第十九章其の陸 作戦
「――明日の朝、発とうと思います」
翌日の夕食の時間。
オチビトたちのアジトの跡地に建てられた、指揮官用の大きなテントの中でドリューシュと共にささやかな夕食の卓を囲んでいたハヤテは、そう静かに告げた。
ハヤテの言葉を聞いたドリューシュは、ハッと目を見張ると、おもむろに居ずまいを正し、覚悟を決めた目で自分の事を見つめているハヤテに訊ねる。
「発つとは……キヤフェへですか?」
「はい」
ドリューシュの問いかけに小さく頷いたハヤテは、木製のコップに注がれた水を一口飲み、口を湿らせてから言葉を継いだ。
「以前あなたに命ぜられたフラニィ救出作戦を、今こそ決行します」
「おぉ……」
決然と言い切ったハヤテを見て、ドリューシュは思わず感嘆の声を上げる。
――“森の悪魔”討伐軍と共に、森の奥に向かったと見せかけ、密かに軍列から離脱したハヤテたち装甲戦士が王宮へと潜入し、軟禁されている第三王女フラニィを救出する――。
それが、当初ドリューシュが編んだ計画だったが、ハヤテの心境の変化と、装甲戦士ニンジャとの死闘で重傷を負った事によって、やむなく作戦の決行が先延ばしにされていたのだ。
ハヤテが、遂にその作戦を明日実行に移すと告げた事は、王都に残してきた妹の安否を気遣うドリューシュにとっては、紛れも無い吉報である。
――だが、すぐにその表情は曇った。
ドリューシュは、彼の着ているシャツの間から覗く白い包帯を指さしながら、おずおずと訊ねる。
「……ですが、お体はもう宜しいのですか、ハヤテ殿? 以前の戦いで受けた傷が、まだ――」
「あぁ――。ご心配なく。大げさに包帯を巻いてはいますが、ニンジャにやられた傷は、もうほとんど癒えました」
そう言ってはにかみ笑いを浮かべたハヤテは、軽く包帯が巻かれている腕を擦ってみせながら言葉を継ぐ。
「とはいえ――まだ『全快しました』とまでは言えませんが……。相手が装甲戦士でない通常の戦闘ならば、充分にこなせるくらいには回復しています」
「でも……本当に、大丈夫なんですか?」
頼もしい言葉に安堵しつつも、なお一抹の不安を拭えない様子のドリューシュを安心させるように、ハヤテは微笑みかけた。
「そもそも、今回はフラニィを救出するのが目的の潜入作戦ですし。戦闘は可能な限り避けるつもりです。万が一、王都の守備兵に見つかって戦闘になったとしても、この前のような厳しい戦いにはならないでしょう。当たり前ですが、王都には装甲戦士などいないはずですからね」
「それは、そうですが……」
ハヤテの言い草に些か憮然としながら、ドリューシュは言う。
「正直、今のハヤテ殿のお言葉は、我が王国軍を侮られたようで、ミアン王国を愛する王太子である僕としては、カチンと来ないでも無いですね」
「あ……も、申し訳ございません、ドリューシュ王子。俺は決して、猫獣人の事を侮っている訳ではなくて……」
「はっはっはっ、すみません。冗談ですよ」
ドリューシュは、慌てて言葉を繕うハヤテの様子に思わず吹き出しながら、鷹揚に手を横に振った。
そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、片目を瞑ってみせる。
「まあ……実のところ、ハヤテ殿のおっしゃる通りです。今現在、王宮内に居る兵たちの練度は、大した事ありません」
「あ……そうなんですか?」
あっさりと言い切ったドリューシュに、ハヤテは呆気に取られる。
そんなハヤテに、ドリューシュは苦々しげに「そうなんです」と頷いた。
「父の死後、兄の引き立てによってグスターブが総軍司令の座に就いてから、兵士の士気と統制はダダ下がりです。正直、今の王宮守備兵達の力では、小さな龍一匹斃すのにも一苦労でしょうね」
そう言うと、ドリューシュはテーブルの上の杯を手に取り、中のマタタビ酒を一気に呷った。
そして、叩きつけるように杯をテーブルに置いた彼は、ハヤテたちに向かって薄笑みを浮かべる。
「おまけに、急速に軍が腐る中、それでも僅かに存在していた『本当に使える兵』は、残らず僕が今回の“森の悪魔”討伐隊に引き抜いてやりましたしね」
「……もしかして」
と、してやったりといった表情のドリューシュに向かって、ハヤテは静かに訊ねた。
「ドリューシュ王子……あなたは、最初からフラニィ救出の目的の為に……」
「そうです。逆に利用してやったんです。僕を嵌めようとする兄の奸計をね」
ハヤテの質問に対し、ドリューシュは得意げにヒゲをピクつかせながら頷いてみせる。
「なるほど……」
そんな王太子の自慢げな顔に微笑を向けるハヤテは、彼の深謀遠慮を知って、内心で舌を巻いていた。
と、
「おっと……話が逸れましたね」
ドリューシュはそう呟くと、真剣な表情に戻って言った。
「それで……キヤフェへの潜入は、やはりアオイ殿と――?」
「……いや」
「――え?」
自分の予測に反して、静かに首を横に振ったハヤテに、ドリューシュは怪訝な表情を浮かべる。
そして、眉間に皺を寄せながら、おずおずと訊ねた。
「では……もしや、おひとりで行かれるおつもりですか?」
「……いえ」
「え?」
再び頭を振るハヤテに、キョトンとした表情を浮かべるドリューシュ。
だが、すぐにもうひとつの可能性に思い当たり、驚きの表情を見せる。
そんな彼を前に、ハヤテは静かに言葉を継いだ。
「今回の作戦――。キヤフェへは、アマネ――装甲戦士ハーモニーを一緒に連れて行くつもりです。――宜しいでしょうか?」




