第二十一章其の陸 親書
「……え?」
ハヤテから、自分の父親であるヴァルトーの訃報を伝えられたマーレルは、キョトンとした表情を浮かべる。
そして、頭の中でハヤテの言葉を反芻し、ようやくその意味を理解した途端、大きく目を見開き、口元を戦慄かせた。
「そ……そんな……」
口元に手を当て、こみ上げる嗚咽を堪えるような仕草を見せたマーレルだったが、潤みかけた瞳をにわかに鋭くさせると、神妙な表情を浮かべているハヤテの顔をキッと睨みつけた。
「そ……そんな事、信じられません! ――いえ! あなたの……“森の悪魔”と同じニンゲンの貴方の言う事など、わたしは信じません!」
「……」
ヒステリックに叫ぶマーレルを前にして、ハヤテは沈痛な表情を浮かべたまま黙っているだけだった。
「あ……あの……!」
それを見かねた天音が、青ざめた顔になって、それでも懸命にマーレルに言った。
「い……いきなり、赤の他人から『お父さんが亡くなった』って聞かされても、すぐに信じられないのは当然だと思います。でも……本当の事なんです!」
「嘘! 嘘よ!」
だが、天音の言葉に、マーレルが耳を貸す様子は無かった。
彼女は、その翠色の目を吊り上げて、激しく首を横に振りながら叫ぶ。
「あなた達の言う事なんて、信じてたまるもんですか! 父の死なんて酷い嘘でわたしを騙して、ピシィナの民に危害を加えようとしているに違いないわ! ――いえ、そもそも、お父さんとお友達だっていう話自体が出まかせなんでしょう? お父さんと“森の悪魔”が仲良しなはずなんてないもの!」
「……」
マーレルに激しい言葉を投げつけられたハヤテは、何も言い返さない。
そんな彼に怒りと苛立ちが入り混じった目を向けたマーレルは、憤然と立ち上がると、懐に隠し持っていた短刀を抜き放った。
そして、その切っ先をハヤテに擬しながら、激しい口調で言い放つ。
「帰って! 今すぐ帰らないと、怪我をするわよッ!」
「――ッ!」
天音も血相を変えて、ハーモニーベルを取り出そうと、ポケットの中に手を突っ込む。
――その時、
「アマネ! 止めるんだ!」
それまで黙ったままだったハヤテが、鋭い声を上げた。
その声に、天音はビクリと身体を震わせ、ピタリと動きを止める。
「……」
険しい表情を浮かべている天音を安心させるように、小さく頷きかけたハヤテは、カーゴパンツのポケットにゆっくりと手を突っ込むと、一枚の封書を取り出した。
そして、静かにテーブルの上に置き、滑らせるようにしてマーレルの方に差し出す。
テーブルの上に置かれた封書に一瞥したマーレルの顔に、当惑が浮かんだ。
彼女は、相変わらず短刀をハヤテに突きつけながら、訝しげな声で尋ねる。
「な……何ですか? この手紙は……?」
「――これは」
マーレルの問いかけに、ハヤテは小さく頷いてから答えた。
「これは、ミアン王国王太子、ドリューシュ・セカ・ファスナフォリック殿下からの親書です」
「――えっ?」
ハヤテの言葉に、マーレルは驚きの声を上げる。
そして、慌てて白い封書に目を落とし、それからハヤテと天音の顔を順々に見た。
「う……嘘――」
「嘘かどうか、検めて頂いて結構です」
「……」
マーレルは、警戒の眼差しをふたりに向けると、右手で短刀を擬したまま、左手で封書を取り上げた。
そして、封書を裏返して、裏側を一瞥した瞬間、その眼が驚きで大きく見開かれる。
「こ……この印章は、ドリューシュ様の……!」
そう呟いた彼女は、短刀を投げ捨て、封書に向かって深々と一礼すると、急いだ様子で封を切った。
取り出した数枚の便箋のような紙を開くと、その中に書かれた文字を真剣な目で追い始める。
ハヤテと天音は、そんな彼女の様子を、黙ったまま見守っていた。
「……」
重苦しい沈黙に包まれた応接間に、便箋の擦れる音だけが、やけに大きく響く。
……そして、
――ぱさっ、ばささ
それまでと違う、微かな音が鳴った。
それは、マーレルが、読んでいた便箋を床の上に落とした音だった。
彼女は、呆然とした表情を浮かべて、何もない虚空を見上げていた。
「……嘘」
マーレルの口から、掠れた声が漏れる。
そして、焦点の合っていない虚ろな目から、一筋の涙が頬に流れ落ちた。
「お……お父さんが……戦死した……? そ……そんな事――」
「残念ながら……事実です」
呆然自失の体のマーレルに、ハヤテは自身も辛そうな表情を浮かべながら、重い口を無理やり動かして、懸命に言葉を紡ぎ出す。
「……その親書にある通り、ヴァルトーさん……あなたのお父さんは、エフタトスの大森林の奥深くにあった“森の悪魔”――オチビトのアジトで発生した戦闘の最中に、命を落とされました。ドリューシュ王子を、敵の攻撃から庇って……」
「……」
「最期は、ドリューシュ王子の腕の中で、安らかに……」
「……うぅ」
「――立派な、最期でした……」
「うぅ……っ!」
ハヤテの言葉を聞いて、遂に耐え切れなくなったマーレルは、椅子から転げ落ちるようにして、床の上に蹲った。
そして、その体勢のまま、肩を大きく震わせながら号泣し始める。
「うぅ……うわあああああああぁーっ! お父さん……お父さあああああああああんっ!」
「……」
「……」
父親の死を知って悲嘆に暮れるマーレルの姿を前に、ハヤテと天音は無言のまま、沈痛な表情で彼女の事を見守るしかなかった――。




