第二十二章其の弐 姉妹
「……よし」
と、装甲戦士ハーモニー・カナリアラプソディは、聖者のフルートを口元から離すと、満足げに小さく頷いた。
彼女の十数メートル先に建っている小振りの門の前には、門番らしきふたりの猫獣人が昏倒している。
――言うまでも無く、今彼女が奏でた“狂詩曲・沈黙の音”の直撃を食らったからだ。
元々、“狂詩曲・沈黙の音”は、普通の生物の耳には到底聴き取れないレベルの超音波を敵にぶつける事で、意識の攪乱や平衡感覚の喪失を齎す技である。
「人間や装甲戦士と猫獣人の聴覚は違うだろうから、“狂詩曲・沈黙の音”が効くかどうか自信が無かったんだけど……余計な心配だったみたいね」
ハーモニーは、石畳の上に倒れてピクリとも動かないふたりの猫獣人の姿を見ながら、安堵の息を漏らした。
そして、首を巡らし、背後に声をかけた。
「――もう安心です。行きましょう、マーレルさん」
「あ……は、はい……」
ハーモニーの呼びかけに応じて、おずおずと物陰から出てきたのは、黒い毛柄の猫獣人の少女・マーレルだった。
彼女は、おそるおそる内門の方に目を遣り、その前で倒れているふたりの猫獣人の姿に気付くと、思わず表情を強張らせる。
「あ……あの方たち……ひょ、ひょっとして、死ん――」
「あ、ううん、大丈夫です」
心配顔のマーレルの問いかけに、ハーモニーは首を横に振った。
「“狂詩曲・沈黙の音”は、元々が牽制技ですから……。それに、指向性を高めた代わりに大分威力を絞りましたので、死んじゃったりはしないと思います。……まあ、しばらくはあのままでしょうけど」
「そ、そうですか……なら、良かった」
ハーモニーの説明に、マーレルはホッと胸を撫で下ろす。
「……ねえ、マーレルさん」
そんな彼女に対し、ハーモニーは躊躇いがちに言葉をかけた。
「はい?」と、怪訝な表情を浮かべながら返事をしたマーレルに、ハーモニーは「あのね……」と切り出す。
「――あなたはもう、ここで引き返した方がいいと思います。ここから先は、何が起こるか分からないから……」
「……え?」
「あの時――マーレルさんが『フラニィ王女を救う手伝いをしたい』って言って、ここまで道案内をしてくれて、本当に助かりました。でも、これ以上は、ただの一般人であるあなたには危険だと思います」
ハーモニーは、唖然とした表情を浮かべるマーレルに言い聞かせるように言葉を継いだ。
「ここまで来れれば、あたしは大丈夫ですから。片っ端から怪しい建物に押し入って、必ず王女様を見つけて連れ出します。だから、安心して帰って。猫獣人で、軍人の娘であるあなたなら、王宮の中を歩いていても、そう怪しまれる事は無いでしょうから――」
「……心配して頂いて、ありがとうございます」
ハーモニーの言葉を聞いたマーレルは、微笑みを浮かべて礼を言うと――静かに頭を振った。
「――ですが、その提案には従いません」
「でも――」
「確かに、わたしは弱いピシィナの小娘です」
マーレルは、強い意志を湛えた瞳を輝かせながら言葉を継ぐ。
「でも、それでも――ミアン王国の国民として……王国軍の一員だったヴァルトーの娘として……いえ、わたしがわたしとして、囚われたフラニィ様をお助けしたいんです!」
「……」
「お願いです、帰れなんて言わないで下さい! 足手まといになるようでしたら、わたしの事は見捨てて頂いて結構です。ですから……わたしに最後まで手伝わせて下さい! お願いいたします……」
「……ひとつ、訊いていいですか?」
必死になって懇願するマーレルの事を真っ直ぐに見つめて、ハーモニーは静かに問いかけた。
「どうして……あなたはそんなにフラニィ王女の事を――?」
「わたしは……まだ小さい頃に、フラニィ様――それに、ドリューシュ様と一緒に暮らしていた事があるんです」
マーレルは、穏やかな笑みを浮かべながら、静かに答えた。
「王妃様――フラニィ様のお母様がお隠れになった後……まだ幼かったおふたりにお乳を差し上げるお役目を、わたしを生んだばかりの母が拝命して……それで」
「じゃあ……」
ハーモニーは、マーレルの話に驚きを隠せぬ様子を見せる。
「あなたとフラニィ王女は、幼馴染みたいな……」
「そうですね。正確には乳姉妹ですけど。……ですが」
マーレルは、ハーモニーの目を真っ直ぐに見返すと、更に言葉を継いだ。
「不敬かもしれませんが……わたしはフラニィ様の事を、実の姉妹のように想っています。ですから――」
「……そっか」
きっぱりと言い切ったマーレルを前に、ハーモニーは少しだけ考える素振りを見せる。だが、すぐに自分を納得させるように小さく息を吐くと、マーレルの顔を見つめ、静かに頷きかけた。
「分かりました。そういう事情があるのなら、あたしに止める権利はありませんね」
「……いいんですか?」
「ええ」
意外とあっさり折れたハーモニーに驚きながら、思わずマーレルが口にした問いかけに、彼女はもう一度頷く。
「……『幼馴染が大切』って気持ち、あたしも良く分かりますから。とても断れません」
そう言って、覆面の下で優しい笑みを浮かべたハーモニーは、マーレルに向かって「それじゃ、行きましょうか」と告げると、彼女の手を取って、内門へと向かおうとする。
――と、その時、
「! アマネさん!」
「――ッ!」
やにわにマーレスが上げた、緊張を孕んだ叫び声につられて、彼女の指さす先に目を向けたハーモニーは、ハッと息を吞む。
何故なら――、
「う……うぅ……」
先ほどまで昏倒していたはずの赤茶色の毛柄の猫獣人兵が、苦しそうなうめき声を上げながら、ヨロヨロと立ち上がろうとしていたからだ――!




