第二十一章其の弐 会話
地上から真っ直ぐ天へと立ち上り、ミアン王国の王都キヤフェの半径十キロほどをぐるりと真円状に取り囲む“結界”の内と外とは、地上から天に向かって真っ直ぐに立ち上る蒼い光によって、明確に隔絶されていた。
結界の力はとても強く、何者であっても、その蒼い光を通り抜けて結界の間を行き来する事は能わない。
もし、結界を通り抜けようと、とある方法を用いずに蒼い光の壁の中に入った者がいたら、その身は“結界”の光によって、たちまちのうちに灰一粒残さず焼き尽くされてしまう。
そんな結界を安全に通る為の唯一の方法が、『ファスナフォリック王家に連なる者の血液を用いる』というものだった。
王家の者の血液を蒼い光が立ち上る地面に撒くと、光の色が紫へと変わり、その紫に変わった光を辿れば、焼き尽くされる事無く安全に結界を通り抜ける事が出来るのだ。
原理は全くの不明だが、『王家の血が結界を無効化できる』という事実が、ファスナフォリック王家の神秘性と権力を支える裏書きとなっているのは確かだった――。
その日……空に浮かぶ陽がちょうど南中した頃――王都キヤフェの北東に立ち上る蒼い結界の壁の一部が、紫に色を変えていた。
そして、その光の向こうからふたつの影が現れ、どんどん大きくなり、やがて結界を抜けた。
完全に結界を通り抜けたふたつの影は、すぐに行動に移れるよう身構えながら、慎重に周囲を見回す。
「よし――誰も、居ないな……」
そう呟くと、影のひとり――焔良疾風は、安堵の溜息を吐いた。
そして、いつでも装甲を纏えるよう、胸元に当てていたコンセプト・ディスク・ドライブを下ろす。
「……本当に大丈夫だったね」
彼と同じように、手に持ったハーモニーベルを下ろした秋原天音が、メガネの奥の目を丸くしながら後ろを振り返り、今まさに自分たちが通り抜けてきたばかりの結界を見遣った。
蒼い光の壁の中、そこだけ人ひとりがようやく通れる程度の幅だけ紫色になっていたが、その色合いは徐々に青色に戻り、やがて周りと同じような蒼へと色を変えた。
天音は、蒼くなった結界の光に恐る恐る手を伸ばすが、
「おい、止めろ、アマネ!」
ハヤテの慌てた声に驚き、慌てて伸ばした手を引っ込めた。
それを見たハヤテが、ホッと胸を撫で下ろす。
「ドリューシュ王子からの説明を聞いていなかったのかよ……。その蒼い光に触れたらヤバいんだぞ」
「ご……ゴメン、しょうちゃん。……でも、何だか気になっちゃって」
「気になっちゃって……って、子どもかよ」
天音の答えに、ハヤテは呆れながら苦笑いを浮かべた。
その言葉を聞いた天音は、口をへの字に曲げると、ぷうと頬を膨らませる。
「いいじゃない! だって、あたしはまだ子どもだもの! 大人になったしょうちゃんと違ってさ!」
「あ、まあ……」
言われてみれば、確かにそうだった……と、ハヤテは頭を掻く。
そんな彼の反応を、怖い顔で睨んでいた天音だったが――ふと表情を緩めると、クスクス笑い始めた。
彼女が笑い始めたのを見て、今度はハヤテがムスッとする。
「何だよ……そんなに笑う事無いじゃないかよ」
「うふふ……ごめんごめん」
天音は綻ぶ口元を押さえながら、ハヤテに謝った。
そして、彼に微笑を向けながら言葉を継ぐ。
「いや……何だかホッとしちゃって」
「ホッとした……?」
「……うん」
訝しげに訊き返すハヤテに、アマネは少し戸惑いの表情を浮かべながら、コクンと頷いた。
「すっかり大人になって、あたしが知っている高校一年生の頃より大分外見は変わったけど、相変わらずしょうちゃんはしょうちゃんのままだなぁ……って」
「……そりゃ、変わるだろ」
アマネの言葉に虚を衝かれたように感じたハヤテは、一拍置いてから答えた。
「お前が知っている俺は、高校一年……十五歳の頃の俺だ。今の俺は二十七歳。十二年も過ぎりゃ、見た目はかなり変わるさ」
そう言いながら、彼は無意識に顎に手をやった。
ジョリジョリという耳障りな音と掌に感じる感触に、ハヤテは(十二年前は、こんなに太い髭が生える事は無かったし……)と、改めて時間の経過を感じる。
そして、
(十二年前……か)
彼の脳裏に、決して忘れられないあの日の情景が浮かんだ。
――母親からの電話を受けて、慌てて駆け込んだ病院の白い廊下。
その突き当りの扉の前で長椅子に座り、ぎゅっと唇を噛みしめ、感情の爆発を必死で押さえている天音の母親の姿。
彼らに状況を説明する、青い手術着を着た医師の暗い顔。
集中治療室のガラス越しに見た、様々な電子機器を包帯だらけの体のあちこちに取りつけられた天音の痛々しい姿――。
結局――その日以降、天音が目を覚ます事は無く、病室のベッドに横たわった彼女に何を語りかけても、相槌ひとつ返ってくる事は無かったのだ。
――当時の事を思い返した途端、かつて抱いていた感情がぶり返したハヤテは思わず沈鬱な表情を浮かべ、俯いた。
と、
「あ……ごめん。怒らせちゃった……?」
「え……?」
ハッとして顔を上げたハヤテの目に、心配顔の天音の顔が映る。
彼女の顔を目の当たりにして少し驚いたハヤテは、左胸が小さく跳ねるのを感じながら、小さく首を傾げた。
「怒る……? 何で?」
「ああ、いや……何か、急に怖い顔をして黙り込んじゃったから、実は気にしてたのかなって思って……歳の事」
「と、歳?」
天音の言葉に、ハヤテは戸惑う。
そんな彼に、天音は「ええと……その……」と、躊躇いつつ言葉を継ぐ。
「だって……今のしょうちゃんって、もう二十七歳なんでしょう? 二十七歳って言ったら、その……もう、結構おじさ……い、いい歳じゃない? だから――」
「……ぷ、ぷははは!」
おずおずと口にした天音の言葉に、思わずハヤテは噴き出した。
そして、驚いた様子の天音の顔を見ると、慌てて首を大きく横に振って答える。
「いや……確かに十五歳の時だと、二十七は結構オッサンに近いと思うけどさ。実際に二十七歳になったら、意外とまだまだ若いって感じるもんなんだよ。――ていうか、二十七はまだオッサンじゃねえよ」
「あ……そう、なんだ?」
ハヤテの答えに頷きつつも、どこか懐疑的な表情を浮かべる天音。
そんな彼女の顔を見ながら、ハヤテは胸から何か熱いものがこみ上げてくるのを感じ、慌てて目を逸らした。
――十二年間、どんなに彼女に話しかけても、笑顔どころか相槌ひとつ戻ってこなかった。
話しかければ応えてくれる。怒ってくれる。笑ってくれる。
天音ととりとめの無い会話を交わす――そんな当たり前の事が、どんなに大切でかけがえのないものだったのか……今のハヤテには痛い程分かっていた。
そして、そんな当たり前を、再び彼女と交わす事が出来るようになった今の自分の境遇が、涙が出そうになる程嬉しかった。




