第十九章其の漆 追手
「じゃあ……行って来ます」
翌日の早朝。
まだ辺りが薄暗い内に出発の支度を整えたハヤテと天音は、見送りに出てきたドリューシュと碧に向かって静かに言った。
「はい」
早朝にもかかわらず、律儀に甲冑を着込んでいるドリューシュは、ハヤテの顔を金色の眼で見つめると、小さく頭を下げる。
「フラニィの事を……くれぐれも宜しくお願いいたします」
「はい。もちろんです」
ハヤテは、ドリューシュの言葉に力強く頷いた。
「必ずや、フラニィを救け出して、ドリューシュ王子の前にお連れしますから。待っていて下さい」
「……頼みます、ハヤテ殿」
決然とした表情で言い切ったハヤテに、ドリューシュは深々と頭を下げる。
と、
「ふわぁあ……気を付けてね、ハヤテさん、アマネ」
そう、ドリューシュの横でアクビを噛み殺しながら言ったのは、碧だった。
彼女は、寝ぐせが跳ね上がった髪の毛を気にしながら、ふたりの顔を見回して言葉を継ぐ。
「いくら、装甲戦士が相手じゃないっていっても、敵の本拠地に乗り込むんだし、何が起こるか分からないからね。くれぐれも油断しないようにね」
「……うん」
「分かってるよ、香月さん」
ハヤテは苦笑いを浮かべながら頷くと、一変して真剣な表情を浮かべる。
「……君たちの方こそ、くれぐれも気を付けてくれ」
「うん、分かってるよ」
碧は、ハヤテの言葉にそう答えると、後ろの方を振り返った。
彼女たちの背後では、猫獣人兵達が設営していたテントを畳んで、干し草を食む馬の背にまとめた荷物を乗せる作業に追われている。
ハヤテ達がキヤフェへ向かって出発した後、残ったドリューシュと彼が率いる兵たちと碧も、この場所――元オチビトのアジトから撤収する予定なのだ。
そして、一足先にオシスの砦へと帰還し、フラニィを救出したハヤテと天音を待つ――というのが、昨夜の内にハヤテとドリューシュが組み上げた作戦の筋書きだった。
「万が一、オチビト達が追いかけてきても、なるべく正面から迎え撃つ事は避けて、逃げ切る事に専念しろ――でしょ? 大丈夫だよ、ちゃんと覚えてる」
「そうか……」
任せろと言わんばかりに胸を張る碧を見て、微笑むハヤテだったが、やはり一抹の不安は拭えないようだった。
と、
「――アオイ。もし、向こうのオチビトが襲ってきたら、あたしの事を『人質にしてる』って伝えて。そうすれば、向こうは手出しできないはずよ」
そう、真剣な表情で碧に言ったのは、天音だった。
天音の言葉に少しびっくりした様子を見せた碧だったが、困り笑いを浮かべながら首を傾げる。
「う~ん、そんな上手くいくかなぁ?」
「大丈夫よ」
疑う碧に、自信ありげに首を縦に振る天音。
「――多分、オリジンの村のオチビトは動こうとしないはずよ。何故なら、あくまで今回の事は、自分たちとは別れた聡おじさんのグループが当事者であって、『自分たちは無関係だ』と考えると思うから」
「……そういえば、そうだったな」
天音の説明に、ハヤテは顎に手を当てながら小さく頷いた。
――『ああ、彼らはね……分かりやすく言えば、“御陵衛士”みたいなモンだ』
――『御陵衛士の事を知っているのなら、己たちオリジン側のオチビトから、牛島たちがどう思われてるのかってのは、察しが付くだろう?』
ハヤテは、装甲戦士ニンジャ――周防斗真と最初に戦った時に交わした言葉の一端を思い出した。
牛島たちのグループが、新選組における御陵衛士に比定されるというのなら、彼らがオリジン派から快く思われてはいない――むしろ、敵意すら抱かれているであろう事は明白だ。
であれば、天音の言う通り、牛島が救援を求めにオリジンの村へ向かったとしても、オリジン側がその要請を蹴る可能性は高いと考えるのが自然だ――。
「――そうなると」
天音は、考え込むハヤテの横顔をチラリと見ると、更に言葉を続ける。
「猫獣人兵を追いかけてくる可能性が高いのは、聡おじさんのグループのオチビトに限られるわ。……でも、周防さんは、あれから聡おじさんと合流したとしても、まだ戦える状態じゃないでしょうし、沙紀さんは元々戦闘向きの性格じゃないわ」
「残りは……」
「聡おじさんも病み上がりだから無いと思う。残るはあのバカ……カオルだけだけど、アイツはあたしが人質にされてるって聞いたら、素直に退いてくれると思う。あんな見た目で、いかにもワルぶってるけど、味方には甘いヤツだからね、アイツ」
「おやぁ……何か、随分と親しげじゃない? ひょっとして、アマネちゃん、そのカオルっていうのと……」
「はっ? な、何言ってんのよ、アオイッ! そ、そんな訳無いって! あ……あんなバカと!」
ニヤニヤと笑いながら、からかってくる碧に、顔を真っ赤にして声を荒げる天音。
――当然の事ながら、
彼女たちは、あの日の夜に河原で起こったひとつの戦闘と、それが齎した結果については知る由も無い。
「ははは……」
ふたりの少女の微笑ましいじゃれ合いに思わず相好を崩したハヤテだったが、すぐに真剣な表情に戻って言った。
「――だけど、それでも気を付けた方がいい。油断は大敵だ」
「了解しました」
「分かってるって」
ハヤテの忠告に、こちらも表情を引き締め、大きく頷くドリューシュと碧だった。




