第十九章其の玖 来訪
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「はぁ……」
青木修太は、粗末な柄杓を持った手を止めると、ぼろ布で作った手拭いで額に浮いた汗を拭いながら、虚しい溜息を吐いた。
そして、目の前に広がる畑をぐるりと見回しながら独り言つ。
「もうすぐ収穫時期だっていうのに……これじゃ、ロクな収穫にならんな……」
彼の声には、疲労と失望が色濃く混ざっていた。
その言葉の通り、彼が先ほどまで懸命に水を撒いていた畑に生えている植物は、充分に生育していないものが多かった。
葉は小さくて色も淡く、茎は今にも折れてしまいそうな程に細いものが殆どで、茎の先に生る実も小さかった。
もちろん、中には充分に生育している株もあったが、その数は全体の半分にも満たない。……これでは、間もなく訪れる冬から春までの長い間、四十人近くも居る村の人間の胃袋を満たす事など到底出来ない事は明白だった。
できれば、もう少し時間をかけて、作物がより多く実るのを待ちたい所だったが、最近は朝晩めっきりと冷え込む事が多くなり、冬がいよいよ間近に迫っているのを肌身に沁みて感じる。
「……時期を逃せば、せっかく育てた作物をみすみす腐らすだけになっちまう。……とはいえ、この収穫量じゃ――」
青木は、途方に暮れた様子で、もう一度大きな溜息を吐いた。
日本に居た頃は、東北地方の小さな村で農業を営んでおり、作物を育てる事にかけては自信を持っていた青木だったが、堕とされた先の異世界での農作業は、勝手が違い過ぎた。
トラクターはもちろん、ビニールハウスも豊富な農業用水なども無い、まったくゼロの状態から、固い地面を手製の鍬で耕すところから始め、日本で収穫していた野菜と似た種類の植物を森の中から見つけ出し、作物として栽培するところまでは何とか漕ぎつけたものの、その結果が……コレだ。
「……はぁ」
彼は、大きな徒労感に苛まれながらも、一際大きな溜息を吐く事で何とか気を取り直し、水撒きの続きに取りかかろうと柄杓を手に取り、桶に張った水を掬う。
――その時、
「……やあ、精が出るねぇ、青木くん」
「――ッ!」
不意に背後から声をかけられた青木は、途端に表情を強張らせた。
手にした柄杓を放り出し、腰のベルトに提げた装甲アイテムに手を這わせながら、青木は背後へと振り向いた。
そして、いつの間に畑の傍らに立っていた人影に向けて、鋭い声を浴びせかける。
「う、牛島……! いつから――!」
「ははは……すまないね、青木くん。驚かせるつもりは無かったんだが」
警戒を露わにする青木に向けて、柔和な笑顔を向けてきたのは、かつての青木たちの仲間であり、今は袂を分かって、別の場所に本拠を作って活動しているはずの、牛島聡その人だった。
「いやぁ、相変わらずここへの道は険しいね。ようやく着いたよ」
そんな声を漏らしながら、背中にしょっていたズタ袋を地面に下ろした牛島は、旅塵で汚れた上着を脱いで小脇に抱える。
そして、青木の傍らに置いたままの水桶を指さした。
「青木くん。すまないが、その桶の中の水を一杯飲ませてくれないかな? 水筒に入れていた水はとっくの昔に飲み干してしまって、喉がカラカラなんだ」
「あ……あぁ……」
牛島の頼みに、慌てて頷いた青木だったが、さすがに水撒き用の水をそのまま彼に与える訳にはいかないと思い直し、紐で肩掛けしていた自分の水筒を「……ほれ!」と、牛島の方に放り投げる。
「おっと」
投げつけられた水筒を片手でいとも容易くキャッチした牛島は、青木に向かって笑みを浮かべ、
「ありがとう。遠慮なく頂くよ」
と礼を言ってから、栓を空けて一気に飲み干した。
美味そうに水を飲む牛島の様子を、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら見ていた青木だったが、
「……ん?」
大きく上下する牛島の喉の下――開襟シャツの間から白い包帯が覗いている事に気付き、胡乱げな声を上げる。
「……牛島。おめえ、怪我してんのか?」
「ん? あぁ……これね」
青木の言葉に苦笑を浮かべながら、牛島は答えた。
「これは、ちょっと向こうで不覚を取ってね。その傷がまだ癒えないまんまなんだよ。ダメだねえ、年齢を取ると、身体の回復が遅くなっちゃって」
「……」
屈託の無い表情を浮かべる牛島とは対照的に、青木はますます表情を厳しくさせる。
彼は、無意識の内に重心を落として何時でも腰の装甲アイテムを抜けるようにしながら、油断無く牛島の事を観察しつつ、低い声で言った。
「……というか、おめえ、今更何をしにここにやって来た? そんな傷を負ったままで――」
「ああ……」
青木の言葉に静かに頷いた牛島は、僅かに顔を顰めて左肩を押さえる仕草を見せながら答える。
「私がここに来た理由――それと、私の身体の事とは、深い関連性があるんだ」
「そ……そいつは……一体……?」
「……先日、私たちのアジトに、猫獣人どもの軍が攻め寄せてきた」
「なっ……!」
牛島の言葉に驚うた青木は、思わず言葉を失った。
そんな彼に向けて、牛島は淡々と言葉を続ける。
「もちろん迎撃しようと思ったのだが、私はそれ以前の時点で既に傷を負っていて、それが難しかった。斗真くんや薫くんも居るが、他のふたりは戦闘の場数を踏んでいない上、いかんせん敵の戦力が多すぎてね……」
「……そ、そういえば――!」
牛島の言葉に、青木はハッとして周囲を見回した。
そして、ふたりの他に人影が見えない事を確認すると、怒りに満ちた表情を浮かべて、牛島を睨みつける。
「ほ……他の連中は、もしかして――」
「……ああ」
「て、テメエ! 周防や薫の野郎はともかく、天音や沙紀ちゃんまで置き去りにして、ひとりでケツを捲って逃げてきたっていうのか――?」
「いや、逃げてきたわけじゃないよ」
気色ばむ青木に向かって、薄笑みを浮かべながら手を横に振る牛島。
そして、その表情を一変させ、厳しい声色で言葉を継ぐ。
「――私は、オリジンに救援を求めに来たのさ。アジトを守り、天音ちゃんや薫くんたちを救う為の、ね」
「きゅ……救援?」
「ああ、そうだ」
青木の言葉に大きく頷いた牛島は、目を村の中心の大きな建物に向けながら、静かに――そして、断固とした口調で言った。
「――という訳で、私はオリジンと面会がしたいんだ。お忙しいところ申し訳ないが、至急でアポを取ってきてもらえないかな、青木修太くん?」




