと頷き、インセクトは答える。
「結局、あなたがテラ側についた理由は、テラがあなたの幼馴染で、ホレたオトコだったからでしょ? それなのに、猫獣人の心がどうのだ何だっていう歯の浮く様な屁理屈を捏ねて、それっぽい嘘までついちゃってさ」
「は――?」
インセクトが口にした言葉を聞いたハーモニーは、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「そ……そんな、そんな事無いです! た、確かに、テラ……しょうちゃんは、あたしの幼馴染ですけど、ほ、惚れたとか何とかっていう……そういう感情はありません! それに……さっき言った事も、嘘でも屁理屈でもありません!」
「うふふふふ。別に照れなくてもいいのに」
「だから……照れてなんかいませんってば!」
からかうような口ぶりのインセクトに、ムキになって言い返すハーモニー。
と、インセクトは忍び笑いを止め、ハーモニーの顔をじっと見つめ、先ほどまでより少し低めた声で言った。
「……でも、それで充分じゃないのかしら? 人が動く理由なんて、『愛する人の為』ってだけで。――少なくとも、私はそう」
「え……?」
突然のインセクトの独白に、ハーモニーは戸惑いの声を上げる。
「あ……“愛する人”って――まさか……」
「もちろん、鳴瀬先生よ」
ハーモニーの問いに、インセクトはあっさりと答えた。
そして、装甲越しでも分かるくらいにうっとりとした様子で、艶っぽい声を上げる。
「今まで言っていなかったけど、あの方と私は、深く愛し合っているのよ、うふふ」
「愛し合ってる……沙紀さんと、さ、聡おじさんが……?」
イノセントの告白に、愕然とするハーモニー。
「ぜ……全然気づかなかった……」
「そりゃあ、鳴瀬先生に固く口留めされてたからね。ずっと天音ちゃんには打ち明けたくてウズウズしていたんだけど、ようやく胸のつかえが下りたわ」
そう言うと、インセクトは軽く胸を押さえ、それから更に言葉を継ぐ。
「――そんな訳で、今の私は、愛する鳴瀬先生の為だけに動いているの。鳴瀬先生の頼みならば、何でもできるわ。死ねと言われれば死ねるし、先生の往こうとする道の妨げになる者がいれば、それが敵だろうと味方だろうと躊躇いなく殺すわ……来島くんの時のようにね」
「えッ……?」
インセクトがぼそりと呟いた最後の一言が耳に入り、ハーモニーは思わず息を呑んだ。
そして、聞き間違いだと思い込もうとしながら、おずおずとインセクトに尋ねる。
「い……今、何て? カオルがどうのって……聞こえたんですけど……」
「殺したのよ。あの日――みんなでアジトを出た後でね」
「――ッ!」
あっさりと答えたインセクトを前に、ハーモニーは絶句した。
『沙紀が、仲間であるはずの薫を殺した』……それは、彼女が知っている槙田沙紀という人間のイメージから考えると、俄かには信じられない事の筈なのに――今、目の前にいる漆黒の装甲を身に纏った女なら、それを造作もなくやってのけただろうという事を、ハーモニーは確信した……確信してしまった。
彼女は、やにわに激しいめまいを覚えながら、震える声でインセクトに向けて問いかける。
「ど……どうして? どうして沙紀さんが、カオルの事を……こ、殺した……の?」
「言ったでしょ? 来島くんが鳴瀬先生の邪魔をしたからよ」
インセクトは、吐き捨てるような声で答えた。
「よりにもよって、あの不良は、先生の事を殺そうとしたのよ。そんなの、私に殺されて当然じゃない。あなたも、そう思うでしょ?」
「え……?」
インセクトの言葉に、ハーモニーは再び息を呑んだ。
彼女は、やにわに息苦しさを感じながら、おずおずとインセクトに訊ねる。
「な……何で? 何でカオルが、聡おじさんを殺そうと……?」
「そりゃあね、バレちゃったからよ」
「バレた……?」
訝しみながら訊き返すハーモニー。
そんな彼女が驚愕し、激しく狼狽するような事実を、インセクトは悪びれもせずにあっさりと明かした。
「来島くんに、『鳴瀬先生が健一くんを殺した』って事が、ね」




