第二章其の拾 城壁
「――見えてきました! あの城壁の向こうがキヤフェです!」
鬱蒼と茂る森を抜けて、背の低い灌木がまばらに生える草原地帯を歩き続けていたフラニィが、嬉しそうな声を上げ、前方を指さした。
「あれが……」
彼女の指さす先に目を遣ったハヤテは、思わず目を丸くする。
ふたりの向かう先には、灰色の石が積み重ねられた長く低い城壁が聳え立っていた。
「……あれだな。中世のヨーロッパというよりは、どっちかというと『三国志』あたりに出てくる城壁に近い感じだな……」
「……サンゴクシ? 何ですか、それは?」
ハヤテの呟きに、興味津々といった顔のフラニィが食いついてきた。
「ええと……三国志っていうのは……」
改めて訊かれると、説明に困る。
ハヤテは、脳内で、うろ覚えの『三国志』の情報を整理しながら、口を動かす。
「何て言うんだろうな……。俺たちの世界の、“中国”っていう国であった長い戦いの事だよ。元々は一つの国だったけど、戦乱が続いていく内に三つの国に分かれ、互いを征服しようとして戦いを繰り返す。――それを描いた……昔話だよ」
「戦い……元々は同じ種族が……ですか?」
フラニィは、その金色の目を丸くして、首を傾げた。
ハヤテは、そんな彼女の反応に、怪訝な顔をして尋ねる。
「そうだよ? ……そんなにおかしいかな?」
「え、ええ……」
ハヤテの問いかけに、フラニィはオズオズと頷く。
「……あたしたちは、ずっとひとつに纏まって、互いに協力し合いながらキヤフェを発展させてきましたから……。それはまあ、個人同士のもめ事はありますけど、もっと大きな単位で争うというのは……無い筈です」
「そうなのか。……でも、ならば、あの城壁は何なんだ? あれは、外敵を防ぐ為のものだろう?」
ハヤテは、フラニィの答えに頷きながらも、解せぬという顔をして前方の高い城壁を指さした。
それに対して、フラニィはあっさりと首を縦に振る。
「外敵……そうですね。あの城壁は、チュニチやルヴァファン達の群れの襲来を退ける為に築かれたものです」
「チュニチ……は確か、ドラゴンの事だったな……。る……ルヴァファンって、何だ?」
「あたしたちにとっては、ルヴァファンはルヴァファンなので……改めて訊かれると、どう説明すればいいのか難しいですけど……」
ハヤテの問いかけに、フラニィは戸惑いながら、懸命に言葉を探そうとする。
「そうですね……あたしたちに似てると言えば似てるんですけど……もっと耳がピンと立ってて……鼻筋がもっと長い……あ、そうです!」
フラニィは小さく叫ぶと、ハヤテのカーゴパンツのポケットを指さした。
「ハヤテ様が、不思議な円盤を使って姿を変えた時の顔によく似てます!」
「円盤……? ウィンディウルフディスクの事?」
ハヤテは戸惑いながらも、ポケットからウィンディウルフディスクを取り出す。
銀色のウィンディウルフディスクは、太陽の光を反射してキラキラと光った。
――と、ハヤテはハッとした顔をして、大きく目を見開く。
「ああ……なるほど。――ルヴァファンは、俺たちの世界における狼なのか」
「オオカミ……? ああ! ハヤテ様の世界では、そう呼ぶのですね!」
ハヤテの言葉に、フラニィは顔を綻ばせた。
無邪気そうな笑顔を見せるフラニィに、ハヤテは首を傾げながら言った。
「……何だか、随分と嬉しそうだな、フラニィ」
「はい、嬉しいです! ハヤテ様の世界の事が――ハヤテ様が育った世界の事を知る事が出来て、とってもドキドキしちゃいます!」
「そ……そうなの……か?」
鼻息荒く、何度も大きく首を振るフラニィを前に、ハヤテは釈然としない気分で眉間に皺を寄せる。
――と、突然、フラニィの耳がピンと立った。
「……! しっ! ハヤテ様、静かに!」
そう言いながら片手を挙げてハヤテを制した彼女は、緊張した顔でゆっくりと周囲を見回す。
フラニィの叫び声に、ハヤテも表情を緊張させた。腰に固定したコンセプト・ディスク・ドライブを手にすると、いつでも装甲を纏えるように構える。
その傍らで、その耳をまるで“レーダー”のように細かく動かしながら、どんな些細な音も聞き漏らすまいとするフラニィ。
――だが、その緊迫した表情は、すぐに満面の笑みへと変わった。
「――この音は……間違いありません!」
と叫んだ彼女は、喜色を満面に湛えて一点を指さす。
それにつられて頭を巡らしたハヤテの目に、草原の向こうに立つ小さな土埃が映った。
「あれは……?」
「あの蹄の音は、間違いありません! お父様の……アシュガト二世の近衛兵団です!」
「――!」
フラニィの喜びに満ちた声を聞き、ハヤテも詰めていた息を吐く。
そうしている間にも、土埃はどんどんと大きくなり、はじめはフラニィにしか聞こえていなかった、蹄が草原を蹴る音がハヤテの耳にも届いた。
そして、こちらに向かってくる者たちの姿がハッキリと見える距離まで接近した時、彼は驚きで目を丸くした。
(馬に乗った猫……『長靴を履いた猫』そのままだな……)
彼は、昔読んだ覚えのある児童書の挿絵を思い出して、思わず口の端を緩ませる。
どんどんと近付いてくる集団が、まさに幼い頃に読んだ絵本の挿絵の通りだったからだ。
地球の馬とよく似た動物に跨がり器用に御する、鮮やかな柄の上衣を着た騎士達の姿は精悍だったが、その兜の下から覗く顔は、フラニィと同じ――猫の顔だった。
黒猫、茶トラ、三毛、アッシュ……様々な毛色の猫が、まるで人間のように馬を駆る。――少し前までのハヤテだったら、自分の目と頭を疑うに違いない光景だ。
だが――、
「そうか……あれは、君の仲間たちなんだな」
ハヤテはそう呟くと、今度は安堵の息を吐いた。
……何はともあれ、自分とフラニィは、危険な生物が跋扈する森を抜け、牛島達装甲戦士からも逃げ切る事が出来たのだ。
(これで俺も、ひとまずは安全だ――)
ハヤテはそう思い、胸を撫で下ろしたのだが――すぐに、それが全くの見当違いだった事に気付かされた。
「な――?」
彼とフラニィは、周りを騎馬にぐるりと取り囲まれ、一斉に手槍を突きつけられたのだ。
そして、一際装飾の派手な上衣を着た恰幅の良い猫獣人が前に進み出て、ハヤテに向かって敵意を剥き出しにした怒声を浴びせたのだった。
「このくせ者めが! その姿……森に潜む“悪魔”達の仲間であろう! 無駄な抵抗は止めて、フラニィ殿下を速やかに解放せよ!」




