第二章其の捌 行先
月明かりがぼんやりと照らす森の木々の間を、すり抜けるように走るふたつの影。
先導するように走っていた白い影が、心配そうに振り返った。
「ハヤテ様……! 大丈夫ですか?」
「はあ……はあ……っ! だ、大丈夫だよ、フラニィ……」
声をかけられた黒い影は、荒い息を吐きながらも、交互に出す脚は止めずに答える。
が、糸が切れた操り人形のように脚を縺れさせ、呻き声を上げてその場に頽れた。
「ハヤテ様!」
それを見た白い影が、倒れた黒い影の元に慌てて駆け寄り、彼を助け起こす。
「……ひどい――」
フラニィは、真っ赤な血で染まったハヤテの腹を見て、思わず言葉を詰まらせる。
その傷は、先ほどツールズと戦った時にトゥーサイデッド・ソーで斬り裂かれたものだった。
戦っている最中には気付かなかったが、思ったよりも傷が深い。
「――少し休みましょう。とにかく、お腹の傷の血を止めないと……」
彼女はそう呟くと、穿いている下衣の裾を躊躇せず破った。
破り取った裾を尖った牙と爪を使って更に細長く裂くと、即席の包帯を作り始める。
黙々と作業に集中するフラニィに、ハヤテはおずおずと声をかけた。
「ふ――フラニィ……? ほ、本当に大丈夫だから……」
「――何言ってるんですか! そんな、脚が縺れるくらいの大怪我なのに……」
申し訳なさそうにしているハヤテをピシャリと窘めるフラニィ。
ハヤテは、彼女の剣幕に一瞬言葉を詰まらせるが、再び首を横に振ると、彼女の手を押さえた。
「い……いや! 本当に大丈夫だよ。さっき、牛島――あいつらから聞いたんだけど、俺たち――“オチビト”は、傷の治りが早いらしいんだ。そんなに大袈裟にしなくても、すぐに傷は塞がるだろうから、心配しないでくれ」
「でも……」
「それに……こんな所でまごついて、万が一あいつらに追いつかれたら、今度こそ逃げられない。俺は平気だか――」
「……ハヤテ様、このくらい、やらせて下さい」
「――!」
ハヤテの言葉を途中で遮ったフラニィの顔を見たハヤテは、ハッと息を呑む。
フラニィの大きな金色の瞳が、涙で潤みながらも決して曲がらぬ強い意志を宿した光を放っていたからだ。
その瞳を見たハヤテは、彼女を説き伏せる言葉を見失ってしまう。
フラニィは、急造の包帯をハヤテの腹に巻きつけながら、静かに言葉を紡いだ。
「そもそも……これは、あたしを助けようとしてくれなければ負わずに済んだ怪我ですし、捕まったあたしを助けようとしてくれているからこそ、ハヤテ様があの方達に追われる事になってしまっているんです。だから……せめて、傷ついたあなたの身体を癒やすくらいの事はさせてほしいんです」
「……そうか」
フラニィの言葉を聞いて、ハヤテは小さく頷く。
そして、はにかみ笑いを浮かべながら、せっせと手を動かすフラニィに感謝の言葉を伝えた。
「――ありがとう、フラニィ」
◆ ◆ ◆ ◆
月が西の空に沈み、東の空がほんのりと白み始めてきた。
「……大分来たけど、君たちの王都までは、あとどのくらいなのかな……?」
さすがに疲労を隠しきれず、息を弾ませながら、ハヤテは鼻をひくつかせながら前方を歩くフラニィに尋ねる。
「そうですね……」
ハヤテの問いかけに、フラニィは繁る木々の隙間から覗く空の星に目を凝らしたり、耳を小刻みに動かしながら首を廻らした後に、
「……大体、あと3ルイくらい――ですね」
と答えた。
「3ルイ……10キロ前後か……」
ハヤテは、フラニィの言ったこの世界の単位を自分の世界の単位に置き換えると、小さく溜息を吐いた。
(夜通し歩いて、やっと20キロか……)
――とはいえ、月の光だけを頼りにして、起伏と障害物に富んだ森を分け入ってきたのだ。日の出までに20キロ進んだだけでも上出来なスピードだとも言える。
今のところ、懸念していた、薫や牛島達の追跡も無いようだ。
そう考えて、今度は安堵の息を漏らすハヤテ。
――と、
「……でも、本当に宜しいんですか? ハヤテ様……」
「――え?」
フラニィが、心配そうな声で尋ねてきた事に引っかかりを感じたハヤテは、戸惑いの声を上げた。
「……『本当に宜しいんですか』って、どういう意味なんだい、フラニィ……?」
彼は怪訝な顔をして、フラニィの言葉に問いを返す。
するとフラニィは、その顔に憂いを浮かべながら、躊躇いがちに答えた。
「その……、あたしを連れて、ハヤテ様も一緒にミアン王国に行くという事が……」
「……? 何か問題でもあるのかい?」
ハヤテは、フラニィの言葉に、おどけた様子で肩を竦めてみせる。
「牛島達のところから逃げてきて、他に行く宛ても無い。この前のドラゴンみたいな、厄介な生き物がウロウロしているような森の中に潜む訳にもいかないし……。そうなったら、君の国であるミアン王国に身を寄せる以外に、選択肢は無いと思うけど」
「え、ええ……。確かに、それはそうなんですが……」
ハヤテの自嘲混じりの言葉に、フラニィも小さく頷くが、やはりその表情から憂いの影は消えない。
――が、彼女は半ば無理矢理に気持ちを切り替えると、ぎこちない笑いを浮かべながら大きく頷いてみせた。
「――そうですね。いざとなったら、私もお口添えができますし……。お父様達も、きっとハヤテ様のお人柄に触れたら、温かく迎えてくれるはず……です!」
――が、この時の彼女は、自分とハヤテがどんなに甘い考えを抱いていたのかをまだ知る由も無かった――。




