第二十二章其の陸 解錠
「痛……っ! 頭が……耳が痛い……っ!」
閉じ込められた狭い部屋の中で灯りも付けず、ただただ真っ暗な闇の中で椅子に座っていたフラニィは、突然起こった強い耳鳴りと頭痛に顔を顰めた。
思わず両手で頭を抱え、耳をぺたりと伏せる。
幸いな事に、すぐに耳鳴りは感じなくなった。
「……な、何なの、今のは?」
彼女は、恐る恐る顔を上げると、キョロキョロと周囲を見回す。――だが、視界に入るのは、すっかり見慣れた自室の壁、そして、錆びの浮いた鉄の扉……。
「……外かしら?」
フラニィはそう呟くと、そろりと立ち上がり、扉の向こう側に立っている見張りの兵に足音を聞かれぬよう、慎重に足を忍ばせながら扉へと近付く。
そして、先ほど自分が叩きつけた小壺の中身が飛び散った部分を避けながら、そっと鉄扉に耳を押しつけた。
扉越しに、ふたりの見張りの話し声が聞こえる。
『な……何だ、今の音……?』
『わ、分からん……。というか、そもそも、音……なのか、今のは? っつか……頭痛ぇ……』
その上ずった声の調子と内容から、さっきの耳鳴りは、自分だけが感じたものではない事が分かった。
――と、その時、
『お、オイっ! 誰だ、貴様――』
『そ、その鎧……! まさか――“森の悪……!』
(――ッ!)
見張りのひとりの声を聞いて、フラニィの心臓が跳ね上がる。
だが、その直後、
『――ッ?』
『が――!』
「うっ……! また……?」
ふたりの悲鳴が聞こえたと思った次の瞬間、唐突に“完全なる無音”が、彼女の耳を襲った。その為か、再び彼女は、先ほど感じたのと同じ耳鳴りに苛まれる。
だが、フラニィは強い頭痛に顔を歪ませながらも、何とか外の様子を聴き取ろうと、より強く耳を鉄扉に押し付けた。
――と、
……ガチンッ
「ッ!」
唐突に、鉄扉から金属が擦れ合い、ぶつかった音がフラニィの耳朶を打ち、驚いた彼女は思わず全身の毛を逆立たせる。
今のは、聞き間違えようはずもない。
(――鍵を鍵穴に挿した音……! じゃあ……この部屋に誰かが入ってくる!)
そう思い到り、大きく目を見開いたフラニィは、慌てて扉の前から跳び退いた。
そして、オロオロと周囲を見回すが、あいにくと武器になりそうなものは転がっていない。
やむを得ず、彼女は先ほど自分が座っていた椅子を抱え上げ、万が一の際の武器兼楯とする事にした。
(……誰? イドゥン兄様が戻ってきたの? それともグスターブ? ――もしかして……!)
緊張で身を強張らせる彼女の頭の中で、不安と恐怖と……一抹の希望がグルグルと渦を巻く。
そんな彼女の耳に、扉の錠が外れる音が届き、微かな軋み音を立てながら、閉ざされていた鉄の扉がゆっくりと開き始めた。
そして、その間から姿を現したのは――!
「――ッ!」
部屋の中に入って来た者の姿を見たフラニィは、思わず息を呑んだ。
侵入者は、彼女の兄であるイドゥン王でも、総軍司令のグスターブでも無かった。
それは、全身を白い鎧で包んでいた。そう、ピシィナが“森の悪魔”と呼び畏れる者だったのだ。
だが、その姿を見た途端、フラニィの顔は綻ぶ。
「は……ハヤテさ――」
……が、その歓喜の声は、唐突に途切れた。
目の前に立つ“ニンゲン”の姿に違和感を感じたのだ。
「……違う。ハヤテ様は、もっと背が高かった……! あなた……ハヤテ様じゃ……ない……!」
そう、呆然とした顔で呟いたフラニィは、ハッと我に返ると、慌てて椅子を身体の前に構え直した。
「じゃ、じゃあ……! あなたは……誰ッ?」
心が一気に絶望の色に染められていくのを感じながら、フラニィは声を荒げた。
ハヤテ以外のオチビト……それはつまり、ピシィナと敵対する“森の悪魔”のひとりであるという事。何故、オチビトがこんな小さな小屋に現れたのか――その理由は、深く考えるまでも無い。
「あ……あなた……! あ、あたしの命を奪う為に……?」
「え? あ、違います!」
フラニィの言葉に、白い鎧を纏った小柄のオチビトは、慌てて首を横に振った。
そして、ゆっくりと屈んで、手に持っていた銀色の棒のような物を床に置くと、害意が無い事を示すように両手を上げてみせた。
そして、おずおずと口を開く。
「あの~……あなたがフラニィ王女様……ですよね?」
「……そ、それは――」
白い鎧のオチビトから発せられた声が、まだ若い女のものだという事に、フラニィは戸惑いを覚え、言い淀んだ。
そんな彼女の姿に目を遣ったオチビトは、コクンと小さく頷く。
「雪のように真っ白な毛の女の子……あなたがフラニィ王女ですね。しょうちゃんの言ってた通り!」
「しょ……しょうちゃん? そ、それって……誰?」
「……あ、そっか」
唖然としながら呟いたフラニィの言葉に、小柄のオチビトはハッとした様子で小さく頷くと、言葉を継ぐ。
「あの……しょうちゃんっていうのは、あなたも良く御存知の、焔良疾風の事です」
「ッ! は、ハヤテ様……?」
彼女の口から、聞き慣れた名前を聞いたフラニィの目が輝いた。彼女は呆然とした様子で、身体の前に掲げていた椅子を脇に置く。
「……」
そんな彼女の反応に、どこか胸がざわつくのを感じるオチビト。
――と、その時、
「フラニィ様ッ!」
「ッ!」
甲高い少女の声が響き渡り、同時に黒い影が部屋の中に飛び込んできた。
そして、黒い影は勢いそのままで、フラニィの身体にむしゃぶりつく。
黒い毛柄のピシィナの少女は、声を震わせながら、フラニィ身体を固く抱きしめた。
「ご無事で良かった、フラニィ様……! わたしです。マーレルです!」
「ま、マーレル?」
思いもかけぬ幼馴染の姿に驚き、目を丸くするフラニィ。
「ど……どうして、マーレルがこんな所に……? それに、あなたは――」
「はい」
戸惑うフラニィに頷いた白い鎧のオチビトは、胸に手を当てると静かに名乗った。
「あたしは、装甲戦士ハーモニー……秋原天音です。しょうちゃん――焔良疾風の幼馴染です。彼に頼まれて、あなたを迎えに来ました――フラニィ王女」




